ウィスコンシンで会った人々 その55 間男噺

「間男」とは広辞苑によれば「有夫の女が他の男と密通する」とある。この間男を話題とする落語も結構ある。古今東西、不倫は人間の興味の尽きない話題である。古典落語では、間男は陰険な男女関係を描くよりも、女性のたくましさとか男性のか弱さによって健康な笑いを醸し出すようなところが多い。男性中心社会へのささやかな抵抗といった文化も感じられる。ジェンダー研究の下地になるようだ。

間男を扱う演目に「紙入れ」がある。新吉という貸本屋の丁稚がいる。この本屋に出入りするおかみさんに誘惑される。そして旦那の留守中に迫られる。だが旦那が予定を変更してご帰宅。慌てた新吉はおかみさんの計らいで辛うじて脱出する。ところが、旦那からもらった紙入れを忘れる。紙入れにはおかみさんからの誘いの書き付けが入っている。

焦った新吉は逃亡を決意するが、ともかく様子を探ろうと、翌朝再び旦那のところを訪れる。出てきた旦那は落ち着き払っている。変に思った新吉は、昨夜の出来事を語ってみるが、旦那はまるで無反応。ますます混乱した新吉が考え込んでいると、そこへ浮気相手のおかみさんが通りかかる。旦那が新吉の失敗を話すと、おかみさんは「浮気するような抜け目のない女だよ、そんな紙入れが落ちていれば、旦那が気づく前にしまっちゃうよ」と新吉を安堵させる。サゲだが、旦那が笑いながら続けて「まあ、たとえ紙入れに気づいたって、女房を取られるような馬鹿だ。そこまでは気が付くまいて。」

既にこの欄で取り上げた演目「締め込み」も間男を疑う旦那と女房と盗人との可笑し味ある対話である。ある盗人が家に入り、箪笥をあけて衣類を風呂敷で包み、さあ逃げようとするとき旦那が帰ってくる。盗人はあわてて台所の床下にもぐりこむ。風呂敷包みを開けると、そこに女房の衣類が入っている。さあ、これは女房が間男して駆け落ちしようとしているに違いないと、旦那は動転する。そこに女房が帰ってきて大騒ぎとなる。

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ウィスコンシンで会った人々 その51 泥棒噺

泥棒の演目はいくつもあるが、その代表ともいえるのが「夏泥」。今の暑い時期に笑いたくなる噺である。夏のある日、貧乏長屋で男がふんどし一枚で寝ている。そこにやってきたのが盗人。おきまりのおどしで金を要求する。だが、男、貧乏三昧で死のうとしていたと告白する。食べるものがない、店賃の抵当(かた)に道具箱を持っていかれた、道具がなくて仕事ができない、着るものもないなど泥棒に身の上話をして「さあ、殺してくれっ!」と開き直られる。盗人は「声がでかいよ、」とうろたえてしまう。

困った泥棒、なにか食うものを買えといって小銭を男に渡す。だが、道具がないので仕事にでられないという。泥棒はさらに男に銭を差し出す。ところが質屋から道具を請け出すには利息が必要だといってさらに銭を搾り取る。おまけに仕事に出掛けるには仕事着が必要だといって、「この裸姿では仕事にでられない。、、貰った銭は返す、、さあ、殺せ!」と懇願する。困った泥棒、ますます深みに入っていく。まんまと金を泥棒からせびった男、、別れ際に「また来年の夏に入ってくれや、、」この泥棒は慈善事業をしたようだ。それがなんとも可笑しく共感を呼ぶ。

「締め込み」の舞台もまた長屋。戸締まりされていない長屋に賊が忍び込む。ヤカンが火にかかっていて、急いで物色した衣類を風呂敷に包む。そこへ部屋の主の男が帰ってくる足音が聞こえる。泥棒はとっさに台所の床板を上げ、縁の下に潜り込んで身を隠す。男は泥棒が残した風呂敷包みを認め、「古着屋が見本に置いて行ったのだろうか」とつぶやきながら開ける。風呂敷の中に女房の服が入っていることがわかる。

「女房は、俺の知らぬ間に間男をして、荷物をまとめて駆け落ちをしようとしているのだ」と勘違いし、激怒する。そこに女房が帰ってきて、組むつもたれつの大喧嘩となる。罵倒しあうが、女房の言い分に言い返せなくなった男は、そばにあったヤカンを投げつける。ヤカンのお湯が縁の下に隠れる泥棒のうえに注がれる。堪らなくなって泥棒は飛び出て、風呂敷包みは自分が作ったと白状する。男と女房は「お前が正直に話してくれなければ、俺たちは別れるところだった」と泥棒に感謝する。そして3人で酒を酌み交わす。

「締め込み」のサゲは読者に想像していただこう。

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