マサチューセッツ州は、「Commonwealth of Massachusetts」と呼ばれます。Commonwealthの原義は「共通の善」ないし「公共の福祉」ということです。Common Goodという言葉と同義です。Massachusettsの発音はなんともいえない響きがあります。Stateを使わないところに誇りのようなものを感じさせてくれます。
この州には、長男夫婦と2人の孫が住んでいます。毎年必ず訪れるのが楽しみなところです。州都ボストン(Boston)から車で1時間のところにコロニアルスタイルの家で暮らしています。同じくボストンの東南1時間のところにプリマス(Plymoth)という港町があります。ここにMayflowerII号のレプリカが停泊しています。Mayflowerは1620年頃にヨーロッパからこのあたりに着いたことが記されています。長くてつらい大西洋の航海だったようです。
最初の移民の多くは聖教徒(Pilgrims)といわれています。MayflowerII号から下りた聖教徒が開拓したところが今も大切に保存されています。この居留地はPlimoth Plantation(プリマス開拓地)と呼ばれて州の歴史的な公園となっています。開拓地は高い木の柵が巡らされてインディアンからの襲撃に備えたことを伺わせます。
Plantationに入りますと、そこは1600年代という設定です。タイムスリップするのです。そこで働く人は百姓、鍛冶屋、パン屋さんなどいろいろ。当時の服装、言葉、動作で観光客に対応します。観光客は、働く人々とのちんぷんかんぷんの対話から「ここは1620年頃なのだな、、、」と合点がいきます。働く人々の演技が秀逸なのです。
マサチューセッツ州のライセンスプレートには「Spirit of America」というフレーズが印字されています。これは、建国の精神を意味します。1680年ころから、マサチューセッツはイギリスの植民地となります。1760年代になると、マサチューセッツ憲法として権利の宣言と政府の樹立を叫び、イギリスの支配に反旗を翻します。やがて独立戦争が始まるのです。この自治と独立の精神が「Spirit of America」というものです。
ボストン茶会事件(Boston Tea Party) や古戦場であるレキシントン・コンコードの戦い(Battles of Lexington and Concord)、バンカーヒルの戦い (Battle of Bunker Hill) が始まります。植民地軍の中心となったのが民兵であったミニットマン(Minutemen)です。 ボストン北西に位置するコンコード(Concord)にあった、アメリカ植民地民兵部隊の武器庫の争奪をめぐるイギリス軍と民兵隊の激しい戦闘が行われたのがレキシントンとコンコードのあたりです。規模は小さいながら独立戦争の緒戦として植民地軍はイギリス軍を撃破します。
アメリカの公教育で忘れてはならないのがホーレス・マン(Horace Mann)です。マンがマサチューセッツ州において進めた教育改革によって、普遍的な公共教育の基盤が築かれます。州内には、国内最古の公立小学校や、最古の高校、最古のボーディングスクール、最古のカレッジである1636年設立のハーバード大学(Harvard University)、最古の女子カレッジである1837年設立のマウントホリヨーク大学(Mount Holyoke College)が知られています。
州内には121の高等教育機関があるのですから驚きです。ケンブリッジ(Cambridge)にあるハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)が世界の大学ランキングでも常に上位 ボストン大学(Boston University)、タフツ大学(Tufts University) 女子大であるスミス大学(Smith College)など多彩です。