心に残る名曲 その二十一 「巡礼の合唱」 タンボイザー WWV70から

「タンホイザー」(Tannhäuser WWV.70)ワーグナー(Richard Wagner)が作曲した全3幕のオペラです。正式な名称は『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』(Tannhäuser und der Sangerkrieg auf Wartburg)といいます。このオペラで良く知られているのは序曲(Overture)、第2幕のエリザベート(Elizabeth)のアリア(Aria)、「大行進曲」などで個別でもよく演奏されています

ところで、ワーグナー作品目録は、Wagner-Werke-Verzeichnis(WWV) といわれています。作品目録は1番から113番までの番号が付されています。バッハの作品の目録である「BWV」と同じです。

「巡礼の合唱」(Pilgrim’s Chorus)ですが、中世のドイツでは、騎士たちの中で吟遊詩人(Minstrel)となって歌う習慣があったといわれます。騎士の1人であるタンホイザーは、テューリンゲン(Thüringen)の領主の親族にあたるエリザベート(Elizabeth)と清き愛で結ばれていたのですが、ふとしたことから官能の愛を求めるようになります。

我に返ったタンホイザーは自分の行為を悔やみますが、領主はタンホイザーを追放します。そして領主はタンホイザーにローマに巡礼に行き教皇の赦しが得られれば戻ってきてよいと云います。彼は巡礼に加わりヴァルトブルク(Waltburg)城を去ります。

ヴァルトブルク城近くの谷。タンホイザーが旅立ってから月日がたちます。エリザベートは、タンホイザーが赦しを得て戻ってくるようにと毎日祈り続けます。やがてローマから巡礼の一行が戻ってきます。エリザベートはその中にタンホイザーを探すのですが、彼はいません。このとき歌われるのが「巡礼の合唱」です。

心に残る名曲 その二十 グレゴリオ聖歌 その2 その特徴

グレゴリオ聖歌のように歌を典礼に導入する形式は、元をたどればユダヤ教のシナゴーグ音楽(synagogue music)に由来します。ユダヤ教の礼拝儀式ではヘブライ語(Hebrew)による宗教歌が歌われます。それらは旧約聖書の朗唱,祈祷歌,賛歌などでいずれも無伴奏です。ヒンズー教(Hindu)も 同じような形式の歌を礼拝でとりいれています。

グレゴリオ聖歌の特徴としては次のことが挙げられます。
1)無伴奏のユニゾンによって歌われる、一本の単純な旋律なのでプレインソング(plainsong)とも呼ばれる
2)全音階のみを使ってすべての旋律を表現する方法でできている
3)2拍子、3拍子といった拍節がない
4)歌の終り感がない
5)歌詞はラテン語

ミサで歌われる祈りのグレゴリオ聖歌は、キリエ(Kyrie)、グローリア(Gloria)、クレド(Credo)、サンクトス(Sanctus)、ベネディクタス(Benedictus)、アニュスデイ(Agnus Dei)からなります。

Kyrieとは、「主」を意味し、「Kyrie eleison)」「主よ憐れみ給え」と三度唱和します。7世紀になるとGloriaが加わります「栄光」という意味で、もともと詩篇(Psalm)にある歌詞が引用されます。11世紀頃、Credoが採用され「信条」「信仰」として歌われます。Sanctusは「聖なる」、Benedictusは「恵みある」で初期のキリスト教時代である使徒時代(Apostolic Time)に作られたようです。Agnus Deiは「神の子羊」とされ7世紀の東方教会のミサで歌われ定着しました。

心に残る名曲 その十九 グレゴリオ聖歌 その1 名前の由来

グレゴリオ聖歌(Gregorian chant)は単旋律(monophonic)でユニゾン(unsion)によるローマカトリック教会の典礼音楽です。ミサの中で歌詞に旋律が付けられたものです。590年から604年までローマ教皇であったグレゴリウス1世(Gregorius)にちなみ、770年頃からグレゴリオ聖歌(Gregorian Chant)と呼ばれるようになります。グレゴリウスは聖歌をいわば公認したというわけです。「Chant」とは聖句を詠唱するとか単調な旋律で繰り返し歌う、という意味です。もともとはフランス語です。

フランク王国(Frank)のカール大帝(Charlemagne)らによる古典復興といわれるカロリング・ルネッサンス(Carolingian Renaissance)が起こる800年頃の文化隆盛期に聖歌は大きく育ったといわれます。それは、フランク王国がキリスト教を受容し、グレゴリオ聖歌をミサで使い、王国の運営にも教会の聖職者たちが多くを担ったこともあります。やがて聖歌は西方全域へと波及し、ローマカトリック教会もこれを採用します。

キリスト教の伝統的な聖歌には二種類あります。一つは東方教会で使われるビザンティン聖歌(Byzantine Chant)です。ギリシャ正教会の奉神礼で用いられる歌でギリシャ語世界に存在する聖歌です。西方教会を代表するのがグレゴリオ聖歌です。

心に残る名曲 その十八 バッハと三つの時代

バッハが特に影響を受けた作曲家の一人がブクステフーデ(Dieterich Buxtehude)であることを既に述べました。ブリタニカ国際大事典によりますと、1705年に北ドイツにあるルーベック(Leubeck)を訪ね、ブクステフーデの壮麗な演奏と作品に触れたことが彼の音楽的成長に大きな役割を及ぼしたとあります。「トッカータとフーガ 二短調 BWV 565」はその代表です。1708年にワイマール(Weimar)公の宮廷に礼拝堂オルガニスト、兼オーケストラのヴァイオリニストとして迎えられます。「トッカータ、アダージョとフーガBWV564」やコラール前奏曲、「オルガン小曲集BWV599-644」などから、ワイマール時代がバッハの「オルガン曲の時代」と呼ばれる所以です。

しかし、ワイマール公爵家の内紛や楽長の死後、その後任に選ばれなかったことの理由からバッハはワイマールを辞します。そしてハインリッヒ・ケーテン公(Heinrich von Anhalt-Köthen)に招かれます。そこでは世俗的な器楽の作曲と演奏が主な職務となります。有名な「無伴奏チェロ組曲BWV1007」、「ブランデンブルグ協奏曲BWV1046-51」などを完成させます。さらに「平均律クラビーア曲集BWV846-69」「インヴェンション BWV772-80」など多くのクラヴィア曲を作ります。ケーテンでの六年間はバッハにとって「世俗器楽曲の時代」と呼ばれました。

さらに1723年からライプツイッヒ(Leipzig)に移り、聖トーマス教会(St. Thomas)と聖ニコライ(St. Nicholas)教会の音楽監督(カントル)として作曲にも注ぎます。そして「ヨハネ受難曲 BWV145」、「マタイ受難曲 BWV244」、「クリスマスオラトリオ BWV248」、「ロ短調ミサ曲 BWV232」といった「四大教会音楽」を残す活躍を示します。そうした作曲活動からライプツイッヒ時代は「教会声楽曲の時代」と呼ばれるくらいです。

心に残る名曲 その十七 「楽しき狩りこそわが悦び BWV208」

バッハの作曲した「世俗カンタータ(Secular Cantata)」の一つで、通称「狩のカンタータ(Jagdkantate)」と呼ばれています。現存するバッハの世俗カンタータの中では最も古いものです。1713年2月のヴァイセンフェルス公クリスティアン(Christian von Sachsen-Weissenfels)の誕生を祝う祝典曲といわれます。全部で15曲から成ります。

「世俗カンタータ」とは、バロック時代の声楽形式で,一つの物語を構成する歌詞がアリア,レチタティーボ(recitative),重唱,合唱などからなる多楽章形式のものです。小型のオペラまたはオラトリオともいわれます。今日では教会礼拝用音楽としての教会カンタータが有名です。

ブリタニカ大百科事典によりますと、バロック時代を通じての標準的で一般的なカンタータは、世俗カンタータであったようです。第1曲 レチタティーヴォの「楽しき狩りこそわが悦び」は言葉の抑揚に忠実なので朗唱と訳されています。終曲の第15曲は「愛しき眼差しよ」という合唱となっています。

ところで、第9曲はアリア(Aria)「羊は憩いて草を食み(Adagios Sheep may safely graze)」という叙情的な朗唱です。「Adagios」とや「ゆっくり」、とか「長閑と」という曲の表現やテンポを示す音楽用語です。旋律の美しさを重視し、リコーダは牧歌的なテーマを要所で挿入し、ソプラノが伸びやかに草を食む羊を描きます。

羊とは領民をさし、牧童はクリスティアン公を示唆しているといわれています。領民の安寧を導く賢い王となるように願った曲のようです。第9曲はこのカンタータの中で最も知られているといえましょう。

心に残る名曲 その十六 「インヴェンションとシンフォニア BWV 772-801」

この曲は、バッハのクラヴィアのための曲集の一つです。「クラヴィア」とは鍵盤のことであることは既に述べました。バッハが若き音楽家の育成に主眼を置いて作曲された小品集といわれますが、芸術的に高い音楽ともいわれます。バッハはザックセン(Sachsen)で宮廷楽長として、またライプツィヒにある聖トーマス教会(St. Thomas Church)の音楽監督(トーマスカントルーThomascantor)として長く活躍します。その間、こうした音楽家を育成するいわば教育目的のクラヴィア曲を多数作曲したといわれます。

インヴェンション(invention)とは、「創作」とか「着想」という意味です。シンフォニアは古代ギリシャ語の「symphonia」調和という意味だそうです。16世紀頃になると、曲集の題名に用いられるようになります。器楽合奏による多楽音形式の曲種名ともなります。器楽シンフォニアは、オラトリオなどの声楽曲の器楽前奏ないしは間奏として用いられます。インヴェンションは2声部の、シンフォニアは3声部の、対位法的な形式による様々な性格の小曲でです。シンフォニアは「3声のインヴェンション」と呼ばれることもあります。

バッハは演奏目的だけでなく、作曲も視野に入れた優れた教育作品としたようです。レオポルト・ケーテン(Leopold von Anhalt-Köthen)公に招かれ宮廷楽長として活躍した時代に作ったといわれます。現代のピアノ学習者のための教材としても広く用いられています。また教育作品に留まらず、バッハの他のクラヴィア楽曲と同様、多くのチェンバロ奏者やピアニストが演奏しています。こうした演奏はYouTubeで楽しめます。

演奏者の曲の解釈によって、演奏の内容が異なるのは興味あることです。ですが作曲者の意図がなんであったのかを考えてしまいます。楽譜には作曲者の意図が明確にあらわれています。テンポもそうです。「allegro」は「速く」、とか「活発に」というテンポです。「allegro con brio」は「アレグロのテンポで生き生きと」とあります。この違いを演奏者はそれぞれに解釈するというわけです。

心に残る名曲 その十五 「マニフィカト ニ長調 BWV243」

ラテン語の「Magnificat」とはマリアの賛歌と云われ、カトリック教会の典礼において夕べの祈りの中心をなす歌のことです。ラテン語での名称は「Canticum Beatae Mariae Virginis」といいます。「Canticum」とはキリスト教における聖歌の一つです。歌詞はルカによる福音書(Gospel according to Luke) 第1章46~55節に由来し、〈わが魂は主をあがめ Magnificat anima mea Dominum〉の最初の語の名称に由来します。マリアがバプ   テスマ(Baptisma)のヨハネの母となるべきエリサベツ(Elizabeth)を訪ねたときに受けた受胎告知の祝詞に対して答えた賛美の歌でです。

わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。

マリアの賛歌のあとには、典礼の中でしばしば使われる「頌栄」(doxology)という賛歌が続きます。祈祷文ともよばれます。聖務日課の晩課で歌われるほか,多声部の作品も多く,オルガン曲にも作曲されています。 プロテスタント教会で使われる頌栄の一つは次のような祈祷文です。

父、御子、御霊の神に、御栄えあれ、
始めも、今も後も、代々に絶えず アーメン

Glory be to the Father, and to the Son, and to the Holy Ghost.
As it was in the beginning, is now and ever shall be, world without end. Amen.

心に残る名曲 その十四 カンタータ第147番 「心と口と行いと生活で」

1716年、バッハはワイマール(Weimar)で待降節(Advent)第四日曜日用に作曲をはじめました。しかし、作曲を中断してライプツィヒ(Leipzig)に移ったのちに改作します。第1部、第2部からなる大規模なカンタータです。ライプツィヒでは200曲のカンタータのうち、実に160曲を作ったというのですから驚きです。

有名な「主よ、人の望みの喜びよ」のコラールが登場するカンタータがこの147番です。1723年に主の母マリア(Mary)訪問の祝日のために作曲したと推測される教会カンタータです。全10曲からなり、終曲のコラールは「主よ、人の望みの喜びよ」となります。ドイツ語では、Jesus bleibet meine Freude、英語では、Jesu, Joy of Man’s Desiring というタイトルがついています。

ルカによる福音書(Luke)1章39節から56節がマリアの賛歌と呼ばれます。この箇所は次のような内容です。

ザカリア(Zacharias)とエリサベツ(Elisabeth)の夫婦は老齢になるまで子どもに恵まれずにいたのであきらめかけていましたが、ザカリアのもとに天使ガブリエル(Gabriel)が現れ「エリサベツが子を産むのでヨハネ(John)と名づけなさい」と告げ、エリサベツは身ごもります。後の洗礼者ヨハネです。
そののち同じように天使ガブリエルから受胎を告知された聖母マリア(Mary)は立ってユダ(Judah)の町へ行き、エリサベツの家を訪ねます。

マリアは、ザカリアの家に入ってエリサベツに挨拶します。エリサベツがマリアの挨拶を聞いたとき、その子が胎内でおどります。エリサベツは聖霊に満たされ声高く叫んで言います。
「あなたは女の中で祝福された方、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上が私のところに来てくださるとは、なんという光栄でしょう。ごらんなさい。あなたの挨拶の声が私の耳に入ったとき、子どもが胎内で喜びおどりました。主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」
するとマリアは言います。「私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主なる神をたたえます」

エリサベツもマリアも主の言葉を「心と口と行いと生活で」忠実に守り、やがて子育てに尽くす姿を予見しています。

心に残る名曲 その十三 「G線上のアリア BWV1068」

「管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068」の第2曲「アリア」(Air on G String)が通称「G線上のアリア」です。原曲はニ長調で書かれています。1871年にドイツのヴァイオリニストのヴイルヘルミ(August Wilhelmj)がヴァイオリンの四本の弦の中で一番低いG線だけで弾けるようにハ長調に転調したといわれます。

この曲には「Air」と副題がつけられています。フランス語で「エール」です。英語では「エア」、イタリア語では「アリア」「aria」となります。こうした副題から感じられることは、歌謡的、叙情的な器楽曲であるということです。

ニ長調のアリアは穏やかで清楚な印象を、ハ長調のほうはG線がいぶし銀のように渋く響きます。ヴァイオリンの高い音程の曲を聴くことが多い中、G線だけで演奏されるこの曲は、まるでビオラかチェロで演奏されているような印象を受けます。

 

 

 

 

 

孫のAndersが同じ高校の生徒、石館楓さんと二重奏を弾いています。二人はボストンの郊外に住んでいます。

心に残る名曲 その十二   讃美歌358番「こころみの世にあれど」

昨日、イギリスでのローヤルウェディング(Royal Wedding)を観ました。どうしてこなんにイギリス国民はもとより、世界中の人々がこの結婚式に惹き付けられるのかを思いました。礼拝式の最初で歌われた讃美歌は私の大好きな曲の一つであったので、なおさら印象深い瞬間でした。

この讃美歌は、日本では「こころみの世にあれど」と題するものです。讃美歌集の358番に位置します。プロテスタントの教会では統一した讃美歌です。英語名は「Be Thou My Vision 」。原文にそって訳しますと、「私の光となってください」となります。「こころみの世にあれど」は歌詞の内容をくみとったものです。「Thou」とは「You」のことで神や主を意味します。

こころみの世にあれど、
 みちびきのひかりなる
  主をあおぎ、雨の夜も
   たからかにほめうたわん

Be thou my vision, O Lord of my heart;
naught be all else to me, save that thou art thou my best thought, by day or by night;
waking or sleeping, thy presence my light.

https://www.youtube.com/watch?v=v733NbQ2fsc

この讃美歌は8世紀ころのアイルランドの古い民謡が元歌です。中世期のアイリッシュの人々で歌われ、やがてそれが広まったといわれます。この詩を作ったのは眼の不自由なアイリッシュだったと言い伝えられています。「Be Thou My Vision 」というタイトルからそれが伺えます。

今や全世界の英語圏の教会で歌われているキリスト教の伝統的な讃美歌です。キリストを愛し従う者に与えられる内なる平安を表現した讃美歌といえます。