Big History その5 歴史の方法とKarl Popper

安倍首相の演説草稿には過去の歴史、それも1940年代から現在までの特に日米関係の推移や展望が語られている。それだけに限定された時間軸によって両国間の歴史にしか触れられていない。そこが「歴史認識」への踏み込みが不足していると指摘される所以であろうと考えられる。だが、歴史認識とは相当手強い概念である。

Big Historyに戻る。歴史は人文科学とか社会科学の分野の研究とされる。1950年代にカール・ポパー(Karl Popper)らが、科学哲学の方法論を展開するにつれて科学そのものの考え方が複雑化する。いわるゆる自然科学や社会科学といった分類が曖昧になっていく。さらに人間科学とか行動科学といったように人間の思考や感情、行動が研究の対象となりその方法も複雑になる。

歴史科学が対象とする歴史は、反復が不可能である一回限りで、個別的なもの、特殊なものと関わるという観点から、個性記述的さが特徴とされる。だが、歴史の記述の中には著者による歴史観や経験にもとづいた「主観性」が入り込むという特徴もあることは既に指摘した。それ故に、歴史上の推理は幅広く許されるものと考えられる。

推理には二つの古典的な方法があることが指摘されてきた。演繹推理と帰納推理である。演繹推理であるが、一般的に成り立つことを前提としてそこから特殊なことがらについてもそれが成り立つことを推論する。「全ての動物は死ぬ」と「人間は動物である」という前提から「人間は死ぬ」とい結論づける推論である。この種の推論を行う限り、絶対に誤りに陥ることはない確実な推論である。こうした推論で作りあげられるのが演繹体系といわれる。数学はそうである。歴史は演繹推理に向かない。

次に帰納推理である。これは特殊から一般を推論する方法である。観察や実験から科学の法則を導き出す方法である。この方法の特徴は演繹推理と異なり、絶対確実な推理ではないという点である。何十回、何百回の観察や実験によって確かめられたといっても、あるとき別な方法によって意外な結果が表れるかもしれないのである。従って、科学の知識とは絶対確実ではない推論を積み重ねて構成されるものだから、確実な知識ではない、「確からしい」知識といわれる。ある事が起こり得る「見込み」である蓋然性ということが歴史とか史実の特徴ではないかと思うのである。

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