心に残る一冊 その51 エマソンと「自己信頼」

ラルフ・エマソン(Ralph Emerson) は、1800年代に主としてマサチューセッツ(Commonwealth of Massachusetts)で活躍した思想家、哲学者、作家、詩人です。彼を「自己啓発の祖」などと呼ぶ人もいます。本人は「そんな呼び名はどうでもよい」と思っているでしょうが、、、、彼の業績を称えるように全米各地に「Emerson」や「Thoreau」のついた小中学校があります。

「自己信頼(Self Reliance」という彼の著作があります。これを紹介してみます。私がこの本を読んで一番感じ入った言葉があります。

「人間は臆病で弁解ばかりしている。すっかり自信を失い、自分はこう思うとか私はこうだ、といいきる勇気もなく、どこかの聖人や賢人の言葉を引用している。」

「心に残る一冊」を通して、私も他人の信条や思想に共鳴しながらこのシリーズを描いているのでエマソンのこの言葉に少々狼狽えます。

「私たちは吟遊詩人や賢者たちが放つ目も眩むような輝きよりも、自分の内側でほのかに輝いている光を見つけ、観察するべきだ。人は自分の考えをそれが自分のものだ、という理由で無造作に片付けてしまう。そして天才の仕事をみるたびに、そこに自分が却下した考えがあることに気づく。これは、優れた芸術作品を前にしたとき、私たちが学ぶ最大のことに違いない。これらの作品は、たとえ周囲のすべてが反対していようとも、にこやかに、しかし断固として自分の中に自然に湧き上がってくる印象に従うべき、と教えてくれる。」

自分の印象や考えを徹底的に信じ生きることが大切だとエマソンはいうのです。

「さもなければ、翌日にはあなたがいつも考え、感じてきたものと全く同じことをどこかの誰かが言葉巧みに語り出し、あなたは恥じ入りながら、自分の意見を他人から頂戴する羽目になる。」

エマソンの主張する自己信頼とは、利己心とは違うようです。彼のいう自己信頼とは、自己(ego)ではなく、自分の中に住む普遍的な存在を指しているようです。これは精神の自律ともいうべき境地かもしれません

心に残る一冊 その46 「ワルデンー森の生活」

ボストン(Boston)から車で北西20キロのところ。独立戦争の口火を切った古戦場の一つ、レキシントン・コンコード(Lexington-Concord)があります。舞台は1775年頃です。このあたりは広大な森が広がり、そのあちこちに湿地や池などが点在します。ニューイングランド(New England)と呼ばれます。1845年、ヘンリー・ソーロ(Henry D. Thoreau)は、教育手段として使われていた笞打ちに反対し教師を辞任し、ここにあるワルデン池 (Walden Pond)のそばに簡素な家を建て、森の中でひとり2年余りの自給自足の生活を始めます。ソーロはアメリカの随筆家です。

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Henry D. Thoreau

1854年に出版されたソーロの「ワルデンー森の生活 (Walden, Life in the Woods)」は、ニューイングランドでの生活の記録です。自然のなかにその身を置いて、自然とともに生きることの意味を語っています。大事だと思われることは、ソーロにとって自然とはワルデン池と周りに広がる森という自然だけではないことです。自分自身が文明化され機械化されつつあるアメリカにあって、より自然体でいきることの意義を探すのです。自然体とは、生活に必要な最低限のものを自力で手に入れて生きることを意味します。ソーロは人間はそれができるのだと訴えます。

「素晴らしい絵を描き、彫像を刻むこと、こうした創造の能力は良いものです。けれど、人が生きて、描き、練り、暮らしを良くする芸術ほど、輝かしい芸術はないでしょう。日々の暮らしの質を高めることこそ最高の芸術ではありませんか。」

文明化した人の人生の目的が、未開の人のそれと比べ、格段の価値があるとはいえないとソーロはいいます。暮らしに必要な物と心地よさを追い求めることで十分だ、というのです。適量の豊かさで良いのではないか、、、このような暮らしをしていて、なぜ人頭税などを払う必要があるのか、とも訴え逮捕されたりします。

ソーロと同じ時期に執筆活動で活躍したアメリカを代表するといわれる文筆家で思想家が、エマソン(Ralph W. Emerson)です。彼もソーロと同じくハーヴァードを卒業し、一時牧師となります。教職を辞してからはコンコードに住むのです。「地としての世界の中に自分の理性に見えるとおりの意味を正直に読み取ろうという自己信頼の思想」を強調します。

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