アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その49 『Mount Rushmore State』とサウスダコタ州 

サウスダコタ州(South Dakota) はアメリカ中西部のグレートプレーンズ(Great Plains)と呼ばれる大平原にあり、州の面積の約90%が草原という緑豊かな土地です。南西部はハイプレーンズ(High Plains)という標高の高い平原地帯でもあります。ロッキー山脈(Rocky Mountains)から流れ出る河川によって形成された多くの堆積平野の総称といわれます。州の名前である「ダコタ」はアメリカ先住民族のスー族(Sioux)の言葉、ダコタ(仲間)に由来します。

州都は州のほぼ中央に位置するピエル(Pierre)ですが、最大都市は州の東側に位置するスーフォールズ(Sioux Falls)です。スーフォールズ一帯には州民の大半が住んでいます。他方、州の西側は牧畜業が盛んな地域で、特にブラックヒルズ(Blackhills)と呼ばれる低木の松におおわれた山地は、スー族が聖地としてあがめた場所でもあります。1870年代後半に聖地を守ろうとするスー族と白人との間で激しい戦いが繰り広げられたブラックヒルズは、「壮烈第7騎兵隊」(They Died with their Boots on)や「ダンス・ウイズ・ウルブス」(Dances with Wolves)など多くの映画の舞台にもなっています。そのブラックヒルズ一帯で最も有名な観光スポットが、4人の大統領の顔が彫られたマウント・ラッシュモア国立メモリアル(Mount Rushmore National Memorial Park)です。

Dances with Wolves

ブラックヒルズのマウント・ラッシュモア山(Mount Rushmor)には、刻まれた有名な18 メートルの石の顔を見ることができます。4 人のアメリカ大統領はジョージ・ワシントン(George Washington)、トマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)、エイブラハム・リンカン(Abraham Lincoln) です。この巨大な彫刻は14年の歳月をかけ1941年に完成します。州の愛称は、「ラシュモア山の州」(Mount Rushmore State)とか「コヨーテの州」(Coyote State) となっています。

Crazy Horse

マウント・ラッシュモアが民主主義の象徴とされるのに対し、アメリカ先住民族のシンボルがクレイジー・ホース(Crazy Horse)です。侵入者に対して勇敢に立ち向かったスー族の戦士、クレージーホースを讃えた記念碑(Crazy Horse Memorial)です。マウント・ラッシュモアの彫刻に携わった一人の彫刻家、コーチャック・ジオルコウスキー(Korczak Ziolkowski)が彫り始めました。1982年に彼が亡くなった後は、彼の家族がその意志を引き継いでクレージーホースを彫り続けています。完成すると高さ169メートル、幅192メートル、顔の大きさだけでも27メートルとなります。マウント・ラッシュモアの数十倍の世界最大の彫刻になります。民間からの寄付のみで支えられている現在進行中のプロジェクトです。1959年のアルフレッド・ヒッチコック(Alfred J. Hitchcock)監督映画作品『北北西に進路を取れ』(North by Northwest)のクライマックスシーンでは同記念公園の彫刻が舞台となりました。

マウント・ラッシュモアのあたりはゴールドラッシュ期に白人とアメリカ・インディアンとの激しい抗争が繰り返された地で、ラシュモア山を含むブラックヒルズは、古くよりアメリカ・インディアンの聖地とされていました。「グレート・スー・ネイション(偉大なスーの国)(Great Sioux Nation)」として、西部で最大最強の狩猟民族、スー族が領土としていた所です。現在も、同地で保留地(Reservation)を領有するインディアン部族はスー族のみです。クレイジー・ホース(Crazy Horse)はスー族の勇猛果敢な戦士で、しばしば白人と戦い、1876年にはカスター将軍(General Custer)の騎兵隊を全滅させたことは良く知られています。

Powwow

アメリカ先住民が住むサウスダコタ州では、さまざまな先住民族の文化に親しむことができます。実際の文化を見るには、パウワウ(Powwow)に参加することです。パウワウは「ワチピ」(Wachipi)とも呼ばれるアメリカ先住民の伝統的な祭典で、毎年サウスダコタ州の各地で開催されています。活気あるドラム演奏や歌、手の込んだ伝統衣装の踊り手が呼びものとなっています。とりわけ、最も歴史あるパウワウは、シセトン・ウォーペトン・オヤテ・ワチピ(Sisseton Wahpeton Oyate Wacipi)で、通常 7 月に開催され、アメリカ国内でも屈指の歴史を誇るパウワウといわれます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その48 『Palmetto State』とサウスカロライナ州

サウスカロライナ州(South Carolina)の位置ですが、北はノースカロライナ州、サヴァナ川(Savannah River)を挟んで南と西をジョージア州、東は大西洋に接しています。この州の成立過程から本稿を始めます。1540年、スペイン人探検家エルナンド・デ・ソト(Hernando de Soto)がこの地にやってきます。これがこの地における開拓の始まりといわれていますが、本格的な入植はその100年以上後になります。1670年、イギリスの植民地であったカリブ海西インド諸島のバルバドス(Barbados)から移民が訪れ本格的な開拓が始まります。この地は正式にイギリスの植民地となりますが、南部と北部に統治に関する意見の相違が生じ、南北の二つの地域に分けられることとなりました。

Map of South Carolina

1729年、この地はノースカロライナ植民地とサウスカロライナ植民地に分離され、その後独立戦争を経て1788年5月に合衆国憲法を批准、サウスカロライナは8番目の州として制定されます。近年では積極的に海外企業の誘致をしたり、大規模な商工業都市コロンビア(Columbia)、貿易の拠点である大きな港チャールストン(Charleston)なども持っており、経済発展を遂げる州としても知られています。 また、17世紀に持ち込まれたコメにより、ノースカロライナは大きな米作地となりました。これは、アフリカからこの地に連れてこられた奴隷たちが、元来米作の技術に長けていたことが大きな要因だったそうです。 州のニックネーム「パルメヤシの州」(The Palmetto State)となっています。

Charleston

州都はコロンビア(Columbia)、最大の人口を抱える都市はチャールストン(Charleston)であす。チャールストンでは、サウスカロライナ州の大西洋に面し、古くから貿易港として栄えてきた街です。古き良き時代の南部建築が軒を連ねるこの街は、”アメリカ人の誇りと心のふるさと”と言われています。

State House(Capitol)

南カロライナは州の沿岸の地域であるローカントリー(Lowcountry)の肥沃さと後のチャールストンなど良港があることで繁栄します。地域はその文化と歴史を共有していて、セントヘレナ島(St. Helena Island)のガラ人(Gullah)、ビューフォート(Beaufort)近くの初期のヨーロッパの入植地の影響は今も残っているといわれます。開拓地が広がり、鹿皮、木材、牛肉の交易が繁盛します。米を生産していたアフリカの地域から輸入した奴隷の技能と技術を使って、大規模な米の栽培が行われたことで知られています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その47 『Little Rhody』とロードアイランド州

全米50州の中で面積が最小の州であり、神奈川県と同じくらいの面積の州です。そのため、州の愛称が「Little Rhody」となっています。1636年に神学者ロジャー・ウィリアムズ(Roger Williams)が「慈悲深き摂理(Providence)」によって、この土地を見出したときに名づけたと記録されています。ウィリアムズらは、ナラガンセット族(Narragansett Tribe)から贈られた土地にコロニーを設立します。ウィリアムスはマサチューセッツ州でピューリタンに追放されてロードアイランド(Rhode Island)に到ったのです。1647年、ロードアイランドの植民地はプロビデンス(Providence)と合併し一つの政府となり、良心の自由が改めて宣言されます。この地域はその信条のために迫害された人々にとって安全な天国となり、バプテスト(Baptists)、クエーカー(Quakers)、ユダヤ教徒(Jewish)その他が平和と安全の良心に従ってこの地にやってきたのです。

Pawtuxet Village, Rhode Island.

ウィリアムズはナラガンセット湾(Narragansett Bay)にある他の島々にも美徳に関した名前とします。たとえば、ペイシャンス島(Patience Island)(忍耐)、プルーデンス島(Prudence Island)(分別)、ホープ島(Hope Island)(希望)といった島々です。仲間の開拓者達と「公共の事項」における多数決原則と「良心の自由」を定めた平等主義的憲法で合意を形成した神学者です。政教分離という国家と宗教団体の分離の原則を貫く神学者でもありました。

Cliff Walk, Rhode Island

ロードアイランドでは1652年5月18日に北アメリカで初めて奴隷制度を違法とする法律を可決したことで知られています。また債務による収監や極刑を廃止する法律を成立させ、さらに1652年3月に、黒人および白人双方の資産としての奴隷制を廃止したことでも知られています。

アメリカ合衆国の州を巡る その46『要石の州』とペンシルヴァニア州

ペンシルヴァニア州(Pennsylvania)は、独立戦争時代の史跡、フィラデルフィア(Philadelphia)やピッツバーグ(Pittsburgh)のような大都市、アーミッシュ (Amish) によって占められているいくつかの農業地域やかつての強力な産業史で有名な州です。

ヨーロッパ人として最初にペンシルヴァニアに入ってきたのはスウェーデンやオランダの入植者でした。ペンシルヴァニアと命名したのは、イングランド王チャールズ2世(Charles II)。やがてクエーカー教徒(Quaker)でイギリス人のウィリアム・ペン(William Penn)がペンシルヴァニア州を整備し「シルヴァニア(Sylvania)」と名付けたものをウィリアム・ペンの父ウィリアム・ペン卿に敬意を表して改称しPennsylvaniaとなりました。ペンシルヴァニア州は、アメリカ合衆国において最も歴史のある州の一つとなりました。そのため、州の愛称は「要石の州」(Keystone State)と呼ばれます。 「Quaker State」クエーカー教の州とも呼ばれます。

Pennsylvania Dutch

ペンシルヴァニアは、18世紀中頃アパラチア(Appalachian)炭田,19世紀中頃には油田が発見され,五大湖周辺の鉄鉱石の利用,運河,鉄道などの発達に伴い,ピッツバーグやベスレヘム(Bethlehem)を中心にアメリカ有数の鉄鋼業地域となりました。ペンシルヴァニアといえば、フィラデルフィアを取り上げなければなりません。ニューヨークとワシントンDCの間に位置するこの街は、独立宣言がなされた地であり、合衆国憲法が立案された場所でもあります。独立歴史公園では独立宣言のときに打ち鳴らされた自由の鐘(Liberty Bell)を見ることができます。ピッツバーグはかつて鉄鋼業の中心地として栄えた都市です。

Robert Lee

州南東部のランカスター(Lancaster)を中心とする田園地帯には、ペンシルヴァニア・ダッチ(Pennsylvania Dutch)と呼ばれる人々の集落があります。入植・建国当時の佇まいを多く残しています。その暮らしぶりは、「プレーン」(Plain)と表現されることがあります。何も飾らず、何も付け加えない、あるがままの暮らしをしているといわれます。17世紀から18世紀にかけてドイツ語圏から合衆国に移住したゲルマン系ドイツ系の子孫や言語がペンシルヴァニア・ダッチです。英語の”Dutch”はドイツ語の”Deutsch”に由来し、古くはオランダ人ではなくドイツ人のことを指します。アーミッシュ(Amish)やメノナイト(Mennonite)といったクエーカー教徒の社会では第一言語として話されています。

Gettysburg

南北戦争の転換点となったといわれるゲティスバーグの戦い(Battle of Gettysburg)の古戦場があります。ここが激戦地となったのは、鉄道や主要道路が集まる交差点であり、そこを確保できれば戦争を有利に進められるからだったのです。つまりゲティスバーグは補給と部隊増強の要所だったといえるでしょう。3日間の激戦で北軍は南軍を撃退し、それによって北軍は南部への侵攻ルートを確保することができたといわれます。その戦いの4ヶ月後の1863年11月1日に行われた戦没者墓地奉献式で、合衆国大統領リンカンが演説を行います。それが「ゲティスバーグ演説 」(Gettysburg Address)です。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その45『ビーバーの州』とオレゴン州

太平洋岸のこの州は、戦前多くの日本人が移住したところです。州の名前と同じ名のついた「オレゴン・トレイル」(Oregon Trail)は、西部開拓時代に先駆者たちを「西へ」と掻き立てる道でした。シミュレーションゲームにも「オレゴン・トレイル(街道)」があります。1846年を舞台にプレイヤーは幌馬車で移動する開拓者のリーダーとなって、西部を目指すという内容です。過酷で危険な旅程で知られる街道を辿り、西部開拓の歴史を学ぶ目的で開発されます。その名のように、オレゴン州 4 つの国立歴史トレイルがあります。

Oregon Trail

州都はセイラム(Salem)で人口最大の都市はポートランド(Portland)です。セイラムといえば、映画「カッコーの巣の上で」(One Flew Over the Cuckoo’s Nest)が撮影されたところです。1960年代の精神病院を舞台に、当時のアメリカの社会体制の中で抗う男の姿を描いたこの映画の荒筋を少し紹介します。刑務所に収監されていた38歳のランドル・マクマーフィー(Randle McMurphy)は刑務所での強制労働を逃れるため、精神疾患を装って精神病棟にやってきます。そこでは看護婦長ラチェッド(Ratched)の厳しい規律のもと、管理された患者たちがいます。マーフィーは、持ち前の社交性を活かして、そんな環境に置かれた患者たちの中に生きる気力を与えていくというストーリーです。主演はジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)でした。

アメリカでは珍しく全米で5つの消費税がない州の一つがオレゴン州です。それには、州のさまざまな産業が盛んなことがあげられます。ヘーゼルナッツ(hazelnut)の生産では世界の4大生産地域の1つであり、国内の95%を生産していまう。ワインの生産は禁酒法時代以前に遡り、1970年代には重要な産業となります。2005年には300以上のワイン醸造所を数え その数は国内第3位です。フランスのアルザス(Alsace)やブルゴーニュ(burgundy)地方と気候や土壌が似ていることから、同じような品種のブドウが栽培できるといわれます。南部海岸地域ではクランベリー(cranberry)も栽培されています。

Map of Oregon Trail

広大な森林に恵まれ、国内最大級の製材業と林業があるのがオレゴン州です。豊かな森林資源によって、多くの動物も生息し、その中で知られるのがビーバー(Beaver State)です。州はサケの漁獲では世界最大級である他、海洋漁業も盛んです。1970年代以降、ハイテク開発とサービス業が主要な産業となっています。インテルが幾つかの主要な設を建設し拡張します。ナイキ(Niki)の本社がビーバートン(Beaverton)にあります。

オレゴン州民は1988年以降のアメリカ合衆国大統領選挙で民主党候補者を選んでいます。2004年と2006年には民主党が州上院と下院を制し、カリフォルニア州やワシントン州とならんで、民主党の牙城のような州です。私はこの州を二度訪ねています。一度目は、ユージン(Eugen)にあるオレゴン大学(University of Oregon)の先生にインタビューをしたとき、二度目はポートランド(Portland)でのインテル社(Intel)主催の教育会議に招待されて出席したときです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その44 『早い者勝ち』とオクラホマ州

オクラホマ州(Oklahoma)は、アメリカのほぼ中央に位置し、西部開拓時代の歴史、アメリカ先住民文化などが融合し南部の魅力を示しているといわれます。州名は農耕民族のチョクトー族(Choctaw)インディアンの言葉で「okla」 と 「humma」を合わせたものとされます。チョクトー族は、白人の文化を積極的に採り入れ、「文明化五部族」 (Five Civilized Tribes) と呼ばれています。ジャガイモ飢饉の間、飢饉の救援を提供したことによる寛大さも讃えられています。州都で最大都市は「オクラホマシティ」(Oklahoma City)です。

Map of Oklahoma

オクラホマは、アメリカ先住民の人口が最も多い州です。その理由ですが、この州のインディアン部族のほとんどは、19世紀にアンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)大統領の「インディアン移住法」(Indian Removal Act)によって、インディアン部族のほとんどを強制移住させられたのです。現在、州内には39 の部族が本部を置いています。毎年 6 月に開催されるレッド・アース・ネイティブ・アメリカン文化フェスティバル(Red Earth Native American Cultural Festival)が有名です。インディアン部族のお祭りが「パウワウ」(Powwow)です。もともと戦いの勝利を祝う踊りの場とされていたのですが、今はお祭りスタイルになったようです。インディアンの精神復興と権利回復運動の高まりの産物ともいわれます。

Oklahoma

ランドラッシュ(Land Run)と呼ばれる、決められた時刻に特定の土地が開拓者に開放され、待ちかねた開拓者が一斉に駆け出すような仕組みが1800年代に何度か行われました。公式の解放時刻以前に境界を越えるという規則破りは「抜け駆け」(Sooner)と呼ばれました。別名「早者勝ち」という言葉がオクラホマ州の公式ニックネーム(Sooner State)にもなっています。

Musical, Oklahoma

オクラホマは温暖な地域にありますが、春先から晩夏にかけて、この地域特有の気候条件により雷雨が発生しやすいといわれます。州の大半は竜巻街道と称される地域にあり、年間平均54個もの竜巻が発生するといわれます。オクラホマ州は天然ガス生産量で全米第3位、原油では第5位となっています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その43『 Swing State』とオハイオ州

「オハイオ」(Ohio)とは先住民族イロコイ族(Iroquois)の言葉で「美しい、偉大な川」を指すといわれます。この川はオハイオ川(Ohio River)のことです。西へ流れるこの大きな川は、17世紀の入植者たちの開拓へも大きな影響を及ぼします。というのは、後に開拓者たちはこの川を使って、西へ西へと開拓を進めてゆくことになるからです。

Map of Ohio

18世紀になりこの地にイギリスが進出し、ペンシルヴァニアやヴァジニアからやってきた人々により開拓が進められていきます。この地の領有権を巡ってはイギリスとフランスが対立し、フレンチ・インディアン戦争(French-Indian War)が起こります。戦いはイギリスが勝利し、1763年に締結されたパリ条約によりフランスはこの地を手放し、事実上北アメリカ大陸から撤退することになります。

州都はコロンバス(Columbus) で州の愛称は「トチノキの州」(The Buckeye State)となっています。州内には工業都市が多く、製造業は全米トップレベルです。中でも一番盛んなのは自動車関連産業です。ホンダも進出しています。プロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble: P&G)、ウェンディーズ (Wendy’s)、グッドイヤー(Good Year)などが本社を置いています。

Columbus, Ohio

ドイツからの移住者が作ったコミュニティであるジャーマンビレッジ(German Village)や、合衆国内最大のアーミッシュの共同体がある州でもあります。南北戦争の時代にはオハイオ南部は黒人奴隷廃止運動の拠点となります。かつて、オハイオ川の北側のオハイオは黒人にとって自由州、南側にあったケンタッキーは奴隷州であったため、南部の黒人を北部に逃すアンダーグラウンド・レイルロード(Underground Railroad)という地下組織がひそかに活動していました。奴隷反対派・賛成派が激しくぶつかる土地がオハイオ州です。

German Village, Columbus

大統領選の時などは宗教、人種、文化的背景があることによって、民主か共和かほぼ半々で最後まで州全体の投票の行方が分かりづらい州と呼ばれ、そのため「 Swing State」と呼ばれています。候補者からはキャンペーンの要として、選挙の結果の中継では国民全体が最後まで行方を注目する州の一つです。1964年から2016年までオハイオ州で勝利した者が大統領に当選しており、「オハイオ州を制するものが大統領選を制す」と呼ばれる所以です。ただ、ジョン・ケネディ(John F. Kennedy)とジョー・バイデン(Joe Biden)の二人は、オハイオ州で破れながらも当選した大統領です。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その42 『ノルスク・ホストフェスト』とノースダコタ州

ノースダコタ(North Dakota)の州都はビスマーク市(Bismarck)です。市名はドイツ宰相オットー・フォン・ビスマルク(Otto von BIsmarck)にちなんでいます。人口最大の都市はファーゴ市(Fargo)となっています。ノースダコタの「ダコタ」という名前は、アメリカ・インディアンのダコタ族の「仲間」「友人」に由来しています。

1870年頃、ノルウェーから多くの移民が州北東隅、特にノースダコタのレッド川(Red River)近くに入植します。カナダからはアイスランド人が入ってきます。多くのノルウェー人が入り、家族で農場を営んでいきます。彼らはルーテル派の教会や学校を造り、この地域では他の民族よりも圧倒的に多くなりました。ノルウェー系住民はマイノット市(Minot)人口の3分の1に近く、州全体でも30.8%となっています。

Norsk Høstfestと衣装

ノースダコタ州は複数の作物の生産で全国一となっています。パスタ用に使われる小麦(wheat)は全米の58%、赤色春小麦は全米の48%、、各種コムギを合わせた量では全米の15%、、オオムギ(barley)は全米の36%、エンバク(Oat)は全米の17%、その他菜種油のキャノーラ(canola)、大豆、ヒマワリ、および亜麻は州の至る所で生産されています。オオムギはビールなどの醸造用や味噌の需要が多く、エンバクはオートミールとして食用になっています。

Fight of Vikings

州内に観光客を呼ぶ定例行事としては、マイノット市で開かれる「ノルスク・ホストフェスト」(Norsk Høstfest)があり、北アメリカでは最大のスカンジナヴィア系(Scandinavian)祭とされています。スカンジナビア地方からやってきた人々の文化や歴史を祝う集いです。デンマーク、アイスランド、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンからの移民の伝統を受け継いでいます。2023年は9月27日から30日まで開かれます。民族がこのように固まってコミュニティを形成し、文化や伝統を大切にするのはアメリカという国の一つの特徴といえましょう。

Scandinavian Folk Dance

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その41『ライト兄弟』とノースカロライナ州

イギリスから独立したアメリカ合衆国当初13州のうちの1つがノースカロライナ州(North Carolina)です。イングランド国王チャールズ2世(Charles II)が、1660年に王位に就いたときに、すでに定住していたイギリス人がの貴族集団や植民地領主にこの植民地を与えたといわれます。この新植民地「カロライナ」は国王チャールズ1世の栄誉を称えて名付けられたようです。南北戦争では南部連合側(Confederate)に最後に参入した州です。

Smoky Mountains

伝統や歴が交差するのが州都のラレイ(Raleigh)です。現在はシャーロット(Charlotte)やラレイ、ダーラム(Durham)、チャペルヒル(Chapel Hill)のリサーチ・トライアングル地区(Research Triangle)を中心として経済的に大躍進を示し、州人口も急速に伸びています。ノースカロライナ州は農業、金融サービス、及び産業で成長しています。この州の産業製品、主に織物、化学工業、電気機器、紙及び紙製品はアメリカ合衆国内でも有力な地位を占めてきました。タバコの生産も盛んで地元経済にとって活力を与え続けています。

大西洋の海岸からグレートスモーキー山脈(Great Smoky Mountains)まで広がる美しい自然の風景は他州から多くの観光客を惹き付けています。忘れてはならないのは、ノースカロライナ州といえば、ライト兄弟による初の動力飛行が行われた場所です。ライト兄弟メモリアル(Wright Brothers National Memorial)を記念する施設がキル・デビル・ヒルズ(Kill Devil Hills)にあります。

First Flight in NC

ノースカロライナ州のニックネームは「タールがついたかかとの州」(Tar Heel State)といいます。「Tar」とはタール、 「Heel」はかかとという単語です。ノースカロライナ州は松の木が豊富に獲れるところです。タールやテレピン油といったネバネバした液がでます。南北戦争の際、南軍兵士は北軍に対峙してかかとにタールが塗ってあるように、一歩も引くことがなかったという面白い挿話があります。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その40 『コロンビア大学』とニューヨーク

ニューヨーク州にはいろいろな顔があります。たとば上質のワインを製造していることもそうです。ワイン畑が五大湖、大西洋、フィンガー・レイクス(Finger Lakes)、ハドソン・リバー(Hudson River)といった水の近くに位置します。夏は涼しい風が吹き込み、冬は寒さや霜からの被害のリスクが緩和されているようです。ワイン生産量はカリフォルニア州、ワシントン州に続いて全米第三位です。州には328のワイナリーがあり、ほとんどは家族経営の小規模ワイナリーです。

タイムズスクエア(Times Square)の賑わいと輝くネオンに浸った後に鑑賞するブロードウェイの豪華なショーは、ニューヨーク市だからこそ味わえる素晴らしい体験ですセントラルパーク(Central Park)は、芝生、アーチ、彫像に彩られ、ランニングコースや遊び場も備える3南北4km、東西0.8kmの広さで、東京ドームでいえば73個にあたる都会のオアシスです。

New York University(NYU)

ニューヨーク州には、日本人に馴染みのある大学がいくつかあります。コロンビア大学(Columbia University)は、全米屈指の名門校でアイビーリーグの1校に数えられています。イギリス植民地時代の1754年にキングズ・カレッジ(King’s College)として創立され、全米で5番目に古い大学です。ノーベル賞受賞者数は、1901年以降の累計で2022年現在100名に達するというのですから、学術的な質の高さを容易に推し量ることができます。次ぎにコーネル大学(Cornell University)も全米屈指の名門校です。ニューヨーク州のイサカ(Ithaca)という静かな街にある超難関大学です。

Columbia University


ニューヨーク大学(New York University)は、ニューヨーク市マンハッタン区(Manhattan)にある全米有数の大規模な私立総合大学です。学部では2022年入学生の合格率は12.2% という超難関の大学といえましょう。

ジュリアード音楽院(Juilliard School)は、音楽部門、舞踊部門、演劇部門から成り立ち、学部生・大学院生を含めて約850名の学生が学んでいます。カリキュラムが優れており、世界で最も優秀な音楽大学の中の1つとされています。合格率は7.6%というこれまた超難関大学でもあります。