図書館司書とは その四 司書養成の疑問と課題

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諸情報の収集と無料での提供という観点からすれば、現代の図書館はそれなりの役割を果たしてはいます。ですが情報通信技術(ICT)の更なる発展や、デジタルトランスフォーメーション(DX)というの顧客ニーズに即した新たな価値やサービス提供など デジタル化による迅速な意思決定の変化などを図書館司書も学ぶべき時代となっています。

 司書養成の基本となることは、図書館学の理解です。我が国の図書館法が、この学問分野をどのように規定し、司書の養成に反映しているかです。平成24年度から司書養成科目の新カリキュラムが全面的に改定されています。しかし、以下のような疑問や課題が浮かびます。

 司書養成大学や司書講習の機会が、以上のような現代的な変化に対応するプログラムになっているかどうかです。たったの約2ヶ月間で24単位を履修するというのは、驚くべきことです。しかも、講習による単位の履修にともなう評価や評定が明確でないことです。実習の評価を誰がするのかも不明です。前稿で引用した筑波大学の司書養成のカリキュラムでは、「インターンシップは選択科目ですが,司書を目指す人は就職先として希望する館種の図書館を実習先に選択して受講するよう強く勧めます。」とあります。インターンシップと実習の違いは、明確ではありませんが、図書館における働きの経験のない学生にインターンシップや実習を必須としないのは理解できかねることです。

 次に、卒業時に自動的に資格が取得でき、認定試験などがないことです。受講すれば単位がもらえるのであれば、誰もが司書の資格をとれます。講習を受けた者の資質や能力が不明なまま資格を与えるのは無責任というべきです。図書館学という科学に対する侮辱ともいうべきです。

 司書養成の講習に関する話題です。講習は、本来現職の図書館職員向けのものとされているため単位認定が甘く、「暇と講習料さえあれば取得できる資格」といわれるほど講習内容が貧相でおざなりな講習会といわれています。本当かどうかは不明ですが、、、我が国の司書に関する根本的な課題とは、司書の専門性と役割を重視しない風土、そして図書館学の未熟さにあると考えられます。

 現在の日本の公立図書館には、非正規である会計年度任用職員や業務委託によって運営されているところがあります。司書の資格を持っていても正規雇用となるケースが少なくないといわれます。注意すべきこととしては、「司書資格を持っていること」と「図書館員として採用されること」は別です。公立図書館では、自治体の公務員試験に合格する必要があります。

鎌倉市中央図書館より引用

 ただし、「司書職」として社会人経験者枠、障害者枠、就職氷河期世代枠など、特別枠を設けている自治体は実際に存在します。神奈川県は2026年度に障害者枠での採用選考を実施します。長野県の飯田市は社会人採用枠で司書を募集しています。鎌倉市は、30年ぶりに専門職として司書の正職員を採用し、2人の新任司書が4月から市立中央図書館で働き始めています。しかし、多くの自治体では一般行政職として採用し、後に図書館へ配属します。大学の場合は、職員採用試験や、国立大学法人等職員採用試験を受ける必要があります。

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図書館司書とは その三 専門職となるために

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我が国で図書館司書という専門職として認められるためのルートは、以下のように大きく分けて3つあります。

  1. 大学・短大で単位を修得する。
     司書資格をとるための最も一般的なパスで、大学や短期大学に在学中、自分の専攻とは別に「司書課程」を履修し、卒業と同時に資格を得る方法です。対象者は 大学生や短大生となります。文部科学省が指定する生涯学習概論、図書館概論、情報資源組織論など合計24単位を履修します。司書養成課程がある主な大学は筑波大学など、全国で約190校あります。
  2. 司書講習を受講する。
     すでに大学を卒業している人や、図書館で一定の実務経験がある人が、短期間で集中して単位を修得する方法です。対象者は大学や短大卒業者、または3年以上「司書補」としての実務経験がある高卒者です。夏季集中講習は毎年7月〜9月頃に実施されます。講習の実施校は文部科学大臣が委嘱した明治大学、富士大学、鶴見大学、愛知学院大学、桃山学院大学、別府大学、聖徳大学、玉川大学などです。各大学によって、対面・オンライン併用、オンデマンド等履修の方法が異なります。
  3. 通信制大学で単位を修得する。
     働きながら自分のペースで資格を取りたい人に選ばれる方法です。対象者は社会人、他大学の在学生などで、司書講習と同じカリキュラムをレポート提出・スクーリング・試験を受けて単位を修得します。 司書になるためには、以下のような専門的な科目群を学びます。
    ・基礎科目: 図書館概論、図書館情報技術論、図書館制度・経営論
    ・サービス関連: 情報サービス論(レファレンス)、児童サービス論
    ・資源の整理: 情報資源組織論(目録作成や分類)、情報資源概論
    ・活用と演習: 情報サービス演習、情報資源組織演習  

     司書および司書教諭の資格取得カリキュラムを提供している日本を代表するといわれる筑波大学は、本格的に図書館情報学を学べる環境となっています。筑波大学における図書館司書の資格要件では、次のように説明されています。

「図書館に関する科目に指定されたうち 14 科目を履修することで司書の資格を取得できます。専門科目は主専攻をまたがって開講されており,いずれの主専攻を選択しても,無理なく司書資格の取得が可能です。司書資格は公共図書館のための資格であり,他の館種では必須ではありませんが,図書館関係の専門職を目指す人には司書資格の取得を勧めます。「インターンシップ」は選択科目ですが,司書を目指す人は就職先として希望する館種の図書館を実習先に選択して受講するよう強く勧めます。」

「インターンシップ」は選択科目であるという説明は、選択しなくてもよいという意味です。「司書を目指す人は就職先として希望する館種の図書館を実習先に選択して受講するよう強く勧めます」という文言も気になります。実習先を選択しなくても、実習をしなくてもい、という曖昧な説明です。筑波大学たるものがこのような体たらくでよいのでしょうか。

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図書館司書とは その二 図書館司書から教わったこと

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私は北海道大学と立教大学で学び、その後はウィスコンシン大学(University of WIsconsin-Madison)で学位をとり、国立特殊教育総合研究所と兵庫教育大学で仕事をしました。ですが日本の大学の図書館司書(librarian)の世話になったことは全くありません。コンピュータやネットワークの無い時代。手作業で芋づる式に参考文献を探しました。司書の活用を知らなかったといえばそれまでですが、、、

 今回の話題は図書館司書の専門性と養成についてです。司書は図書館情報学の知識と技術を活かして、図書館利用者のニーズに応える役割を担っています。振り返ると日米の大学の違いは、大袈裟にいえば図書館司書の専門性、図書館の市民の認知度、そして図書館学(library of science)の認識にあるのではないかと考えます。

 ウィスコンシン大学では、オリエンテーションで図書館の利用方法を教わりました。そのお陰で専門職である司書にひとかたならぬお世話になったのです。やがてその専門性には驚いたものです。実に良く熟練しています。とりわけデータベースの活用と検索能力です。もっとも、司書は、大学や公共図書館、専門図書館での雇用条件として図書館学の修士号か博士号を有しなければならないので、その力量は当然のことです。

Wisconsin Historical Society

 我が国とアメリカの司書養成の仕組みや内容を調べると、そこに大きな違いがあることがわかります。まず、我が国では司書となる資格は、図書館法に規定する公共図書館の専門職員となるためとなっています。しかし、公共図書館の大部分では、司書の資格を取得した者を専門職、あるいは正職員として採用する人事制度があるとは限りません。多くの自治体で主流となっているルートが一般行政職(事務職)からの配置換えです。一般的な公務員試験(地方公務員上級・中級など)に合格して採用された職員が、人事異動によって図書館に配属されます。このような措置は、図書館司書の重要性についての理解が雇用する側に不足しているとしかいいようがありません。公立、私立の小中高校に司書教諭がいても正式なルートで司書の資格を有するかどうかも分かりません。

  アメリカの大学で、あるテーマについての小論文とかポジッションぺーパーの課題が与えられたとします。ポジッションぺーパーとは、例えば「妊婦の羊水検査(Amniocentesis)は必要かどうか」、という課題などに自分の見解を述べる小論文のことです。羊水検査で胎児に染色体異常はないかが分かるのです。ですが異常が見つかったときの親の心理的なストレスも生まれます。そのためにはこのテーマにそった医学や心理関連の文献を調べなければなりません。まずは図書館へ行って司書に手伝ってもらうのが一番なのです。

 私が全米の諸々のデータベースがネットワークで繋がっているのを知ったのは45年前です。図書館司書は検索の技量が秀でていて、利用者の要望に応じて全米各地のいろいろなデータベースを調べてくれます。図書館で司書に助言や支援を受けるのがアメリカを含めて海外の大学で学ぶときの要諦です。司書によって検索されたいくつかの参考文献を引用して書き上げた小論文とかポジッションぺーパーでは、確実に「優」をもらえると請け合います。

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図書館司書とは その一 図書館の役割

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知人の一人が公共図書館の司書をしています。彼女からその任務を伺いながら、日本と欧米の図書館司書養成の仕組みや課題を考えました。近年は図書館の果たす役割と情報の関わりが深くなり、両者を一体的に扱う図書館情報学(library and information science)も注目されています。現代の図書館は、知識を提供したりそれを得る場所から、格差や孤独など教育や福祉に関連した社会課題を解決する拠点へと進化しています。

 さらに、デジタルアーカイブによる文化資源の継承という任務も帯びています。歴史的な文書や地域の資料をデジタル化し、世界中からアクセス可能にする活動は、地域のアイデンティティの醸成や研究の活性化に直結しており、図書館の役割は大きくなっています。そこで重要になるのは、情報と人、そして社会を繋ぐことに従事する専門家、図書館司書の養成です。

 日本の図書館司書の養成の仕組みは、主に昭和25年に旧文部省が定めた「図書館法」に基づいて運用されています。現在の司書の養成と資格の取得は「免許」というよりは「講習の修了証」に近い性質を持っています。次稿では、私と図書館司書との小さな関わりを取り上げます。

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「ドチリナ・キリシタン」 その三 万民にわかりやすく

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「どちりなきりしたん1600年長崎版」の序には次のように記されています。誰にでも教理が理解できるように配慮しているという説明です。

「上下、ばんみんにたやすく、このむねをしらしめんがために、こと葉はぞくのみにちかく、儀はデウスのたかきことはり(理)をあらわすもの也」

 「媚びたる言葉」とは、上品ぶった言葉遣いではなく、万民の親しみ理解しやすい「世話体」を使っているという説明です。翻訳者は誠に真摯な態度で翻訳にあたったことが伝わる解説です。

 仏教文学が伝来以来、数百年を経てようやく日本文学史上に登場してきました。他方キリシタン文学は伝来以来、わずかに20年ほどで開花し、40年ほどである種の成果を上げたのです。仏教が経典などが貴族社会に浸透したのに対して、「ドチリナ・キリシタン」では万民に理解せしむべきとして、「ドチリナ」教育をとおして、文学や思想を受容できるように、庶民的な地盤を形成したといえます。キリシタン宗門の宣教活動が、福音を「上下万民にやたすく知らしめる」という発想があったのです。

Alessandro Valignano

 日本では刊行年や刊行地共に不明の国字本「どちりいな・きりしたん」が文学の最初です。続いて文禄元年(1592年)発行の天草版ローマ字本、慶長5年(1600年)発行の長崎版ローマ字本、同年発行の長崎版国字本「どちりな・きりしたん」の4種類があります。これらの本の収蔵館は順番に、バチカン図書館(Bibliotheca Apostolica Vaticana)、東洋文庫、水戸徳川家、カサナテンセ図書館(Biblioteca Casanatense)となっています。

 まとめですが、「ドチリナ・キリシタン」のローマ字本はヨーロッパ人の日本語学習のため、国字本は日本人信徒の教理学習用として編纂されています。既述したように、国字本は問答体の平易な文章で書かれています。天正18年(1590年)に2度目の来日をしたアレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano) がヨーロッパから持ち込んだ活字印刷機により他の数々の書物と共に印刷したといわれています。

 作曲家の千原英喜は「どちりなきりしたん」という5つの作品を残しています。祈りや讃美の普遍性を込めて作曲したことがうかがえる混声と男声合唱曲です。歌い手は、ラテン語の発音にとらわれることなく、翻訳者と作曲家のエートスを汲んで歌って欲しいものです。

参考図書
・どちりなきりしたん 岩波文庫 1950年
・キリシタン南蛮文学入門 海老沢有道 著  1991年
・南蛮寺興廃記 海老沢有道 著 平凡社東洋文庫 1964年
・キリシタン研究 海老沢有道, 井手勝美, 岸野 久【編著】 1993年

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「ドチリナ・キリシタン」 その二 翻訳の難しさ

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この翻訳を読んで、キリスト教の教理書を江戸時代に誰が翻訳したのかを考えました。キリスト教の思想を、それを生んだ世界とは異なる日本の文化圏に移そうとした動機と「言葉」という媒体によってどのように日本語化したです。ポルトガル語(Portuguese)やラテン語(Latin)の辞書もない時代、どのようにして翻訳したのか、実に驚きです、一つの言語から他の言語に翻訳するとき、往々にして別の思想にもなりがちだ、と思うのですが、「どちりいな きりしたん」を読むとそうではないようです。

 翻訳の作業には特有のぎこちなさが生まれるものです。浅学の一人として英語と日本語の翻訳をやっているときですら、そう感じます。しかし、「どちりな きりしたん」には、そのぎこちなさ、不自然さがないなめらかさがあるのです。翻訳に携わった信者のすみずみまでのこころ配りや、おろそかにしない辛苦が伝わってきそうです。

イエズス会宣教師(NHK Oneより引用)

 「ドチリナ・キリシタン」では、すべての人類が神による同じ被造物として霊性を与えられた存在であり、救いにあずかるべき価値と権利とを持つ者とされます。一個の人格は一切の権力の掌握にもまさる尊い存在として確認するキリスト教ヒューマニズムの再認識です。こうした世界観や人間観は、日本の思想史上まったく存在しませんでした。キリシタン大衆が果たして、それらを理解し把握したのでしょうか。そうした疑念があります。

 それまで文字にすら接しなかった農漁民らが、「ドチリナ・キリシタン」というキリスト教理に通暁し、救いに預かり洗礼を受け入れるというだけでも困難なことであったと考えられます。救いとか救済ということは、浄土門的な素養を媒介によって理解することができたのでしょう。浄土門的な救済とは、一言で言えば「自分の力を捨てて、仏の力にすべてをゆだねることで救われる」という考え方です。

 事実、現地の文化や習俗を尊重し、それらとの適応を採って布教効果を挙げる方針を採ったイエズス会士らは、多くの仏教的な表現を採用しました。キリスト教の根本的な教理である、在来の日本思想界にない概念は、原語というー本語主義を採ります。創造主のデウス、神の子キリストの受肉、救済、復活、三位一体、という神学的用語は庶民には容易には理解しがたいものであったはずです。それにも関わらずキリシタン教会では、「ドチリナ・キリシタン」にあるように、きわめて行き届いた教理教育を行ったことが伺われます。

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「ドチリナ・キリシタン」 その一 ローマ公教要理

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我が北海道大学合唱団OB会が「どちりなきりしたん」という合唱組曲を歌われるのを聞いて、バチカン図書館蔵の「Doctrina Christam」影印を撮ってみました。1600年刊行とあります。

長崎版「どちりな・きりしたん」

 「ドチリナ・キリシタン」というのは、戦国時代から江戸時代初期にかけて、イエズス会(Jesuits)の宣教師たちが日本での布教のために作成したキリスト教の初歩的な教理書(カテキズム: Catechism)です。もとは、ローマ・カテキズム(The Roman Catechism)というローマ公教要理に依拠しています。江戸時代の禁教期、キリスト教の教えを記した書籍が没収・焼却されるなか、信者たちが口伝、あるいは書き写して守り抜いたものといわれます。キリシタン史研究の権威であったc教授による校注や現代語訳は、難解な古語や宗教用語を理解するための重要な資料となっています。

 「ドチリナ」は「Doctrina」というラテン語で、「教義とか教理」を意味します。「キリシタン」は、もちろんキリスト教徒で切支丹とも呼ばれていました。「ドチリナ・キリシタン」は、当時のキリシタンが知っておくべき基本的な教えをまとめた教理書です。「ドチリナ・キリシタン」は対話の問答体で書かれているのが特徴で、信者が抱く教理への質問に指導者が答える形で進んでいきます。

 その教理とは「十戒: Ten Commandments」という守るべき10の戒律、「主の祈り」や「聖母マリアへの祈り」などの祈祷文、三位一体(Trinity) の教え、七つの大罪(Seven Deadly Sins)についての教義、そして洗礼といった儀式の秘跡のことです。ルーテル教会では、マルティン・ルターが1529年に著した「小教理問答書」(Small Catechism)が使われています。この問答書は、「ドチリナ・キリシタン」にあたります。

 「ドチリナ・キリシタン」を基にした、混声と男声合唱曲があります。千原英喜が作曲し5つの作品からなります。歌詞では、キリスト教の概念を説明するために、天主(デウス)や、おらしよ(オラショ=祈り)といったキリスト教特有の語彙が表れています。海老沢は、これらキリシタン文献を読みやすく書き起こすことを精力的に行った学者です。彼の業績によって、一般の読者も戦国から江戸初期にかけて日本に定着しようとしたキリスト教の精神性や、南蛮文化の深さの一端を知ることができるようになりました。

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キリシタンと共産党員 その四 強固な連帯感

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第二次大戦の終わりに樺太や千島列島の占領、多数の捕虜のシベリヤ抑留と過酷な労働などが、ソビエト共産主義体制の恐ろしさを国民の間に植え付けたのは否めません。海外の共産主義国家、例えば旧ソ連・中国・北朝鮮の印象が国民に今も強固に根付いています。旧ソ連のスターリンによる粛清、現在の中国や北朝鮮における一党独裁や人権問題などが、「共産党=独裁・抑圧」という強力なイメージを作ってしまいました。日本共産党はこれら諸国の党とは一線を画し、自主独立を強調していますが、一般市民から見れば「同じ名称を冠する勢力」として同一視されやすいのが実情です。

サンフランシスコ平和条約による領土の確定

 共産党は非常に規律が厳しく、組織としてのまとまりが強いことで知られています。この強固な連帯感が、外部の人からは「独自の論理で動く集団」とか「何を考えているか分からない」といった一種の不気味さや近寄りがたさを感じさせてしまうことがあります。組織の閉鎖性という側面が国民に忌避感を与えているのです。

他方で、最近では以下のような理由から、一定の支持や評価を得ている側面もあります。草の根の生活相談:として地域の困りごと、介護、税金、労働問題などに対して、非常に親身に相談に乗る党員や地方議員が多いnおも事実です。にも関わらず「過去の過激なイメージ」と「独裁的な海外諸国の印象」が、現在の党の活動以上に大きな壁となって、日本人の心理的な拒絶反応を引き起こしていると言えます。

 日本の「和」の感性からすると、キリスト教は唯一絶対の造物主の存在が厳格すぎると受け止めます。共産党は組織の特有性や共産主義国家の存在が、国民にマイナスの先入観を与えています。一度国民に刻印されたような思考や思想は,長い年月を経ても容易に熔解しないものです。それが「キリシタンは国を売る」という流布であり、「共産党は怖い」という観念なのです。時代を経てもイメージや思想は、しぶとく生き延びるという例証です。

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キリシタンと共産党員 その三 「暴力革命」のイメージ

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次に共産党の停滞の現象についてです。日本において共産党やその党員が一部で忌避感を持たれたり、広く受け容れられるのが難しい背景には、歴史的、政治的、そして社会的な複数の要因が絡み合っています。最も大きな要因の一つは、1950年代前半に日本共産党が採用した「武装闘争方針」の記憶です。「暴力革命」のイメージを世間に与えたのです。当時、火炎瓶などを用いた過激な活動が行われた時期があり、これが当時の人々に強い恐怖心を与えました。

 後に党は「平和革命」の路線に転換しましたが、当時の「過激」、「怖い」というイメージが年配層を中心に根強く残り、世代を超えて語り継がれてきた側面があります。こうした経緯を振り返ると、江戸幕府がキリシタンに対して与えた恐怖が共産党の辿った厳しさの恐れに類似していることが分かります。マインドセットは痕跡であり、容易に払拭されるものではありません。

 共産党の停滞には、日本の伝統的な価値観や「象徴天皇制」という国体との相性も影響しています。共産党は綱領で「君主制の廃止」を掲げていた歴史があます。現在も最終的には「共和制」を理想としてはいます。多くの日本人が抱く天皇制への親愛の情や、一般的な保守的な国民感情と共産主義の理論が共存しないという背景があります。現在は象徴天皇制を容認しつつも、国民の共産党への理解や支持にはハードルがあるといえます。

 現在の日本共産党の公式な党綱領では、ただちに君主制を廃止して共和制を樹立することは求めていません。2004年の綱領改定以降、以下のような立場をとっています。
つまり、憲法の第1条を含む全条項を厳格に守るという立場から、現在の「象徴天皇制」を認めています。ただし、天皇の政治利用や、戦前のような絶対的な権力を持たせる元首化には強く反対しています。

しんぶん赤旗日曜版−2026年5月号

 共産党は本来、「主権在民」の原則を徹底すべきという思想を持っています。そのため、天皇制を継続するかどうかは、「国政の主人公である国民の総意によって解決されるべきだ」としています。もし、将来的に国民が「天皇制は不要」と判断すれば、結果として共和制、あるいはそれに類する体制へ移行するのが望ましいというスタンスです。

 日本共産党は戦前、天皇に絶対的な権力があった明治憲法体制での「絶対主義的天皇制」を激しく批判し、そのために弾圧された歴史を持っています。戦前の体制が軍国主義や破滅的な戦争につながったという強い警戒感があるため、皇統の世襲による権威が政治的に利用されることに対して極めて敏感です。

 しかし、国民の間に天皇制は不要であるという民意が広がる情勢ではありません。今は、天皇制をいかに維持、発展させるかが議論されています。それが、国会で審議中の皇室典範の改正です。

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キリシタンと共産党員 その二 キリシタン禁教令

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戦国時代から江戸時代にかけて カトリック教会の教徒はキリシタンと呼ばれていました。宣教師追放令を含むキリシタン禁教令は、特定の誰か一人が一度だけ出したものではなく、時の権力者たちによって段階的に強化されていきました。1587年(天正15年)に豊臣秀吉によるバテレン追放令がだされます。九州平定を終えた秀吉が、長崎が教会領となっていることや、日本人が奴隷として売買されている実態を知り、バテレンと呼ばれた宣教師の国外追放を命じたのです。ただし、当初は南蛮貿易の利益を優先したため、徹底した禁教には至りませんでした。

切支丹禁札

 1612年(慶長17年)に江戸幕府を開いた徳川家康が、耶蘇教とも呼ばれていたキリスト教の教えが幕府の主従関係をもとにした支配体制を脅かすと判断し、全国にキリスト教の信仰を禁止する命令を出しました。これにより教会が破壊され、修道士や高山右近などの有力なキリシタンが国外へ追放されました。所領や財産を失った右近はのちにフリッピンで病死します。

 第三代将軍家光の時代に、禁教は最も厳格化します。1638年の島原の乱の鎮圧を経て、1639年にはポルトガル船の来航を禁止します。さらに「宗門改」や「踏絵」といった制度を整え、キリシタンを完全に排除する体制を築きました。鎖国とキリシタン禁制が徹底化されキリシタンとわかれば火あぶりの刑に処せられました。「かの伴天連の徒党、件の政令に反し、神道を嫌疑し、正法を誹謗し、義を損なう、邪法にあらずして何ぞや」、「キリシタンは国を売る」と江戸時代の人々はそう思い込まされたのです。

 徳川幕府のみならず、政権の座にある者ははときに自分にとって都合のいい伝説をつくるものです。一つの政治体制が伝説を作って長年宣伝し続ければ、人々は信じてしまうものです。禁教令は300年続きました。その間、誰もがキリシタンは怖ろしい、と思ってしまったのです。翻って今や憲法によって信教の自由が認められていても、300年の旧教に対する圧制の影響は拭い去られていないというべきです。

 キリスト教は一神教であり、他の宗教と共存することは教義上ではありえません。その厳格さが日本人一般の宗教観に適合できなかったというべきです。明治になってキリシタン禁制が解除された後も、バテレン邪宗門の観念は根強く残存し、耶蘇教ーキリスト教撲滅運動は全国的に激しく行われます。

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キリシタンと共産党員 その一 一神教

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世の中であらゆるモノの価格が上がっている一方で、停滞しているか下がっている現象もあまたあります。例えば出生率や人口です。お金そのものの価値や実質賃金も下がっています。ブランドロイヤリティが下がり、代替品の購入が増えています。節約傾向を反映して、「ついで買い」も下がっています。本稿は、社会的、歴史的事情を念頭に、特に宗教や政治に関して下がっている現象、人々の態度や行動を考えることにします。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会内の最後の晩餐図

人間の精神的な柱である宗教に関していえば、宗教法人の減少や売買といった現象が起こっています。一義的には信徒が減ったことがその原因といえます。キリスト教会を例にとると、信徒の減少によって教会の統合や閉鎖が見られます。こうした減少と他方カルト宗教の台頭という事象は、時代の変容もさることながら人間の生き方のあり方の変化を象徴しているようです。

キリスト教徒が増えない現象を振り返ると、そこには歴史的な経緯もあることがわかります。特に旧教といわれるカトリック教会の歴史を辿るとそこには、日本人の精神にある一神教に対する忌避感や疎外観が関わっているようです。つまり、一神教であるキリスト教の「唯一神のみを信じる規律」は、既存の人々の血縁や地縁の慣習と衝突しやすく、心理的なハードルとなっていると思われます。次稿では、その歴史的な事情を考察します。

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