アメリカ合衆国とニックネームの由来 その61 ヴァージン諸島

アメリカには今も海外に自治的な未編入領域 (unincorporated area) という領有地があります。既述したグアム、プエルトリコもそうです。今回はヴァージン諸島(Virgin Islands)のことです。

1493年11月、クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)は最初にヴァージン諸島のセント・クロイ島(St. Croix Island)に到達し、やがてサンタ・クルース(Santa Cruz)と名付けます。その後、セント・ジョン島(St. John)、セント・トマス島(St. Thomas)にも到達し命名していきます。

ヴァージン諸島の先住民、アラワク族(Arawak)はかつては南米からカヌーでカリブ海の島々に渡り住んで民族です。1625年には、イギリス、フランス、オランダ、スペイン、デンマークが入植を始めます。クロイ島に入植しアラワク族を使って農業を始めた入植者達にとっては、収穫は少なく生活は豊かではなかったようです。疾病や過酷な奴隷制度でアラワク族は1600年代後半までには滅亡し、わずかなカリブ族(Caribs)しか生き残らなかったといわれます。

殆どの入植者達は島から去り、1650年にはイギリス人だけが残ります。その後、新大陸に注目していた、デンマークが1666年にセント・トーマス島とセント・ジョン島の領有権を得ます。1673年、アラワク族がいなくなると、黒人奴隷が初めて島に連れてこられます。デンマーク統治下の各島では、こうした奴隷を使ってサトウキビやタバコ農園が経営されます。後に珈琲や砂糖も生産されるようになります。

デンマークは、1733年にはフランスよりセント・クロイ島を買収し領有権を得ます。その後、デンマーク領西インド諸島と称し、デンマーク国王に任命された総督によって統治される体制となります。デンマークの王妃、シャーロット・アマリー(Charlotte Amalie)にちなみ、1691年に王妃名がつけられて主都となります。1764年にシャーロット・アマリーは自由港として公認され、西インド諸島における交易の中心地として栄えます。デンマークは三角貿易を推進し、デンマーク海上帝国の黄金期を迎えます。

三角貿易とはヨーロッパ、西アフリカや西インド諸島、およびアメリカ大陸の三カ所を結ぶ大西洋上の貿易のことです。奴隷貿易ともいわれます。その後ナポレオン戦争(Great French War)でフランス側で参戦したデンマーク王国は破れ、大西洋の貿易圏はイギリスに侵害されていきます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その60 Island of Enchantment

プエルトリコ自治連邦区(Commonwealth of Puerto Rico)も合衆国の一部です。私はこの島を旅行したことはありませんので、ブリタニカ世界大百科事典などで調べたことを記してみます。

Bright, pastel colors of houses in a neighborhood of San Juan, Puerto Rico

プエルトリコは、カリブ海北東に位置するアメリカ合衆国の自治的・未編入領域であり、コモンウェルスという政治的地位にあります。プエルトリコ本島やいくつかの島々から構成され、モナ海峡(Canal de la Mona)を隔てて西にドミニカ共和国(República Dominicana)やハイチ共和国(Republic of Haiti)と隣接しています。ニックネームは「魅惑の島々(Island of Enchantment)」というものです。

プエルトリコの国土の大きさは四国の約半分です。本島は山がちで丘陵地帯がひろがり、海岸は平野となっています。主都はサン・フアン(San Juan)。住民の大半は、スペイン系の白人やアフリカ黒人の血をひいています。文化的にはスペイン植民地時代からの伝統が色濃く残っています。公用語はスペイン語と英語ですが、住民のほどんどは日常生活ではスペイン語を使っています。カリブ海の島々にいた先住民はタイノ人(Taíno)で、彼らの呼び名はではプエルトリコではボリケン(Boriken)とも呼ばれています。現在、約300万人のプエルトリコ人はアメリカ本土で暮らしています。

プエルトリコの歴史です。1493年11月にイタリアのクリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)がやってきます。プエルトリコの本格的な征服は、コロンブスによる発見から15年の経過した1508年にスペインから総督としてやって来たフアン・ポンセ・デ・レオン(Juan Ponce de Leon)らのコンキスタドール(Conquistador)と呼ばれた探検家とか征服者よってなされます。3万人ほどいたといわれているタイノ人は征服され、スペインからプエルトリコへの本格的な入植がはじまります。

スペイン語の Puerto Ricoは「豊かな港」「富める港」という意味です。当初、プエルトリコ島は「聖ヨハネ島(St. John)」と呼ばれていました。やがて商人や島を訪れる人々は島そのものをプエルトリコ島と呼ぶようになり、一方でサン・フアンは港と主都を指すようになりました。

16世紀から18世紀にはイギリスやオランダの海賊の攻撃を受けますが、襲撃は失敗に終わり、プエルトリコは一貫してスペインの植民地が続きます。1898年に勃発した米西戦争で同年8月にはアメリカ軍に占領されその後はスペインからアメリカに割譲され、戦争終結のパリ条約によりアメリカ合衆国の領土となります。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その59 Land of the Chamorro

合衆国は本土の外に、未編入領域を有しています。グアム(Guam)がその一つです。太平洋上マリアナ諸島(Mariana Islands)南端の島。1521年にポルトガル(Portuguese)の探検家、フェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan)がヨーロッパ人として初めてグアム島に到達したという記録があります。1565年にフィリピン諸島を征服し初代フィリピン総督となったレガスピ(Legazp)が来島してスペインの領有を宣言し植民地となります。フィリピンのマニラとメキシコのアカプルコ(Acapulco)を結ぶ三角形のような航路が1568年に開かれ、スペインの大型帆船であるガレオン船(Galleon)が太平洋を往来するようになります。そして先住民チャモロ(Chamorro)と物々交換を行います

1668年にスペインのカトリック教会使節サン・ヴィトレス(St. Vitress)を中心としたイエズス会が先住民はチャモロ人に対して布教活動を始めます。チャモロは祖霊崇拝を始めとする伝統的な習慣や文化を有していましたが、教会はこうした風習を禁止します。不満を持つチャモロ人によって1669年にスペインに対する反乱が起きます。争いは20年間にわたりますが、スペインはそれを武力で弾圧します。さらにスペイン人が持ち込んだ天然痘により推定5万人近くのチャモロ人が死亡したともいわれます。この争い以降は目立ったチャモロの反抗はなく、キリスト教文化が定着するようになります。

1898年の米西戦争(Spanish–American War)後に締結されたパリ条約により、グアム島はフィリピン、プエルトリコ(Puerto Rico)とともにアメリカ合衆国に割譲され、植民地支配下におかれます。第二次世界大戦下では、日本軍が一時グアムを占領し「大宮島」と呼ばれたこともあります。
現在は、日本など海外からの外国人観光客や米軍最大のアアンダーセン空軍基地(Andersen Air Force Base)からの収入が重要な位置を占めています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その58 The Equality State

ワイオミング州(State of Wyoming)の簡単な歴史です。北にモンタナ(Montana) 、北東にサウスダコタ(South Dakota),東にネブラスカ(Nebraska)、南にコロラド(Colorado) 南西にユタ(Utah)、西にアイダホ(Idaho)に囲まれています。「ワイオミング」という言葉はマンシー族(Munsee)の言葉で「大きな河床」を意味します。州都はシャイアン(Cheyenne)となっています。

1770年代に現在の州南西部はスペイン帝国の領土となり、後にはメキシコのアルタ・カリフォルニア(Alta California)の一部となります。さらに同年代後半にはケベック(Quebec)やモントリオール(Montreal)からフランス系カナダ人の猟師が入ってきて、ティトン(Teton)、ララミー (Laramie)などフランス語を語源とする地名を残します。アメリカ・メキシコ戦争(Mexican-American War)が終わった1848年、合衆国がこれらの地域をメキシコから譲り受けます。

同州と周辺州にまたがる「イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)」には現在、バッファロ(buffalo)が多数繁殖飼育され、多くの観光客を呼び寄せています。バッファロー・ビル(Buffalo Bill)という伝説的な人物もいました。 本名はウィリアム・コディー(William Cody)。ガンマンであり興行主として活躍します。バッファロー・ビルは1880年ころからカウボーイの拳銃さばきや駅馬車襲撃などを実演してショー化した「ワイルド・ウェスト・ショー」(Wild West Show) を立ち上げ大人気を博します。

1869年12月、準州知事ジョン・キャンベル(John Campbell)が普通選挙法に署名して、投票権が女性に拡大されます。その後、女性陪審員や治安判事、女性知事が登場します。これら女性に与えられた権利の故に、ワイオミング州は「平等の州」 (The Equality State)とか「参政権の州」(The Suffrage State)と呼ばれるようになります。またの名を「カウボーイ州 」(Cowboy State)ともいわれています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その57 America’s Dairyland と共和党誕生の地

ウィスコンシン州は内陸のために寒暖の差が激しいことで知られています。夏は30度以上になるとおもえば、冬は零下20にもなります。いつでしたが、私は歯茎の治療が終わり自転車で帰ろうとしましたら、歯科医師が「この寒さでは危ないから送ってあげる」というエピソードもあります。降った雪は風で吹き飛ばされることが多く、そう厚くは積もりません。雪が降ると道路には塩化カルシウムの交じった融雪剤を撒きます。これは凍結防止にもなります。ですが、車体の下は真っ白くなり錆がつきやすくなります。

ライセンスプレートには「アメリカの酪農の地」(America’s Dairyland)と記されています。そして納屋とサイロが描かれています。実に綺麗なデザインです。乳製品で有名な州です。2010年度の第45回スーパーボウル(Super Bowl)を制したグリーンベイパッカーズ(Greenbay Packers)の本拠はウイスコンシン。そのときファンがかぶったのがチーズヘッド(cheese head)というチーズをかたどった帽子でした。乳製品が州の主たる産物です。その他製紙や情報産業、そして観光業が州の経済を支えています。

州都マディソンと最大都市ミルウオーキーの丁度真北の三角の頂点にリポン(Ripon)という人口7,700人くらいの街があります。なんとこの街は1854年の2月に共和党(Republican Party)の最初の集会をしたところです。それで「共和党誕生の地(Birthplace of the Republican Party)」と呼ばれています。この集会が開かれた建物は「Republican Schoolhouse」と呼ばれ、今は史跡建造物として博物館となっています。共和党は漫画化した「象」を党のマスコットとしています。ちなみに民主党のマスコットは「ロバ」。象とロバのたたかいを表すユーモアです。

ウィスコンシン州民は「Wisconsinites」と呼ばれるのですが、もともと共和党の地盤であったのがウィスコンシン州です。事実、2016年の大統領選挙ではドナルド・トランプ(Donral Trump)がヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)を破ります。その差は25,000票で.8%という僅差でした。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その56 The Badger State

ようやくウィスコンシン州のニックネームを語る番です。「バッキー・バジャー」(Bucky Badger)で知られるウィスコンシン大学マディソン校のマスコットが登場したのは1940年といわれます。「バジャー」とはアナグマと呼ばれています。狸の仲間です。全長が50cm前後。首は長く顔の正面から背中にかけて白い縞模様が走ります。黒と白の縞模様の顔はやや平たく、胴体や足は短く耳も小さいのが特徴です。性格は狸と同様に温厚かつ臆病で人里で見かけることはありません。昆虫やミミズなどを主食とし、鳥や卵も大好きなようです。また果樹や野菜も食べる雑食種です。

Wisconsin Badgers Kelly Jaminski (7) with mascot Bucky Badger during an NCAA college women’s hockey game against the Minnesota Golden Gophers Friday, February 14, 2014 in Madison, Wis. The Golden Gophers won 3-2. (Photo by David Stluka)

Wisconsin Badgers mascot Bucky Badger poses during the 2012 Rose Bowl NCAA football game against the Oregon Ducks in Pasadena, California on January 2, 2012. The Ducks won 45-38. (Photo by David Stluka)

1940年以来いろいろなデザインの「Bucky」が作られます。「Bucky」という名称が決まるまでは、「Benny」, 「Buddy」, 「Bernie」, 「Bobby」,「Bouncey」というのが候補にのぼります。そして1940年10月に「Bucky Badger」が誕生します。「Bucky Badger」という名称は連邦議会図書館(Library of Congress)に登録されます。

バジャーはかつて毛皮として珍重された時代があります。しかし動物虐待禁止法( Cruelty to Animals Act)が1835年に制定され、さらにバジャー保護法(Protection of Badgers Act) が1992年に作られることにより、狩猟は全面的に禁止されます。バジャーに似ているのが「ラクーン」(raccoon)と呼ばれるアライグマです。こちらはより雑食で畑の作物などを好んで食べます。人里に現れては人家に侵入し食べ物を探したり、水辺で獲物を捕るという行動もとります。人から食べ物を貰う人なつこさもあります。

バジャーは北米大陸やイギリス、アイルランド、さらにスカンジナビア半島に多く生息しています。バジャーの仲間は中国や日本、インドネシアなどにもいるといわれますが、、、

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その55 Wisconsin Birds

ウィスコンシンで生活して感じることの一つが野鳥や動物を当たり前のように見かけることです。野鳥の特徴といえば、色が赤だったり青だったり、巣を近くで見かけることです。

ウィスコンシンの州鳥アメリカン・ロビン(American robin)は日本ではコマドリといわれています。雄は色彩に富んでいます。頭と羽を除き、お腹は赤く実に姿勢が良いのです。雌は少々地味な色です。餌ですが芝をつっついて虫やミミズを引っ張りだすのが観察されます。庭のどこでも見かけられるので「backyard bird」ともいわれるほどです。

ロビンは、厳しい冬に終わりを告げる二月末から三月にかけて戻ってきます。人々の待ち焦がれていた春がロビンで運ばれてくるかのようです。それでロビンは「春を告げる鳥」、「春の使者」(spring heralder)といわれるほど愛されています。鳴き声も綺麗なのです。ロビンは北米大陸に広く生息しています。大陸の南部と北部を行き来する渡り鳥で、夏はカナダにも飛来していきます。

アメリカン・ロビンに似た鳥にフィンチ(finch)がいます。こちらは色とりどりで華やかな姿をしています。カーディナル(cardinal)もトサカがぴんと立って体全体が赤く誠に綺麗な鳥です。紅冠鳥とも呼ばれています。ウィスコンシンでもなじみ深い鳥ですが、私は日本ではこの三羽をまだ見たことがありません。ウィスコンシンが州鳥を決めるとき、1926年から1927年にかけて小学生が投票で決めたという記録が残っています。 子供に州鳥を決めさせるという発想がいいですね。

「ジェイジェイ」と鳴くのがブルージェイ(blue jay)です。日本語ではアオカケスと呼ばれています。カナダはオンタリオ州を代表する鳥とされ、トロントに本拠を占めるメジャーリーグの球団名がブルージェイ「Blue Jays」です。ウィスコンシン州の中央部にアダムス郡(Adams County)があります。そこにピーテンウエル湖(Petenwell Lake)の側を走ると電柱のてっぺんにカサゴ(Osprey)の巣を見かけます。

秋になると、頭上をカナダ雁(Canada goose)の群れが見事な編隊を組み、それも猛スピードで南下していくのを見かけます。「ツーン、ツーン、、」と鳴きながら次々と群れが通るのです。高度200メートルから500メートルを保ち、V字型を形成して飛翔します。春先には北に向かう素晴らしい光景が見られます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その54 Wisconsin Sausage

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その54 Wisconsin Sausage

ウィスコンシンのグルメ(Gourmet)の続きです。アメリカの手軽な食事といえば「ハンバーガ(hamburger)」や「ホットドッグ(hot dog)」です。ハンバーガはドイツ第二の都市Hamburgから由来します。こうした食べものは、一般に「ジャンクフーズ(junk food)」(ひどいくらいまずい食べ物)と呼ばれています。でも意外や意外とハンバーガやソーセージ(sausage)は美味しいのです。特に、挽肉だけのハンバーガは涎がでるほどです。ソーセージでは太い「ブラッッ(brats)」が有名です。スパイスのきいたもの、スモークのものなど実に美味しいです。日本で売っているハンバーガは、余計なものが交じっていて肉の感触が伝わりません。

所変われば品が変わるで、あちらこちらを旅するといろいろな料理に出会います。ニューヨークといえはBBQをいただかないといけません。串焼きの別名はシシカバブ(Shish Kebab),中近東地方の肉料理の総称、ケバブ(Kebab)ですが、とても知られています。ギリシャ料理で羊肉を鉄の棒の周りに固め、それを焼きながら肉をそいで食べる「ギロス(Gyros)」も美味いです。ステーキといえばカンザス(Kansas)です。アメリカ各地に1800〜1900年代に各地から移民してきた人々が定着したところがミズリ(Missouri)であり、ネブラスカ(Nebraska)であり、カンザスです。こうした州の大平原に牛が放牧されているさまは壮観です。

アメリカ土着の人は、「ネイティブ・アメリカン(Native american」とか「アメリカン・インディアン」と呼ばれています。彼らも固有の料理を大事にしています。一度、ウィスコンシン大学のアパートで隣同士だったインディアンの方より黒い米を貰ったことがあります。料理の仕方をきくと、3日ほど水でうるかすのだそうです。混ぜご飯を作って美味しくいただきました。その方が退去して、次ぎにやってきたのは韓国人でした。この家族より韓国料理をいただきました。二階に住んでいた方はニュージーランド人。夫人はハープを弾いていました。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その53 Wisconsin Gourmet

ウィスコンシン州の大抵の街は小さな田舎町です。人々は衣食住の伝統を引き継いでいます。母国の独立記念日を今でも祝っています。たとでば、ノールウェイの子孫が住む街があります。マディソンの南一時間のところにあるストートン(Stoughton)がそうです。住民は5月の第二日曜日は独立を祝います。町全体がお祭りで、スカンジナヴィア(Scandinavian)料理がふるまわれるのです。ジャガイモを中心とした料理でスモアガスボード(smorgssbord)といいます。テーブルに料理を数多く並べて相伴する形式で、スモークサーモンや鰯、オリーブ油がたっぷり入ったニシンの漬け物も美味です。

ウィスコンシンの最大の町はミルウオーキー(Milwaukee)。その街中や郊外にもポーランドやイタリア人が住み着きました。ソーセージは大きくて種類が多く、スパイスも効いていてそれはそれはご馳走です。一本食べるとお腹がかなりふくれます。パンもパスタ同様。種類とスパイスが違います。ドイツ系の地ビールも種類が多く安いのがいいです。

ここ50年くらいに東南アジアからの移民も増えています。カンボジア、ベトナム、タイ料理など、どこにいってもこうした食べ物を賞味できます。白人はこうしたエスニックな料理を箸を器用に使って食べ歩いています。安くて美味しいせいか、レストランは家族連れなどでいつも満員。多様性を感じさせてくれます。

アメリカで食事をすると、ヨーロッパやアジアを旅行している気分になります。「アメリカの料理はまずい」というのは大変な間違い。通り一辺の旅ではこうした勘違いや誤解をして、その国の印象を決めがちです。誠に気の毒で哀れなことです。このような旅をしてはいけないのです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その54 Communities in Wisconsin

ウィスコンシンには、今でも沢山のヨーロッパ系や中東系のコミュニティがあります。北欧や東欧に似た風土なので、初代の移民はこの地を選び定住したのは容易に理解できます。酪農や小麦、トウモロコシ、馬鈴薯の耕作に適しています。今もウィスコンシンは一歩郊外へ出ると、牛から発散される「田舎の香水」がぷんぷん臭います。

移民がつけたと思われる地名や町名はこの州には沢山あります。大きく分類しますと西ヨーロッパ系、東ヨーロッパ系、地中海系、中東系などです。中には「Eureka」という地名もあります。ギリシャ語で「見つけたぞ!」という感嘆詞です。移民した人々が叫んでつけたのだろうと察します。

まずは国名や首都をもじった地名があります。地名などが沢山できてきて少々辟易するかも知れませんがご勘弁を。国名ではBelgium、Denmark、Holland、Jordan、Lebanon、Norway、Peru、Poland、Sweden、Swissなどがそうです。北欧全体を指すScandinaviaもあります。次ぎに首都がついた地名です。アルファベット順にBerlin、Brussels、Lisbon、London、Moscow、Ottawa、Rome、Wausauなどです。

地名の由来は各国の言葉から容易に理解できます。フランス系のはDe Pere、Eau Claire、Fond du Lac、Lac La Belle、La Crosse、La Follette、Marquette、 Monroe、Prairie de Chien、Prairie du Sac などです。イタリア系ではGenoa、Monticello、Naples、Seneca、Veronaなどです。次ぎにドイツやオーストリア系では、Germantown、Hamburg、New Berlin、New Glarus、New Munster、Rhine、Rhinelander、Sheboygan、Vienna、Wittenbergなど多士済々です。

イギリス系は沢山ありすぎて網羅できないほどです。New Holstein、New London、 Walesなどが代表でしょうか。アイルランド系では、 McAllister、McFarland、McNaughtonなどMcから始まる地名でわかります。その他のヨーロッパ系としてはHollandale、New Amsterdam、Pulaski、West Swedenです。ノールウエイ系ではBergenもあります。

中東系では聖書的な地名として、Jericho、Juda、Old Lebanon、 Zionといったところです。スペイン系としてEl Paso という地名もあります。