2014年8月11日のこのブログで「文化を考える その4 サブカルチャー」と題する駄文を掲載しました。次のような内容でした。
1960年代のサブカルチャーを誘因する大きなきっかけとなったのは、ベトナム戦争である。既成の体制やハイカルチャーに対して主として若者が怒りだす。主流の文化であるメインカルチャーの地位が揺るぎ出すのである。それまでサブカルチャーとして卑下されがちであった現象が次第にそ認知されていく。このことはメインとサブの境界を曖昧にしていくことを意味する。
音楽の世界ではビートルズのジョン・レノン(John Lennon)、ボブ・ディラン(Bob Dylan)、ジョーン・バエズ(Joan Baez)、ピーター・ポウル・メアリー(Puter, Paul & Mary-PPM)などである。彼らの、自由と平和を訴えるメッセージは若者だけでなく広く大衆に受け入れられていく。映画の世界でも芸術性の高い作品に混じって、大衆娯楽に徹するものとが共存していく。「ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる”新しい波”の映画も制作される。大島渚の「愛のコリーダ」は既成の概念を打破するような演出だ。演劇もそうだ。アンダーグラウンド(Underground-culture)とかカウンターカルチャー(Counter-culture)と呼ばれ、反権威主義的な文化の芸術運動が広まった。それまで認知度が低く、水面下での活動がやがて社会的な地位を確立していく。
漫画やアニメはかつてはサブカルチャーだったが、今やすっかりメインカルチャーとして不動のものとなった。ビデオ・オン・デマンド(VOD)が有線テレビジョン(CATV)で提供されている。「一億総白痴化」 、「駅弁大学」といった造語の大家、大宅壮一には今の社会状況がどのように写るのかは興味ある話題である。彼が生きていれば一体どんな流行語を使うだろうか。
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