アメリカ合衆国建国の歴史 その36 イギリスのカナダ獲得

帝国間の大戦でイギリスがフランスに勝利したのは、非常に大きな犠牲の上に成り立っていました。戦前は年間650万ポンド近くあったイギリス政府の支出は、戦争中は年間約1,450万ポンドに増加します。その結果、イギリスの税負担はおそらく史上最高となり、その多くは政治的に影響力のある地主階級が負担することになります。さらに、カナダという広大な領地を獲得し、諸先住部族に対しても、南と西のスペイン人に対してもイギリスの領土を保持するため、植民地の防衛費はいつまでも続くと予想されました。さらに議会は、マサチューセッツに戦費の補償として多額の資金を与えることを決議しました。そのため、イギリス世論としては、将来的な支払いの負担の一部をそれまで軽い課税と軽い統治のもとにあった植民者自身に転嫁することが合理的であると考えたのです。

アメリカ大陸と領土拡大

戦争の長期化によって、イギリス帝国に広がっていた緩んだ経済状況を強化する必要がありました。戦争の過程でそうした必要性が確認されたとすれば、戦争終結はその好機となったはずでした。カナダを獲得したことで、ロンドンの役人は、フランス占領の脅威から解放された未開拓の西方領土を維持する必要がありました。イギリスはすぐに、諸部族との関係全般を管理するようになります。1763年のイギリス王室の公布により、アパラチア山脈にイギリス植民地からの入植の限界を示す線が引かれ、その先はイギリスが任命した委員を通じて厳密に部族との貿易を行うことができるとされます。この布告は、部族の権利を尊重したものでしたが、ポンティアックを中心とする反乱の防止には間に合いませんでした。

また、ロンドンからすれば、軍隊の駐屯の少ない西部で毛皮蒐集を住民に任せることは、経済的にも商業的にも合理的でした。しかし、イギリス植民地からの入植の限界を示す布告は、2つの理由でイギリスの植民地主義者たちを困惑させます。それは、西部の土地への入植と投機の可能性に制限が設けられたこと、そして西部の支配権を植民地の人々から引き離すことだからです。植民地の野心家たちは、この公布によって自分たちの運命を左右するような権利が失われると考えます。

部族と商人

実際、イギリス政府は、西部開拓の停止が植民地の人々の恨みを買うことを大きく見くびったのです。それがアメリカ独立戦争に至る12年間の危機を引き起こした要因の一つとなります。諸部族が大陸の内陸部に自分たちのための土地を確保しようとする努力は、イギリスが勝利すれば、そのチャンスがあったかもしれません。いざ勝利したアメリカ合衆国を相手にすると部族にとっては全くの努力が報われなくなります。