旅のエピソード その49 「北投温泉とカラオケ」

旅の楽しみは、地元の人としばし語らう体験です。国内でも海外でも同じです。今回は台北でのエピソードです。かつて沖縄にいたとき、台北と台中に旅行したことがあります。台湾は街が清潔だという印象を受けました。

どうしても1度は台北の郊外にある温泉に行ってみようということになりました。満員の電車に乗り、地図を見ながら連れ合いとでどこで降りて、どの温泉に入ろうかと立ち話していました。すると前の座席に坐っていたお年寄りが、「日本のどこからきましたか?」と声を掛けてきました。台北の小学校時代に日本語で授業を受けていた、というのです。懐かしそうに授業の様子を語ってくれました。その方の担任だった先生は練馬区に住んでいて、練馬では校長先生として活躍したのだそうです。この恩師を毎年台北に招待して、同窓会をやっていると嬉しそうに語っていました。こちらも思わず良い心持ちになりました。

温泉地は「北投(べいとう)」というところです。台北から電車で30分位です。電車を降りると硫黄の匂いが漂います。北海道の登別や箱根の温泉地に来たような気分になりました。しばらく歩くと、ラジカセをベンチにおいてカラオケを楽しむ一団に出くわしました。聞くとすべて美空ひばりの曲を歌っているとのこと。沢山のカセットを見せてくれるのです。まさか、美空ひばりの歌を聞くとは驚きでしたが、地元のお年寄りがいかに日本の歌謡曲に親しみ、人生を楽しんでいるかにも驚きました。

北投で温泉を発見したのはドイツ人といわれます。1895年の下関条約により台湾は日本に割譲され、日本の温泉文化が始まります。1896年に大阪出身の平田源吾により、北投に台湾初の温泉旅館「天狗庵」が建てられます。北投温泉の大きな特徴のひとつは、3種類の泉質のお湯を楽しめることです。白硫黄泉、青硫黄泉、そして鉄硫黄泉です。私ども夫婦が楽しんだところは公衆浴場の「瀧乃湯温泉」。創業は1907年頃で台湾最古クラスの公衆浴場とあります。強酸性のかなり熱い湯です。日本円で350円位です。

台湾人と日本人の共学制が採用された1929年で、初等教育において民族による区分が廃止され「日本語を常用する児童」が小学校で学びます。教育面でいいますと1943年では台湾の子どもの就学率71%とアジアでは日本に次ぐ高い水準に達していたといわれています。台湾における日本統治時代への評価は朝鮮に比べて肯定的で、特に日本統治時代を経験した世代の人々は、その時代を懐かしみ評価する人々も多いようです。