アメリカ合衆国建国の歴史 その108 南部における復興

南部では、復興期は無秩序を伴う再適応の時期となりました。南部の白人は、アフリカ系アメリカ人を準奉仕の状態に置くことを望み、市民権をほとんど拡大せず、社会的平等を断固拒否していました。他方、アフリカ系アメリカ人は完全な自由と、何よりも自分たちの土地を欲していました。必然的に両者の間に衝突が頻発しました。暴動に発展したものもありましたが、アフリカ系アメリカ人の指導者個人に対するテロ行為が目立ちました。

Gone with the Wind

こうした混乱の中で、南部の白人と黒人は、農場(プランテーション)を再び稼働させ、生計を立てる方法を模索し始めていきます。実際、再建時代の最も重要な出来事は、大々的に宣伝された政治的な争いではなく、南部社会で起こったゆっくりとした、ほとんど気づかないほどの変化でありました。アフリカ系アメリカ人は合法的に結婚できるようになり、従来型の安定した家族単位を築きました。彼らは静かに白人教会から離脱し、独自の宗教組織を形成し、それがアフリカ系アメリカ人社会の中心的存在となっていきます。土地もお金もないため、ほとんどの自由民は白人の主人のために働き続けなければなりませんでした。しかし、彼らはギャングとして働くこととか、奴隷として住んでいた宿舎で農園主によって看守されて暮らすことを嫌がるようになったのです。

Black Family in the South

南部の大部分では、小作は次第に労働システムとして受け入れられるようになります。資本不足の農園主は、現金での賃金を支払う必要がないため、この制度を好みました。アフリカ系アメリカ人は、借りた土地に個々の小屋で住むことができ、何を植えるか、どのように耕すかについてある程度の自由があったので、この制度を好みました。しかし、再建時代を通じて、この地域全体は絶望的に貧しく、1860年代後半に相次いだ凶作と1870年代の農業不況は、白人と黒人の双方に打撃を与えます。