北海道とスコットランド その9  スコットランド人の活躍は続く その2 ジェームズ・マードック

明治政府が最も力を入れたのが人材の養成である。その中心はなんといっても東京帝国大学をはじめ、他の帝国大学の基礎をつくることだったのではないか。

スコットランド生まれのジェームズ・マードック(James Murdoch)第一高等学校(一高)の英語と歴史の教師として迎えられる。一高では1889年から4年間教鞭をとる。

教え子の一人に夏目金之助、後の漱石がいる。漱石は英語が嫌いな学生だったといわれる。だが、マードックを「僕の先生」と呼ぶほどだったという。他の生徒からも敬慕されていたといわれる。漱石は1890年、創設間もなかった帝国大学(後に東京帝国大学となる)英文科に入学する。

マードックは1894年から1897年まで金沢の第四高等学校で英語を教えた。 1899年には東京に戻り、高等商業学校で、現在の一橋大学で経済史を教えた。その後、鹿児島の第七高等学校に移る。1903年に、「初期における外交関係の日本史ー15421651) 」を刊行する。語学の才に長けたマードックはこの本をラテン語、スペイン語、フランス語、オランダ語に自らが訳している。

1917年に、かねてから滞在していたオーストラリアに戻る。王立軍学校(Royal Military College)やシドニー大学(University of Sydney)で日本語を教える。そして終身雇用の教授となる。オーストラリアは当時、白豪主義(White Australia Policy)を掲げていた。オーストラリアは移住制限法などを日本に課していた。それに対して日本はロンドンとシドニーの在外公館を通じて抗議を行ったほどである。白人至上主義の強硬論が豪政府や議会でも根強かったが、マードックはそうしたオーストラリアの国策に批判的であった。

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