ユダヤ人と私 その12 選民思想と「エスノセントリズム」

反ユダヤ主義者(anti‐Semites)は、「ユダヤ教は強烈な選民思想であり、民族や人種の文化を基準として他の文化を否定的にとらえる自民族中心主義である」などと主張します。それはユダヤ人への偏見と憎悪に満ちた見方であります。ユダヤ人は散らされた民であるがゆえに、共同体をつくり、知恵を絞り懸命に働いて財をなし、生き延びなければならなかった歴史があります。

4月14日、最近になって顕在化する反ユダヤ主義的な言動は、一時的な苛立ち、それとも無理解、あるいは単なる無知からくるものなのだろうか。写真は2014年9月、ベルリンで行われたユダヤ人差別に反対する大規模集会の開始を待つ男性(2017年 ロイター/Thomas Peter)


ユダヤ人は、神が選びだして聖なる使命を与えた民族であり、神との間に特別な「契約」を結んだ民族であるということを信じています。ユダヤ人は選ばれた民族であることを誇りにしますが、理不尽に他を排除することはありません。ですが安全保障を脅かす者に対しては,武力などあらゆる手段を講じます。その例は三度にわたる中東戦争であり、エルサレム(Jerusalem)のユダヤ化政策であり、分離壁の建設です。この意味で、現在のイスラエルは軍事国家といえるのです。

選民であるという思想は、しばしばエスノセントリズム(ethnocentrism)と関連しています。エスノセントリズムは、自文化中心主義ともいわれ、自己の属する集団のもつ価値観を据えて,異なった人々の集団の行動や価値観を評価しようとする見方や態度を指します。キリスト教での定義では「選ばれた」という状態は自らを卑下する思想とされます。この考え方は他者よりも多くの責任を負い、ときに自分を犠牲にするという姿勢です。ユダヤ教の選民思想とは異なります。