「俺たちに明日はない」(Bonnie and Clyde) は、1967年に製作され世界恐慌時代にあった実在の銀行強盗であるボニーとクライドの、出会いと逃走を描いた犯罪映画です。この作品は、アメリカにおけるニューシネマ(New Cinema)の先駆的作品の1つであり、画期的な映画と評価されています。その理由は、旧来の保守的でブルジョア的な高級文化、「ハイ・カルチャー」(High culture)が誇る価値観を根本的に批判する新たな文化、カウンター・カルチャー(Counter culture)を盛り込んだ作品として登場したからです。やがて映画やテレビでは犯罪や暴力、殺人やセックスを表現することにオープンになります。芸術でいえば、アヴァンギャルド (Avant-garde)、つまり、先鋭的ないし実験的な表現を主張し、既存の価値基準を覆す思想を叫ぶのです。
『俺たちに明日はない』の荒筋です。クライド・バロウ (Clyde Barrow) は刑務所を出所してきたばかりのならず者です。平凡な生活に退屈していたウェイトレスのボニー (Bonnie) はクライドに興味を持ち、クライドが彼女の面前で食料品店の強盗を働くことに刺激されるのです。二人は車を盗み、町から町へと銀行強盗を繰り返すようになります。やがて、5人組の仲間を組織し、バロウズ・ギャング(Barrow’s Gang)という強盗団となります。当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌の下にありました。その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す強盗団は、凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞で大々的に報道されるようになります。金持ちに狙いを定め、貧乏人からは巻き上げない「義賊的な姿勢」が共感を得、世間からは世界恐慌時代のロビン・フッド(Robin Hood)として持てはやされるのです。
多くの殺人に関与し、数え切れないほど多くの強盗を犯したクライドとボニーは、遂にルイジアナ州(Louisiana)で警官隊によって追い詰められます。そして映画のエンディングは「映画史上最も血なまぐさい壮絶な死のシーンの1つ」と呼ばれるほどのシーンです。このような犯罪行為を前面に打ち出す映画は、カウンター・カルチャーの表現の1つで、仮想的権威を前提とした対抗運動でもありました。