ウィスコンシンで会った人々 その44 古典落語と創作落語

筆者が落語を少しは嗜むようになったのは定年後である。それまでは、仕事が特に忙しかったわけでもなかったが、他にマラソンをやったり藤沢周平の本を読んだり、カメラをいじったりして落語を楽しむ余裕がなかった。

iPodを手にしてから、さてなにを入れようかとしたとき、音楽に加えて落語が有料、無料でネット上で沢山あることを知った。それ以来購入したりしてため込んでは歩きながら、山登りをしながら楽しんでいる。

落語の楽しみが少しずつわかり始めた。それは演目もさることながら、噺家によって落語の内容が聞き手に異なって伝わることである。一つの演目をいろいろな噺家で聞くという贅沢さを楽しんでいる。

落語は、「落とし話」といわれるように大抵の場合そのお終いに「サゲ」がある。これを期待して聞き手はどんなサゲなのか、とワクワクしながら待つ。古典落語はレパートリーが決まっているので、演者の語り口の違いを楽しむことになる。さすがに名人と呼ばれる噺家の語りには聞き惚れる。最近は、新作落語とか創作落語も楽しんでいる。新作落語は、古典落語と並んで落語の大事な幹といわれる。

新作落語は年代的には若手の噺家によるものが多い。例外は、上方落語の名人、桂三枝、今の六代目桂文枝である。現在71歳だが、その創作力には驚くほどである。彼は、「新作落語はおおむね、時期が過ぎたらそのネタを「捨て」ざるを得なくなる運命にある」として、「創作落語」と呼んでいる。この発想は頷ける。柳家喬太郎の「ハワイの雪」という人情噺もある。「寿司屋水滸伝」という創作落語にもサゲが待っている。

古典落語は、滑稽噺、人情噺、怪談噺に分類されるようである。創作落語は、その時代を反映した話題をネタとする滑稽噺と人情噺が中心といえようか。どちらも落語の主柱として高度な技芸を要する伝統芸能である。もっと親しみ笑いたいものだ。

OGY5ODc2M2JiZTgw   天満天神繁昌亭picture_pc_d921f55c6f819eebcc2c4678853d13beec6512de 名人 桂米朝