ユダヤ人と日本人 その6 なぜユダヤ人に関心を抱くのか(2)

私がユダヤ人に関心を抱くきっかけとなったもう一つの理由は、その民族の不思議な歴史にある。これほど流浪を続け迫害を受けた人種はないであろうと思うほどである。旧約聖書にある出エジプト記にある「エクソダス」(Exodus)はユダヤ人の流浪の始まりである。そうして全世界に離散(diaspora)していく。

「エクソダス」は、旧約聖書の申命記(Deuteronomy)などで記述される「乳と蜜の流れる場所(a land flowing with milk and honey—the home of the Canaanites)」、「豊穣の地」、「 恩寵の地」、「安住の地」を求める旅である。神がアブラハム(Abraham)の子孫に与えると約束したカナン(Canaan)である。カナンは地中海とヨルダン川、そして死海に挟まれた地域といわれる。

離散された民、ディアスポラは離散先での永住と定着を示唆している。そこには偏見や差別に満ちた世界でもある。だが彼らは難民ではない。難民は元の居住地に帰還する可能性がある。ディアスポラにはそれがない。

近代の「エクソダス」は中東からヨーロッパへの大量移住がよく知られている。ユダヤ系のディアスポラのうちドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々とその子孫はアシュケナージム(Ashkenazim)と呼ばれる。語源は創世記10章3節に登場するノア(Noah)の子孫として「アシュケナズ」(Ashkenazi)である。

アシュケナージムの離散の歴史を調べると、まさに過酷さのそれといえそうである。その最たるものが、精神科医ヴィクトール・フランクル(Viktor Frankl)の「夜と霧」に記される強制収容所送りであろう。この体験記の翻訳はみすず書房から1946年に出版された。
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