文化の日を考える その七 文化とルース・ベネディクトと土居健郎

今も昔も、日本人論とか日本文化ということが内外の識者によって語られています。アメリカで最初に日本文化を論じた人にルース・ベネディクト(Ruth Benedict)がいます。彼女の文化観を考えることにします。

ruth-benedict-1-728 camp3candy 933-1ベネディクトは、共同体それぞれ文化に基準があり、他の価値や伝統という尺度からは文化の意味を理解することが困難だと主張します。ベネディクトの文化のとらえ方は、「日本人」とか「日本文化」でくくられる狭い意味の文化論とも違うようで、生活や環境全体を意識する見方のようです。彼女の文化観は、文化というものは相対的なもので、共同体に独自の規範があり、それを理解していくと文化の比較は生産的でないと主張します。つまり共同体の文化は、意味や価値を有しておりそれを標準化するような性質のものでないという立場なのです。

ベネディクトは日本で研究したことはないのですが、戦時中日系アメリカ人や日本人捕虜との接触から日本文化を調べ、「菊と刀」(The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture)という著作をあらわします。そして日本人の心性とか人間関係の基本が「恥の文化」(Shame Culture)にあるという仮説をたてるのです。

日本人捕虜との遭遇から一つのエピソードがあります。戦時下ではアメリカの捕虜は尋問に際して、敵方の軍事情報は決して明かさず、故郷や家族のことを語るの対して、日本人捕虜は軍事作戦に関することは白状しても家族のことは決して語らなかったいうのです。家族に捕虜になったことを知られたくなかったといいます。ベネディクトはそうした精神を「恥の文化」と呼んだわけです。「罪の文化」 (Sin Culture)というキリスト教のとらえ方と対峙させたのです。「罪」というのは内に感じて外に向かい、恥というのは外に感じて内に向かうと一般にいわれます。

日本人の人間関係を「他人依存的自分」、あるいは「受身的愛情希求」としてとらえるのが精神科医師の土居健郎です。その著作「甘えの構造」 (英訳:The Anatomy of Dependence)の中で、日本人は周囲の人に好意を持ってもらいたいとか、他者に対して「好意を持って優しくして欲しい」という他者依存があると主張します。内と外という関係に登場するのが「遠慮する」という考え方です。遠慮がない身内は文字通り内であるが、遠慮のある義理の関係は外であると規定します。「遠慮」とは「美徳」だというのです。人間関係を円滑にする大事な手段と考えます。内的な良心を意識する「罪の文化」とか「近代的自我の欠如」の態様が「恥の文化」であるととらえるベネディクトの主張に対して、「そうではない、甘えという美徳が行動の規範なのだ」というのが土居の文化観です。

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文化の日を考える その一 文化の定義とは

be14a071-396a-892f-0fa3-5722fc7d7fd0siba meiji_emperor sim「文化の日」が近づいています。再び「文化とは」ということを考えたくなる候です。文化とは誠に味わいのある言葉です。紛争や事件が耐えない今日、武力や刑罰などの権力を用いず、学問や教育によって人々を導くことが「文」。学芸は諸文物が進歩し、世の中が発展することが文明開化と呼ばれます。人間の理想の実現のために果たしてきた精神的な活動とその所産の総称が「文」といわれます。

「文化とは」を考える切り口は人によって違うでしょうが、私は愛読する佐伯泰英の時代小説と司馬遼太郎の「アメリカ素描」に書かれてある「文明」と「文化」の定義、そしてルース・ベネディクト(Ruth Benedict)の文化観に切り口を求めたくなります。

昨年、八王子にやってきた娘婿や孫娘らと会話しながら、日本とアメリカの公的祝日が話題となりました。もっとも日本はアメリカに比べて祝祭日が多いということが話題の端緒でした。建国記念日や天皇誕生日、憲法記念日などは彼らには納得できます。アメリカにも似たような歴史的なことを記念する祝日があるからです。私はさらに、日本には成人の日、春分の日、秋分の日、みどりの日、文化の日などが祝日になっていることを説明しました。

娘婿が興味を示したのは文化の日です。実は筆者も文化の日を説明するのに窮したのです。「日本の文化を大事にすること、学問に励むこと、ノーベル賞をもらった人々に勲章を与える」などと説明したのだが、娘婿の顔は得心するものではありませんでした。これではいかんと思い文化の日の謂われを調べました。もともとの文化の日の制定は、明治天皇誕生日である1852年11月3日に由来するとあります。そういえば戦後しばらくの間、両親らが文化の日を明治節とか天長節と呼んでいたのを思い出しました。

みどりの日、昭和の日などを天皇の誕生日を記念する日であることも娘婿に説明しました。すると彼が、「日本は新しい天皇が生まれるたびに祝日が増えるのか?」と誠に答えにくい質問をしてきました。このままでは、何十年後毎に祝日が増えるわけです。
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