アメリカ合衆国建国の歴史 その57 憲法制定会議

1787年5月に開催されたフィラデルフィア憲法制定会議(Philadelphia Convention) は、旧議会によって公式に招集され、連邦規約の欠陥を修正することを目的としたものでありました。しかし、ヴァジニア代表が提出したヴァジニア・プランは、修正にとどまらず、既存の連邦制に代わる新しい中央政府の創設を大胆に提案するものでした。こうして会議では、アメリカ合衆国が近代的な意味での国となるのか、それともいくつかの州が提出したニュージャージープランの原則である単一の議会に代表され、自治権を持つ平等な州の弱い連合体として存続するのか、という問題に直面することになりました。7月中旬に、人口に基づく代表制と全州に平等な代表制とする二院制の妥協案が承認され、この決定は事実上有効となりました。最終的な形の中央政府は、さまざまな議論がなされ、国家としての優れた幅広い権限が与えられることになりました。

Continental Congress

憲法草案は、フィラデルフィア会議での議論の後に作られることになります。州の憲法で一般的に見られるよりもはるかに強力な権力分立の原則を具体化するものとなりました。最高行政官は単一の人物となり、複数の行政官も議論されますが却下されます。最高行政官、または大統領は州で決められる選挙人団によって選出されることになりました。議会における選挙で最高行政官を決めるべきとのヴァジニア案も真剣に議論されました。憲法違反に対する最高行政官のへ縛りは、弾劾できるということを念頭におくものでした。ジェームズ・マディソン (James Madison)はこれを非常に重要視していました。

James Madison

議員の選出が州の人口に比例するというヴァジニア案の提案は、上院の各州が平等な代表を出すというように大幅に修正されました。しかし、人口の中で奴隷の人々を数えるかどうかの問題は、深刻な議論となりました。いくつかの論争の後、奴隷制反対勢力は妥協案に賛成し、奴隷の人々の5分の3が代表となるとして数えられることになりました。また、逃亡した奴隷を連れ戻すことを許可する法律「逃亡奴隷」が追加されますが、共和主義者への気兼ねから、奴隷という言葉は使われませんでした。

フィラデルフィア憲法制定会議は、現存する政府を「修正する」のではなく、新しい政府を創設することを意図していました。会議の結果はアメリカ合衆国憲法となって結実します。この会議はアメリカの歴史の中でも中心となる出来事の一つといわれています。