アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その52 『Beehive State』とユタ州

ソルトレイク(Salt Lake)国際空港に近づきますと、地表は真っ白の塩で覆われています。19世紀初頭から、スペイン人探検家、ニュー・メキシコの罠猟師や交易業者が西海岸への近道を探す過程でこの地を踏査します、その結果有名な貿易街道である「オールド・スパニッシュ・トレイル」(Old Spanish Trail)が生れます。この街道は、後の開拓者がカリフォルニアやオレゴンに向かう際に通ったところです。州名は、先住インディアン部族、ユテ族(Ute)の「山の民」に因んでいます。

1847年に中西部における宗教上の対立から逃れ、ブリガム・ヤング(Brigham Young)に率いられ安住の地を求めるモルモン教徒(Mormons)達がこの地に辿り着きます。現在も州人口の64%がモルモン教徒といわれ、その総本山は州都であるソルトレイクシティ市にあります。1880年代に一夫多妻制を違法とする法律が成立し、モルモン教会は1890年の綱領で一夫多妻を禁止します。

Salt Lake

モルモン教会、別名末日聖徒イエス・キリスト教会の教徒が多数を占めることから、同州に根づいている踊りや演劇は元来、モルモン青年の教会活動の一環として生まれたものといわれます。音楽では特にタバナクル聖歌隊(Mormon Tabernacle Choir)は世界で最古, 最大の聖歌隊の一つです。大聖堂のオルガンのパイプは11,623本もあります。私は、ユタ州立大学(Utah State University)を訪ねたついでに木曜日夜の聖歌隊リハーサルを楽しみました。練習後、見学者のQ&Aも良かったです。Tabernacleとは、日本では「幕屋-テント」と訳されています。

Mormon Tabernacle Choir

ユタ州の主な鉱物資源は、銅、金、モリブデン及びマグネシウムです。ユタ州は豊富な鉱物資源に恵まれており、ソルトレイクシティ市周辺には、金・銀・銅・鉛などの鉱床があり、ゴールドラッシュ以降、ユタ州は鉱山開発に伴って発展します。特に銅鉱石はユタ州の鉱物生産の中でも最も多い生産高を有しています。

ユタ州の名産に蜂蜜があります。養蜂が盛んなのです。蜂は州の昆虫となっているので『Beehive State』(蜂の巣州)と呼ばれています。また、アメリカにおける航空宇宙産業の中心地としても知られており、近年ではIT産業も大きく発展しています。ユタは、2002年に冬季オリンピックがソルトレイクシティで開催されたことで日本でも広く知られるようになりました。5つの国立公園にはさまざまな自然の不思議があり、「レッドロックのワンダーランド」(Red Rock Wonderland)と呼ばれるアーチーズ国立公園(Arches National Park)には、その名が示すように2,000以上の自然のアーチ状の造形物があるといわれます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その51 『Lone Star State』とテキサス州

アラスカ州に次いで全米第2位の広さのがテキサス州(Texas)で、日本の面積の約2倍にあたります。1836年から1845年までの間、テキサス共和国(Republic of Texas)という独立した国家でもありました。その時代から使用されていた白い星を一つあしらった州旗から「ローン・スター・ステイト (Lone Star State) 」という愛称もよく知られています。人口ではヒューストン(Houston)が州内で最大で、他にサンアントニオで(San Antonio)が州内第2位、ダラス・フォートワース(Dallas Fort Worth) などの大都市があり、州都はオースティン(Austin)となっています。

River Walk, San Antonio

テキサス州は西部開拓時代の雰囲気をも色濃く残しています。南北戦争後のテキサス州を繁栄させた産業は牛の牧畜でした。牧畜業の長い歴史があるためにテキサスは、カウボーイのイメージと結び付けられることが多いようです。Ten Gallon Hat と呼ばれるカーボーイが被る帽子があります。広大で多様性に富むテキサス州は、事実、テキサス州の風景は、不毛の荒れ地から海水浴ができる海岸線、緑が生い茂る山々、広大な草原まで多岐に渡ります。

サンアントニオには、数百年の歴史を持つスペインの伝道所、アラモ(the Alamo)があります。アラモは 1800 年代に長きに渡り決戦の舞台となりました。1836年にテキサス共和国として一方的に独立を宣言しますが、同年メキシコ軍の進軍により入植者がたてこもっていたサンアントニオのアラモ伝道所の砦が陥落し、守備隊は全滅します。かの有名な「アラモの戦い」です。サンアントニオには人気が高いリバー・ウォーク(River Walk)などがあり、年間1,000万人以上が訪れる全米有数の観光都市としても発展しています。

The Alamo

アメリカ航空宇宙局 (NASA) の宇宙センターであるジョンソン宇宙センター(Johnson Space Center)はヒューストンにあります。有人宇宙飛行の訓練、研究および飛行管制を行っています。テキサスでは今日、フォーチュン500に入る企業の数では50以上で全米のどの州よりも多くなっています。フォートワースは、20世紀初頭、石油が噴出し始め、1970年代終盤に再び噴出し、運送業、商取引の中心地となります。

20世紀半ばには大学に大きな投資をしたこともあり、多くのハイテク企業を含む多様な経済に発展します。テキサス大学オースティン校(University of Texas, Austin)とテキサスA&M大学(Texas A&M University)はテキサス州の旗艦大学となっています。どちらもテキサス州憲法で設立され、多額の恒久的大学基金の枠を持っています。フォートワースにあるテキサス・クリスチャン大学(Texas Christian University:TCU)も教育や研究で有名です。ライス大学(Rice University)も名門私立総合大学で試験や成績で最難関校となっています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その50 『Volunteer State』とテネシー州

テネシー州(Tennessee)は「志願兵の州(Volunteer State」というニックネームがついています。米英戦争(War of 1812)のとき、特に1815年のニューオーリンズの戦いで、テネシー州の志願兵が傑出した働きをしたことから名付けられます。 「バターナッツの州」(Butternut State)とも呼ばれています。米英戦争とは、イギリスの植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族とアメリカ合衆国との間で行われた戦争です。

テネシー州は全米の中でも音楽の都として知られています。合衆国造幣局50州25セントは、3つの星とギター、トランペット、バイオリンが描かれているコインです。3つの星は、楽器はそれぞれの地域の異なった音楽スタイルの楽器です。バイオリンは、テネシー州東部のアパラチア(Appalachian)地方の音楽、トランペットは、有名なメンフィス(Memphis)があるテネシー州西部のブルースを代表するもの、そしてギターは、テネシー州の中央部、カントリーミュージックの故郷であるナッシュビル(Nashville)の象徴とされます。ハンク・ウイリアムズ(Hank Williams)の “Hey, Good Lookin’は明るくリズムのきいた曲です。メンフィスは「ブルースの本拠地」(Home of the Blues)、「ロックンロールの発祥地」(Birthplace of Rock’n Roll)ナッシュビルは「ミュージック・シティ」(Music City)と呼ばれるほどです。

Great Smoky Mountains National Park

また州東部にはグレートスモーキーマウンテン(Great Smoky Mountains)どの国立公園などもあり、公園内には全長 約 1,300 キロのハイキングトレイルが整備されています。山々と鬱蒼たる森林が広がっています。車、徒歩、自転車で巡ることができます。 この公園には標高1,800 メートルを超える山が 16 峰もあります。穏やかな気候と変化に富んだ地形のおかげで、エルク(Elk)、アメリカクロクマ(American black bear)、鹿(dear)などが生息しています。

テネシー州南東部に位置する商工業、及び観光都市がチャタヌーガ(Chattanooga)です。チャタヌーガ(Chattanooga)とは原住民の言葉で「岩が迫りくる場所」という意味があり、その名の通り、ルックアウトマウンテン(Lookout Mountainsw)を中心にダイナミックな岩がひしめき合う土地があります。原住民族であったチェロキー族が強制移住を余儀なくされた歴史や、かつて南北戦争の激戦区ひとつとともなりました。

1930年代の世界恐慌(Great Depression) のときに失業者の就労を生み出す必要性がでてきます。そこで生まれたのが大統領フランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)が、世界恐慌の対策として実施したニューディール政策(New Deal Policy)です。田園部を電化する要望や、テネシー川が毎年春に洪水を起こしていたのを制御する必要性などです。こうして1933年にテネシー川流域開発公社(Tennessee Valley Authority: TVA)が設立されます。そして32個の多目的ダムなどが建設され、その総合開発によりテネシー州は急速に国内でも最大の電力供給州となります。

Tennessee Valley

ヴァンダビルト大学(Vanderbilt University)は、ナッシュビル市に本部を置く有名な私立大学です。1873年大学設置され、当時としては巨額の100万ドルを大学創立のために寄付した船舶や鉄道の大実業家であるコーネリアス・ヴァンダビルト(Cornelius Vanderbilt)にちなんで名付けられます。教育学部、法学部、経済学部、医学部等が有名で、私も二度この大学の教育学部で調査したことがあります。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その49 『Mount Rushmore State』とサウスダコタ州 

サウスダコタ州(South Dakota) はアメリカ中西部のグレートプレーンズ(Great Plains)と呼ばれる大平原にあり、州の面積の約90%が草原という緑豊かな土地です。南西部はハイプレーンズ(High Plains)という標高の高い平原地帯でもあります。ロッキー山脈(Rocky Mountains)から流れ出る河川によって形成された多くの堆積平野の総称といわれます。州の名前である「ダコタ」はアメリカ先住民族のスー族(Sioux)の言葉、ダコタ(仲間)に由来します。

州都は州のほぼ中央に位置するピエル(Pierre)ですが、最大都市は州の東側に位置するスーフォールズ(Sioux Falls)です。スーフォールズ一帯には州民の大半が住んでいます。他方、州の西側は牧畜業が盛んな地域で、特にブラックヒルズ(Blackhills)と呼ばれる低木の松におおわれた山地は、スー族が聖地としてあがめた場所でもあります。1870年代後半に聖地を守ろうとするスー族と白人との間で激しい戦いが繰り広げられたブラックヒルズは、「壮烈第7騎兵隊」(They Died with their Boots on)や「ダンス・ウイズ・ウルブス」(Dances with Wolves)など多くの映画の舞台にもなっています。そのブラックヒルズ一帯で最も有名な観光スポットが、4人の大統領の顔が彫られたマウント・ラッシュモア国立メモリアル(Mount Rushmore National Memorial Park)です。

Dances with Wolves

ブラックヒルズのマウント・ラッシュモア山(Mount Rushmor)には、刻まれた有名な18 メートルの石の顔を見ることができます。4 人のアメリカ大統領はジョージ・ワシントン(George Washington)、トマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)、エイブラハム・リンカン(Abraham Lincoln) です。この巨大な彫刻は14年の歳月をかけ1941年に完成します。州の愛称は、「ラシュモア山の州」(Mount Rushmore State)とか「コヨーテの州」(Coyote State) となっています。

Crazy Horse

マウント・ラッシュモアが民主主義の象徴とされるのに対し、アメリカ先住民族のシンボルがクレイジー・ホース(Crazy Horse)です。侵入者に対して勇敢に立ち向かったスー族の戦士、クレージーホースを讃えた記念碑(Crazy Horse Memorial)です。マウント・ラッシュモアの彫刻に携わった一人の彫刻家、コーチャック・ジオルコウスキー(Korczak Ziolkowski)が彫り始めました。1982年に彼が亡くなった後は、彼の家族がその意志を引き継いでクレージーホースを彫り続けています。完成すると高さ169メートル、幅192メートル、顔の大きさだけでも27メートルとなります。マウント・ラッシュモアの数十倍の世界最大の彫刻になります。民間からの寄付のみで支えられている現在進行中のプロジェクトです。1959年のアルフレッド・ヒッチコック(Alfred J. Hitchcock)監督映画作品『北北西に進路を取れ』(North by Northwest)のクライマックスシーンでは同記念公園の彫刻が舞台となりました。

マウント・ラッシュモアのあたりはゴールドラッシュ期に白人とアメリカ・インディアンとの激しい抗争が繰り返された地で、ラシュモア山を含むブラックヒルズは、古くよりアメリカ・インディアンの聖地とされていました。「グレート・スー・ネイション(偉大なスーの国)(Great Sioux Nation)」として、西部で最大最強の狩猟民族、スー族が領土としていた所です。現在も、同地で保留地(Reservation)を領有するインディアン部族はスー族のみです。クレイジー・ホース(Crazy Horse)はスー族の勇猛果敢な戦士で、しばしば白人と戦い、1876年にはカスター将軍(General Custer)の騎兵隊を全滅させたことは良く知られています。

Powwow

アメリカ先住民が住むサウスダコタ州では、さまざまな先住民族の文化に親しむことができます。実際の文化を見るには、パウワウ(Powwow)に参加することです。パウワウは「ワチピ」(Wachipi)とも呼ばれるアメリカ先住民の伝統的な祭典で、毎年サウスダコタ州の各地で開催されています。活気あるドラム演奏や歌、手の込んだ伝統衣装の踊り手が呼びものとなっています。とりわけ、最も歴史あるパウワウは、シセトン・ウォーペトン・オヤテ・ワチピ(Sisseton Wahpeton Oyate Wacipi)で、通常 7 月に開催され、アメリカ国内でも屈指の歴史を誇るパウワウといわれます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その48 『Palmetto State』とサウスカロライナ州

サウスカロライナ州(South Carolina)の位置ですが、北はノースカロライナ州、サヴァナ川(Savannah River)を挟んで南と西をジョージア州、東は大西洋に接しています。この州の成立過程から本稿を始めます。1540年、スペイン人探検家エルナンド・デ・ソト(Hernando de Soto)がこの地にやってきます。これがこの地における開拓の始まりといわれていますが、本格的な入植はその100年以上後になります。1670年、イギリスの植民地であったカリブ海西インド諸島のバルバドス(Barbados)から移民が訪れ本格的な開拓が始まります。この地は正式にイギリスの植民地となりますが、南部と北部に統治に関する意見の相違が生じ、南北の二つの地域に分けられることとなりました。

Map of South Carolina

1729年、この地はノースカロライナ植民地とサウスカロライナ植民地に分離され、その後独立戦争を経て1788年5月に合衆国憲法を批准、サウスカロライナは8番目の州として制定されます。近年では積極的に海外企業の誘致をしたり、大規模な商工業都市コロンビア(Columbia)、貿易の拠点である大きな港チャールストン(Charleston)なども持っており、経済発展を遂げる州としても知られています。 また、17世紀に持ち込まれたコメにより、ノースカロライナは大きな米作地となりました。これは、アフリカからこの地に連れてこられた奴隷たちが、元来米作の技術に長けていたことが大きな要因だったそうです。 州のニックネーム「パルメヤシの州」(The Palmetto State)となっています。

Charleston

州都はコロンビア(Columbia)、最大の人口を抱える都市はチャールストン(Charleston)であす。チャールストンでは、サウスカロライナ州の大西洋に面し、古くから貿易港として栄えてきた街です。古き良き時代の南部建築が軒を連ねるこの街は、”アメリカ人の誇りと心のふるさと”と言われています。

State House(Capitol)

南カロライナは州の沿岸の地域であるローカントリー(Lowcountry)の肥沃さと後のチャールストンなど良港があることで繁栄します。地域はその文化と歴史を共有していて、セントヘレナ島(St. Helena Island)のガラ人(Gullah)、ビューフォート(Beaufort)近くの初期のヨーロッパの入植地の影響は今も残っているといわれます。開拓地が広がり、鹿皮、木材、牛肉の交易が繁盛します。米を生産していたアフリカの地域から輸入した奴隷の技能と技術を使って、大規模な米の栽培が行われたことで知られています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その47 『Little Rhody』とロードアイランド州

全米50州の中で面積が最小の州であり、神奈川県と同じくらいの面積の州です。そのため、州の愛称が「Little Rhody」となっています。1636年に神学者ロジャー・ウィリアムズ(Roger Williams)が「慈悲深き摂理(Providence)」によって、この土地を見出したときに名づけたと記録されています。ウィリアムズらは、ナラガンセット族(Narragansett Tribe)から贈られた土地にコロニーを設立します。ウィリアムスはマサチューセッツ州でピューリタンに追放されてロードアイランド(Rhode Island)に到ったのです。1647年、ロードアイランドの植民地はプロビデンス(Providence)と合併し一つの政府となり、良心の自由が改めて宣言されます。この地域はその信条のために迫害された人々にとって安全な天国となり、バプテスト(Baptists)、クエーカー(Quakers)、ユダヤ教徒(Jewish)その他が平和と安全の良心に従ってこの地にやってきたのです。

Pawtuxet Village, Rhode Island.

ウィリアムズはナラガンセット湾(Narragansett Bay)にある他の島々にも美徳に関した名前とします。たとえば、ペイシャンス島(Patience Island)(忍耐)、プルーデンス島(Prudence Island)(分別)、ホープ島(Hope Island)(希望)といった島々です。仲間の開拓者達と「公共の事項」における多数決原則と「良心の自由」を定めた平等主義的憲法で合意を形成した神学者です。政教分離という国家と宗教団体の分離の原則を貫く神学者でもありました。

Cliff Walk, Rhode Island

ロードアイランドでは1652年5月18日に北アメリカで初めて奴隷制度を違法とする法律を可決したことで知られています。また債務による収監や極刑を廃止する法律を成立させ、さらに1652年3月に、黒人および白人双方の資産としての奴隷制を廃止したことでも知られています。

アメリカ合衆国の州を巡る その46『要石の州』とペンシルヴァニア州

ペンシルヴァニア州(Pennsylvania)は、独立戦争時代の史跡、フィラデルフィア(Philadelphia)やピッツバーグ(Pittsburgh)のような大都市、アーミッシュ (Amish) によって占められているいくつかの農業地域やかつての強力な産業史で有名な州です。

ヨーロッパ人として最初にペンシルヴァニアに入ってきたのはスウェーデンやオランダの入植者でした。ペンシルヴァニアと命名したのは、イングランド王チャールズ2世(Charles II)。やがてクエーカー教徒(Quaker)でイギリス人のウィリアム・ペン(William Penn)がペンシルヴァニア州を整備し「シルヴァニア(Sylvania)」と名付けたものをウィリアム・ペンの父ウィリアム・ペン卿に敬意を表して改称しPennsylvaniaとなりました。ペンシルヴァニア州は、アメリカ合衆国において最も歴史のある州の一つとなりました。そのため、州の愛称は「要石の州」(Keystone State)と呼ばれます。 「Quaker State」クエーカー教の州とも呼ばれます。

Pennsylvania Dutch

ペンシルヴァニアは、18世紀中頃アパラチア(Appalachian)炭田,19世紀中頃には油田が発見され,五大湖周辺の鉄鉱石の利用,運河,鉄道などの発達に伴い,ピッツバーグやベスレヘム(Bethlehem)を中心にアメリカ有数の鉄鋼業地域となりました。ペンシルヴァニアといえば、フィラデルフィアを取り上げなければなりません。ニューヨークとワシントンDCの間に位置するこの街は、独立宣言がなされた地であり、合衆国憲法が立案された場所でもあります。独立歴史公園では独立宣言のときに打ち鳴らされた自由の鐘(Liberty Bell)を見ることができます。ピッツバーグはかつて鉄鋼業の中心地として栄えた都市です。

Robert Lee

州南東部のランカスター(Lancaster)を中心とする田園地帯には、ペンシルヴァニア・ダッチ(Pennsylvania Dutch)と呼ばれる人々の集落があります。入植・建国当時の佇まいを多く残しています。その暮らしぶりは、「プレーン」(Plain)と表現されることがあります。何も飾らず、何も付け加えない、あるがままの暮らしをしているといわれます。17世紀から18世紀にかけてドイツ語圏から合衆国に移住したゲルマン系ドイツ系の子孫や言語がペンシルヴァニア・ダッチです。英語の”Dutch”はドイツ語の”Deutsch”に由来し、古くはオランダ人ではなくドイツ人のことを指します。アーミッシュ(Amish)やメノナイト(Mennonite)といったクエーカー教徒の社会では第一言語として話されています。

Gettysburg

南北戦争の転換点となったといわれるゲティスバーグの戦い(Battle of Gettysburg)の古戦場があります。ここが激戦地となったのは、鉄道や主要道路が集まる交差点であり、そこを確保できれば戦争を有利に進められるからだったのです。つまりゲティスバーグは補給と部隊増強の要所だったといえるでしょう。3日間の激戦で北軍は南軍を撃退し、それによって北軍は南部への侵攻ルートを確保することができたといわれます。その戦いの4ヶ月後の1863年11月1日に行われた戦没者墓地奉献式で、合衆国大統領リンカンが演説を行います。それが「ゲティスバーグ演説 」(Gettysburg Address)です。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その45『ビーバーの州』とオレゴン州

太平洋岸のこの州は、戦前多くの日本人が移住したところです。州の名前と同じ名のついた「オレゴン・トレイル」(Oregon Trail)は、西部開拓時代に先駆者たちを「西へ」と掻き立てる道でした。シミュレーションゲームにも「オレゴン・トレイル(街道)」があります。1846年を舞台にプレイヤーは幌馬車で移動する開拓者のリーダーとなって、西部を目指すという内容です。過酷で危険な旅程で知られる街道を辿り、西部開拓の歴史を学ぶ目的で開発されます。その名のように、オレゴン州 4 つの国立歴史トレイルがあります。

Oregon Trail

州都はセイラム(Salem)で人口最大の都市はポートランド(Portland)です。セイラムといえば、映画「カッコーの巣の上で」(One Flew Over the Cuckoo’s Nest)が撮影されたところです。1960年代の精神病院を舞台に、当時のアメリカの社会体制の中で抗う男の姿を描いたこの映画の荒筋を少し紹介します。刑務所に収監されていた38歳のランドル・マクマーフィー(Randle McMurphy)は刑務所での強制労働を逃れるため、精神疾患を装って精神病棟にやってきます。そこでは看護婦長ラチェッド(Ratched)の厳しい規律のもと、管理された患者たちがいます。マーフィーは、持ち前の社交性を活かして、そんな環境に置かれた患者たちの中に生きる気力を与えていくというストーリーです。主演はジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)でした。

アメリカでは珍しく全米で5つの消費税がない州の一つがオレゴン州です。それには、州のさまざまな産業が盛んなことがあげられます。ヘーゼルナッツ(hazelnut)の生産では世界の4大生産地域の1つであり、国内の95%を生産していまう。ワインの生産は禁酒法時代以前に遡り、1970年代には重要な産業となります。2005年には300以上のワイン醸造所を数え その数は国内第3位です。フランスのアルザス(Alsace)やブルゴーニュ(burgundy)地方と気候や土壌が似ていることから、同じような品種のブドウが栽培できるといわれます。南部海岸地域ではクランベリー(cranberry)も栽培されています。

Map of Oregon Trail

広大な森林に恵まれ、国内最大級の製材業と林業があるのがオレゴン州です。豊かな森林資源によって、多くの動物も生息し、その中で知られるのがビーバー(Beaver State)です。州はサケの漁獲では世界最大級である他、海洋漁業も盛んです。1970年代以降、ハイテク開発とサービス業が主要な産業となっています。インテルが幾つかの主要な設を建設し拡張します。ナイキ(Niki)の本社がビーバートン(Beaverton)にあります。

オレゴン州民は1988年以降のアメリカ合衆国大統領選挙で民主党候補者を選んでいます。2004年と2006年には民主党が州上院と下院を制し、カリフォルニア州やワシントン州とならんで、民主党の牙城のような州です。私はこの州を二度訪ねています。一度目は、ユージン(Eugen)にあるオレゴン大学(University of Oregon)の先生にインタビューをしたとき、二度目はポートランド(Portland)でのインテル社(Intel)主催の教育会議に招待されて出席したときです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その44 『早い者勝ち』とオクラホマ州

オクラホマ州(Oklahoma)は、アメリカのほぼ中央に位置し、西部開拓時代の歴史、アメリカ先住民文化などが融合し南部の魅力を示しているといわれます。州名は農耕民族のチョクトー族(Choctaw)インディアンの言葉で「okla」 と 「humma」を合わせたものとされます。チョクトー族は、白人の文化を積極的に採り入れ、「文明化五部族」 (Five Civilized Tribes) と呼ばれています。ジャガイモ飢饉の間、飢饉の救援を提供したことによる寛大さも讃えられています。州都で最大都市は「オクラホマシティ」(Oklahoma City)です。

Map of Oklahoma

オクラホマは、アメリカ先住民の人口が最も多い州です。その理由ですが、この州のインディアン部族のほとんどは、19世紀にアンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)大統領の「インディアン移住法」(Indian Removal Act)によって、インディアン部族のほとんどを強制移住させられたのです。現在、州内には39 の部族が本部を置いています。毎年 6 月に開催されるレッド・アース・ネイティブ・アメリカン文化フェスティバル(Red Earth Native American Cultural Festival)が有名です。インディアン部族のお祭りが「パウワウ」(Powwow)です。もともと戦いの勝利を祝う踊りの場とされていたのですが、今はお祭りスタイルになったようです。インディアンの精神復興と権利回復運動の高まりの産物ともいわれます。

Oklahoma

ランドラッシュ(Land Run)と呼ばれる、決められた時刻に特定の土地が開拓者に開放され、待ちかねた開拓者が一斉に駆け出すような仕組みが1800年代に何度か行われました。公式の解放時刻以前に境界を越えるという規則破りは「抜け駆け」(Sooner)と呼ばれました。別名「早者勝ち」という言葉がオクラホマ州の公式ニックネーム(Sooner State)にもなっています。

Musical, Oklahoma

オクラホマは温暖な地域にありますが、春先から晩夏にかけて、この地域特有の気候条件により雷雨が発生しやすいといわれます。州の大半は竜巻街道と称される地域にあり、年間平均54個もの竜巻が発生するといわれます。オクラホマ州は天然ガス生産量で全米第3位、原油では第5位となっています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その43『 Swing State』とオハイオ州

「オハイオ」(Ohio)とは先住民族イロコイ族(Iroquois)の言葉で「美しい、偉大な川」を指すといわれます。この川はオハイオ川(Ohio River)のことです。西へ流れるこの大きな川は、17世紀の入植者たちの開拓へも大きな影響を及ぼします。というのは、後に開拓者たちはこの川を使って、西へ西へと開拓を進めてゆくことになるからです。

Map of Ohio

18世紀になりこの地にイギリスが進出し、ペンシルヴァニアやヴァジニアからやってきた人々により開拓が進められていきます。この地の領有権を巡ってはイギリスとフランスが対立し、フレンチ・インディアン戦争(French-Indian War)が起こります。戦いはイギリスが勝利し、1763年に締結されたパリ条約によりフランスはこの地を手放し、事実上北アメリカ大陸から撤退することになります。

州都はコロンバス(Columbus) で州の愛称は「トチノキの州」(The Buckeye State)となっています。州内には工業都市が多く、製造業は全米トップレベルです。中でも一番盛んなのは自動車関連産業です。ホンダも進出しています。プロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble: P&G)、ウェンディーズ (Wendy’s)、グッドイヤー(Good Year)などが本社を置いています。

Columbus, Ohio

ドイツからの移住者が作ったコミュニティであるジャーマンビレッジ(German Village)や、合衆国内最大のアーミッシュの共同体がある州でもあります。南北戦争の時代にはオハイオ南部は黒人奴隷廃止運動の拠点となります。かつて、オハイオ川の北側のオハイオは黒人にとって自由州、南側にあったケンタッキーは奴隷州であったため、南部の黒人を北部に逃すアンダーグラウンド・レイルロード(Underground Railroad)という地下組織がひそかに活動していました。奴隷反対派・賛成派が激しくぶつかる土地がオハイオ州です。

German Village, Columbus

大統領選の時などは宗教、人種、文化的背景があることによって、民主か共和かほぼ半々で最後まで州全体の投票の行方が分かりづらい州と呼ばれ、そのため「 Swing State」と呼ばれています。候補者からはキャンペーンの要として、選挙の結果の中継では国民全体が最後まで行方を注目する州の一つです。1964年から2016年までオハイオ州で勝利した者が大統領に当選しており、「オハイオ州を制するものが大統領選を制す」と呼ばれる所以です。ただ、ジョン・ケネディ(John F. Kennedy)とジョー・バイデン(Joe Biden)の二人は、オハイオ州で破れながらも当選した大統領です。