ウィスコンシンで会った人々 その112 洒落噺 「洒落番頭」

洒落と駄洒落の違いと訊かれてもすぐに答えは出ないが、洒落は「オシャレ」、駄洒落は「オヤジギャグ」としておくのが相応しいようである。ややこしい定義よりもフィーリングでつかむほうがよさそうだ。

「洒落番頭」という演目を紹介する。さる商家の旦那、女房に「うちの番頭は洒落番頭と言われるほどの洒落の名人だ」と聞かされたので、番頭を呼んで「洒落をやってみせておくれ」言う。番頭が「ではお題をいただきます」と言うので、「庭の石垣の間から蟹が出てきた。あれで洒落を」と旦那は頼む。番頭は即座に「にわかには(急には)洒落られません」という。

洒落のわからない旦那は真面目に受けて「できないなら題を替えよう。孫が大きな鈴を蹴って遊んでいる。あれでどうだ」と言う。番頭、すぐに「鈴蹴っては(続けては)無理です」。旦那は「洒落られません、無理ですって、なにが名人だ!」と本当に怒ってしまう。

番頭は慌てて部屋から退いて、「旦那の前では二度と洒落はやるもんか」と捨て台詞。旦那は女房にその話をすると、女房は「それは洒落になってます」。

旦那 「できません、無理ですって断わるのが洒落かい」
 女房 「洒落になってますよ。番頭は洒落の名人なんですから」
 女房 「番頭がなんか言ったら、うまい、うまいって褒めてあげなさいよ。それを怒ったりしては、人に笑われますよ」
 旦那 「じゃあ、番頭を呼んで謝ろう」

呼ばれた番頭は旦那に謝られて盛んに恐縮する。

旦那 「機嫌を直して、もう一度、洒落をやっておくれ」
 番頭 「いえ、もう洒落はできませんで」
 旦那 「やぁ、番頭。うまい洒落だ」

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ウィスコンシンで会った人々 その111 Intermission ラグビーとスコットランド

「ラグビー・ワールドカップ2015」で日本代表の初戦の活躍が光った。強豪南アフリカ(South Africa)を破ったことにある。だが、第二戦はインターセプトなどの判断ミスから失トライ重ね、後半失速しスコットランド(Scotland)に敗退した。

スコットランドといえば、ゴルフ発祥の地としても知られ、セント・アンドルーズ(St. Andrews)は聖地と呼ばれる。またカーリング(Curling)もスコットランドが発祥とされるため、国際大会の前にはスコットランドの歌「Flower of Scotland」が演奏される。国民的にはサッカーが最も人気のあるスポーツであるが、ラグビーも非常に強いことが先日の対戦で知らされたところである。
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復習のようであるが、スコットランドは独立国家ではなく、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland: UK)を構成する4つの国の一つである。2014年9月、スコットランドの独立を問う住民投票が実施されたが否決されたのは目新しい。そのような訳で、スポーツなどの国際大会で演奏される「Flower of Scotland」は国歌ではない。

筆者も、誠に細いつながりがスコットランドやイングランド(England)とにある。数少ない友や知人を通して学校を視察したこと、障がい児教育の現場を見せてもらったことも忘れられない。ヨーロッパの歴史を表層的に学んだこと、特に幕末から明治にかけてのスコットランド人(Scots)の日本での活躍、日露戦争前後の日本とイギリスの関わりは記憶に残る知識だ。それとルター(Martin Luther)と宗教改革がスコットランドに与えた影響、改革の意義を説教や勉強会で教えられたことも心の糧となっている。こうしたスコットランドと日本の関係にはついては、このブログ上で24回にわたり綴ってきた。

全世界の産業革命の先駆的な出来事は、蒸気機関の発明である。蒸気機関は工場や機関車に応用された。その発明家ジェームズ・ワット(James Watt)は、グラスゴー大学(University of Glasgow)で機械工学を学び、その後技術者として知られ、産業革命の発展に多大な貢献をした。オックスフォード大学(University of Oxford)やケンブリッジ大学(University of Cambridge)が、主に官僚を養成することを重視したが、グラスゴー大学や実学を強調した。その違いはきわめて鮮明である。

スコットランド人は理論を実践に移し、ものづくりに傾注することの重要性を深く認識していたようだ。多くの技術が実用化され、スコットランドはやがて産業革命の中心地としての地位を確立し、「大英帝国の工場」と呼ばれた時期もあったようである。今も鉄道、鉄鋼、機械、石炭、畜産、綿織、海運、造船などが盛んである。

スコットランド人の気質としては、独創性、独自性が豊かだといわれる。それを起業精神につながると指摘する識者もいる。スコットランドの自然と経済環境の厳しさにも由来するとされる。1701年にイングランド王国に併合されると、スコットランド人の就労の機会は先進地域のイングラントや海外への植民地へと向かっていく。
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多くのスコットランド人が1800年代に北アメリカ大陸に渡っていった。アメリカの鉄鋼王と呼ばれたアンドリュ・カーネギー(Andrew Carnegie)もスコットランド人である。1848年にアメリカに移住した。カーネギーはU.S. スティール会社(U.S. Steel Corporation)などを創設し莫大な資産を残す。それを基金としてカーネギーメロン大学(Carnegie Mellon University)、世界の音楽の殿堂といわれるニューヨークのカーネギーホール(Carnegie Hall)などの建設に使った。偉大な篤志家ともいわれる。道産子の小生には、開拓時代にスコットランド人の実業家や研究者が北海道の農業や酪農、畜産業などの分野で大きな貢献をしたことも忘れられない。エドウィン・ダン(Edwin Dun)はその代表である。

スコッチ・ウイスキーは定義上スコットランド産である。スコットランドには、100以上もの蒸留所があり、世界に愛好家が多い。ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝もグラスゴー大学で応用化学を学びやがて、北海道の余市においてウイスキー蒸留所を建てる。

1960年代に北海油田が開発されると、漁港アバディーン(Aberdeen)は石油基地として大きな発展をとげた。石油資源の存在はスコットランド独立派の強みとなっている。UK唯一の原子力潜水艦の基地がスコットランドのクライド(Clyde)にある。

スコットランドの公用語は英語とゲール語(Gaelic)である。消滅危険度評価で「危険」水準にあることから、スコットランドでは、2005年からゲール語を公文書で使うことが決められた。なおゲール語ではスコットランドをAlbaと表記する。
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さてラグビーに戻り第三戦だが、一勝一敗の日本はサモアと、二勝のスコットランドは南アフリカとの対戦である。期待しよう。

ウィスコンシンで会った人々 その110 ヤブ医者噺 「薮医者」

小石川養生所ができたのが1722年。質素倹約を推奨していた八代将軍徳川吉宗、直々の命で建てた医療、福祉施設とされる。困窮者救済が主たる役目だった。もともと幕府の薬草栽培施設だったのが小石川御薬園。低地と湿地のためいろいろな薬草も繁茂していたという。そこに養生所を建てたのである。都心にあって静けさが横溢し緑が滴るところである。小石川は台地や傾斜地となっていて、泉水が豊富に湧き出すなど地形の変化に富んでいる。今も養生所で使われていた井戸が残されている。現在は東京大学小石川植物園となっている。

山本周五郎の「赤ひげ診療譚」は、長崎で修行した医師保本登、その師匠の赤ひげによる不幸な人々の救済物語である。「譚」とは物語という意味。落語などで登場する藪医者は、「藪井竹庵」。藪医者をなぞらえて用いられる。主人や旦那のもとで働く人物の代表は権助で、演目でしばしばでてくる。

はやらない藪医者の藪井竹庵。あまりにも患者が来ないので考えたあげくに、奉公人の権助をサクラに使うことを思いつく。権助に玄関前で患者の使いのふりをさせて「こちらの先生はご名医という評判で……」と大声を張り上げれば、評判が立つだろうという計画だ。正直な田舎者の権助は、間違って患者が来たら可哀そうだとこの計略に乗り気がしない。だが計画の練習が始まる。

「お〜頼み申しますでのう」と玄関先で大声をはりあげる権助に藪医者は「どおれ、いずれから?」と応対する練習である。

権助 「(普通の声で)はい、お頼み申します、お頼み申します」
藪医者 「それじゃぁ、聞こえない、」
権助 「えっ?」
藪医者 「聞こえないよ」
権助 「聞こえねぇことなかんべ」
権助 「おめぇ様、そこに居るでねぇか」
藪医者 「いや、あたしに聞こえても駄目だ、外へ通る人に聞こえなくちゃいけない」
藪医者 「大きな声で、ひとつ、やってみてくれ」

藪医者は権助に、どこからやってきて何をしているかを指南する。

権助 「お頼み申します、お頼み申します」
藪医者 「大きな声で何屋何兵衛だといえ」
権助 「お頼み申します、何屋何兵衛という、、」
藪医者 「そうじゃない。伊勢屋九兵衛という酒屋からまいりましたか、とかなんか言ってみろ」
権助  「繁盛しそうな名だ」

藪医者と権助の練習は続く。

権助 「神田、三河町、越中、源兵衛ちゅう、米屋からめいりました」
藪医者 「なるほど、うまいな、声も大きい」
権助 「どうだ、うまかんべぇ」
藪医者 「はい、神田三河町、越中屋源兵衛という米屋さんですか、」
藪医者 「して、何のご用で?」
権助 「先月のお米の勘定を、もれぇに来た」
藪医者 「冗談、言っちゃぁいけない」

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ウィスコンシンで会った人々 その109 放蕩息子噺 「六尺棒」

放蕩息子といえども、すごすご家から出て行く者だけでない。したたかさもあり頼もしいところがある。夜遊びとか博打、吉原通いといった江戸庶民の楽しみを描く演目に放蕩息子がでてくる。大抵は二代目の倅の浮かれ姿であり、お決まりのように啖呵をきって出ていく。そして「札付きのワル」として大抵はとどめを刺す。それをにぎにぎしく思う親父の混迷振りが伝わる。

「六尺棒」という演目である。堅気の商人の若旦那、幸太郎は夜遊びが激しい。毎晩のように深夜の帰宅。いつも親父がうるさいので、戸をそっと叩いて番頭や小僧を呼び家に忍び込もうとする。

生憎、親父が起きていて、戸を開けてくれない。挙げ句の果てに、『幸太郎のお友達ですか?よく訪ねてくださいました。「幸太郎は親類協議の上、勘当しました」と幸太郎にそうお伝え願います』などと、一向に家に入れようとしない。

幸太郎は家に入れてもらえそうもないので「この家に火をつけてやる」と穏やかでない。慌てた親父、六尺棒を持ってひっぱたきに飛び出てくる。幸太郎のほうが脚力があるから、どんどん逃げる。親父は捕まえることはできず、とうとう諦めて家に戻る。

戻ると家の戸が閉まっている。幸太郎が先回りをして家の中に入って錠をおろしてしまった。どんどん戸を叩くと、中の幸太郎はさっき親父にやられた通り真似をして『ああ、親父のお友達ですか?よく訪ねてくださいました。「親父は親類縁戚で相談の上、勘当した」と、親父にそうお伝え願います』などとやり返す。

怒った親父 「そんなに俺の真似がしたかったら、六尺棒を持って、追っかけて来い」

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ウィスコンシンで会った人々 その108 丁稚噺 「藪入り」

江戸時代の藪入りは1月16日と7月16日。女中や丁稚小僧などの奉公人、嫁が実家へ帰ることのできた貴重な休日である。さぞかし皆が待ち焦がれていたと思われる。こうした商家を中心に広まった藪入りの伝統と名残りは、現代の正月や盆の帰省に引き継がれている。

商家に奉公している亀吉が三年ぶりに実家へ帰る藪入りの前日の夜である。息子の帰りを待ちきれない父親は「あいつの好きな熱いご飯と納豆、ウナギを食わしてやりたい。寿司や汁粉、それから天ぷら、刺身、おでん、、、」と女房に用意するように言いつける。「そんなに食べられやしませんよ、」とたしなめられる。夜中、まんじりともせず亀吉の帰りを待っている。

「今日は亀を湯に行かせたら、浅草の観音様に連れて行きたい。ついでに品川で海を見せて、羽田の穴守稲荷様に寄って、川崎の大師様にお詣りし、横浜、江の島、鎌倉。ついでに名古屋のシャチホコを見せて、伊勢の大神宮様にお参りしたい。そこから京大阪を回って、讃岐の金比羅様を一日で、、」女房は呆れてものがいえない。

当日。亀吉は丁重に両親に挨拶をする。身長が伸びた息子を見て両親は涙を流す。湯屋に出かけた息子の荷物を母はがなにげなく見ると、財布に紙幣が入っている。奉公先の給金を貯めたとはいえ、母親は「亀吉が何か悪事に手を染めたのでは」という疑念を抱く。父親は気を落ち着かせて待とうとするが、苛立ちがつのる。

帰ってきた亀吉に対し、父親は「このカネは何だ」と問い質す。亀吉は、「人の財布の中を黙って見るなんていけませんよ」と言い返したので、父親は殴り飛ばしてしまう。母親は父親を制止し、「じゃあ、どうやって手にしたおカネなのか」と泣きながら問いただすと、亀吉は「そのおカネは、店で捕まえたネズミを警察に持って行っていきました。そのネズミの懸賞が当たって、店のご主人に預けていたものです。今日の藪入りのために返してもらってきました」と答える。

両親は安心するとともに、我が子の徳と運をほめる。父親はバツが悪るそうに「これからもご主人を大事にしろ」と亀吉に次のように言う。

「これもご主人への忠(チュウ)のおかげだ」。

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ウィスコンシンで会った人々 その107 泥棒噺 「転宅」

間抜けな泥棒としっかり者のお妾さんとの噺である。侵入してきた泥棒から手練手管を使って金を巻き上げる。どうも落語の世界では女性は優位、男性は誠に情けない有様だ。

とある妾宅である。旦那が二号のお梅に金を渡し、お梅に送られていく。それを泥棒が聞きつけ妾宅に忍び込む。泥棒、残り物をムシャムシャ食っている。そこにお梅が帰って鉢合わせ。泥棒、お決まりのセリフですごんで見せるが、お梅は驚かない。

お梅は泥棒に身のうちを明かす。「あたしも実は元は同業で、とうに旦那には愛想が尽きている」、「あたしみたいな女でよかったら、一緒になっておくれでないか」言いだしたから、泥棒は仰天。泥棒は舞い上ってとうとう夫婦約束の杯を交わす。

そう決まったら今夜は泊まっていくと図々しく言いだすと「あら、今夜はいけないよ。二階には旦那の友達で柔術をやる用心棒がいるから駄目。明日のお昼ごろ来てね。合図に三味線でも弾くから」。明朝忍んでいく約束をしながら、「亭主のものは女房のもの。このお金は預かっておくよ」と泥棒は稼いだ金をお梅に巻き上げられる。

翌朝。うきうきして泥棒が妾宅にやってくると、あにはからんやもぬけのカラ。慌てて隣の煙草屋のお爺に聞くと、「いや、この家には大変な珍談がありまして、昨夜から笑い続けなんです」、「女は実は、元は旅稼ぎの女義太夫がたり。方々で遊んできた人だから、人間がすれている」、「女の家というのは平屋、二階なんてありませんよ。そろそろ間抜けな男が現れる頃、一緒に笑ってやりまひょう、」、「お後が怖いというので、明け方のうちに急に転宅してしましたよ」

間抜け泥棒 「えっ、引っ越した。義太夫がたりだけに、うまくかたられた(騙された)」

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ウィスコンシンで会った人々 その106 「近日息子」

この演目にでてくる倅は、放蕩息子までとはいかないが、かなりのぼんくら。放蕩息子といえば、新約聖書のルカによる福音書15章11節に登場する「The Parable of the Lost Son」と決まっている。

親父が倅に「もうちょっと落ち着いて考えろ、、!」と説教している。そして「芝居の初日がいつ開くか見てきてくれ」と頼む。帰ってきた息子が明日だと言う。そこで楽しみにして出かけてみると「近日開演」の札が立っている。

 親父 「馬鹿野郎、近日てえのは近いうちに開けるという意味だ」
 倅 「だっておとっつぁん、今日が一番近い日だから近日だ」

なにしろ普段から、気を利かせるとか、先を読むということをまるで知らない。「おとっつぁんがきせるに煙草を詰めたら煙草盆を持ってくるとか、えへんと言えば痰壺を持ってくるとか、鼻水がでそうになったら紙を持ってくるとか、それくらいのことをしてみろ」、「そのくせ叱るとふくれっ面ですぐどっかへ行っちまいやがって」、とガミガミ言っている。そのうちおやじ、トイレに行きたくなったので、紙を持ってこいと言いつけると、出したのは便箋と封筒。

また小言を言うと、倅はプイといなくなってしまった。しばらくして医者の錆田先生を連れて戻ってきたから、わけを聞くと「お宅の息子さんが『おやじの容態が急に変わったので、あと何分ももつまいから、早く来てくれ』と言うから、取りあえずきてみた」「えっ? あたしは何分ももちませんか?」「いやいや、一応お脈を拝見」というので、診ても倅が言うほど悪くないから、医者は首をかしげる。

それを見ていた息子、急いで葬儀社へ駆けつけ、ついでに坊さんの方へも手をまわす。長屋の連中も、大家が死んだと聞きつけて、「あの馬鹿息子が早桶担いで帰ってきたというから間違いないだろう、そうなると悔やみに行かなくっちゃ」と相談する。説教の薬が効きすぎたようだ。

そこで口のうまい男が口上を宣もう。「このたびは何とも申し上げようがございません。長屋一同も、生前ひとかたならないお世話になりまして、あんないい大家さんが亡くなるなんて、、、」……言いかけてヒョイと見上げると、ホトケが閻魔のような顔で、煙草をふかしながらにらんでいる。

 口のうまい男 「へ、こんちは、さよならっ」
 大家 「いい加減にしろ。おまえさん方まで、ウチの馬鹿野郎と一緒になって!」
 大家 「あたしの悔やみに来るとは、どういう料簡だっ!」
 口のうまい男 「へえ、表に白黒の花輪、葬儀屋がウロついていて」
 口のうまい男 「忌中札まで出てましたもんで」
 大家「え、そこまで手がまわって……馬鹿野郎、表に忌中札まで出しゃがって」
 大家 「へへ、長屋の奴らもあんまし利口じゃねえや」
 大家 「よく見ろい、忌中のそばに近日と書いてあらァ」

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ウィスコンシンで会った人々 その105 舞台噺 「音曲長屋」

落語の中には、音曲を取り入れたものも多くある。楽屋連中の踊り、歌・物真似が飛び出す歌舞伎仕立ての構成で、これを舞台落語と命名された。演者には相当な芸が要求されたといわれる。噺家の中でも舞台で披露する人がいる。実に可笑しい。

三味線や歌、踊りといった音曲の好きな旦那がまた新しい長屋を建てた。入居者募集には「芸の心得のある者」という厳しい条件をつけ、その手見せ(オーディション)を開いた。

常盤津、踊り、義太夫、落語、手品、物真似、皿回し、長唄、剣術、川柳・狂歌、所作指南など芸の持ち主がやってきては、自分の素人芸を披露した。長屋の主人は、応募者一人ひとりに「ええですな、是非とも入居を」とほめると、「お前さんはこの長屋に入るのは五十年早いな」などと冷やかしながら入居者を決めていった。

最後の男が都都逸を唄うと、その声に長屋の旦那はすっかり惚れぼれしてしまう。都都逸は、三味線と共に歌われる俗曲。主として男女の恋愛を題材とした。これを音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物である。

▽この酒を 止めちゃ嫌だよ 酔わせておくれ まさか素面じゃ 言いにくい
これは、五・七・七・七・五の音数律となっている。

▽あついあついと 言われた仲も 三月せぬ間に あきがくる
こちらは七・七・七・五の形式である。

 長屋の旦那  「大変結構、結構。あなたは店賃はいりません。」
 長屋の旦那  「その代り、毎日、あたしの所へきて都都逸を聞かせてくださいな」
 応募者  「いくらなんでも毎日聞いてたら、飽きやぁしませんか?」
 長屋の旦那  「あたしは家主。空家(飽きやぁ)は禁物です」

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ウィスコンシンで会った人々 その104 泥棒噺 「鈴ヶ森」

新米泥棒を親分が実地教育するという噺である。ドジで間抜けな新米。泥棒といってもねずみ小僧次郎吉や稲葉小僧、石川五右衛門といった暴利を貪る商人や威張っている侍を狙った「義賊」ではなく、新人泥棒の噺である。舞台は大森海岸沿。東海道は鈴ヶ森である。

親分 「出掛けるから、にぎりめしの風呂敷を担げ。お前が食べるんじゃ無いぞ。舅に食べさせるんだ」
新米泥棒 「舅って連れ合いの親ですよね」
親分 「何にも分からないのだな」
親分 「舅とはウルサいだろ。だから犬のことだ!」
新米泥棒 「では猫は小舅ですか」

親分 「ドスを差して行けよ!」
新米泥棒 「何でドスと言うのですか」
親分 「うるさいな。ドッと刺して、スッて抜くからだ」

親分 「表へ出ろ。戸締まりはしてきたか。世の中物騒だからな」、新米泥棒 「大丈夫です。物騒なのが二人出てきましたから」
新米泥棒 「暗いですね」
親分 「俺たちは暗いから仕事になるんだ」
新米泥棒  「恐いから、もっと明るい吉原に行きましょうよ」
親分 「歩くと、もっと暗いとこに行くぞ。鈴ヶ森で追い剥ぎだ」新米泥棒 「鈴ヶ森はよしましょう。しょっ引かれて首を刎ねられそう」

鈴ヶ森にやってくると、親分は旅人にどのような口上をいって金をせびるかを新米泥棒に教える。二人は口上の練習を始める。

親分 「おーい、旅人、おらぁ〜頭の縄張りだ」
親分 「知って通れば命は無い、知らずに通れば命は助けてやる!」
親分 「その代わり身包み脱いで置いて行け!」
親分 「イヤとぬかせば二尺八寸段平物をてめえの腹にお見舞え申す」

口上を新米泥棒が言うと親分が後ろに回って仕事をすることを確認する。

新米泥棒 「親分、その口上はアッシが言うんですか。それは無理です。紙に書いて下さい」
親分 「暗闇で書けるか」
新米泥棒 「アッシも読めませんから、相手に見せて読んでもらいまひょう」

真っ暗な中、鈴ヶ森に着く。新米泥棒がモタモタしている内にカモがやって来た。親分に押されて飛び出して、旅人を呼び止めた。だが新米の口上はさんざんで旅人に馬鹿にされる始末。

旅人 「二尺七寸段平物と言ったが、それを言うのだったら二尺八寸段平物と言え。一寸足りないぞ」
新米泥棒 「一寸先は闇でござんす、」

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ウィスコンシンで会った人々 その103 手討ち噺 「たけのこ」

春は芽、夏が葉、秋は実、冬は根をいただくのが日本の食文化である。竹冠に旬と書いて「筍」。たけのこである。まさに旬の食材。なんともいえない趣のある漢字である。今春、奈良の友人からいつものように筍が送られてきた。隣近所にお裾分けをし、ご相伴にあずかってもらった。食感といい香りといいたまらない春の食材である。落語にも筍が登場する。

ある武家屋敷である。田中三太夫が殿様にお目通り。三太夫とは家老とか執事という役職である。

三太夫 「実は、お隣の筍にございます」
殿様 「隣の筍ぉ?」
三太夫 「はっ、隣の筍が塀越しにこちらの庭先に顔を出しました」
三太夫 「それを密かに殿に差し上げる所存でございます」
殿様 「たわけっ。何を申すか、その方は。その方なぁ、」
殿様 「武士たる者が、隣のものを黙って食らうとは、何事だ」

殿様は云う。町人なれば誤って事も済むだろうが、武士たる者、事と次第によっては、腹を切らぬければならんと。

殿様  「もそっと、もそっと、前へ出ぇ。かよう盗人同然の者をのぉ、この屋敷において、養うことはまかりならん。もそっと、前へ出ぇ。筍の前にその方の首を落としてつかわす」

三太夫 「ちょちょちょ、ちょ、ちょちょっ、ご勘弁願います。いや、いやいや、旦那様、落ち着いてくださいまし。あたくしが悪うございました」

三太夫 「いやっ、旦那様、しばらく、しばらくっ」
三太夫 「いやっ、まだ、あのぉ、筍は盗った訳ではございませんので」
殿様 「盗っておらんー? では、はよぉ盗ってまいれ。」

三太夫は殿の命令に驚く。殿様は、筍が育ちが早いのですぐ硬くなることを知っている。盗ってはならんというのは表向きの言葉。隣の爺が憎らしいのである。その爺の筍を食らって溜飲を下げようという趣向である。

三太夫はびっくりしていると、殿が許せ、許せ、といいながら爺に断りを入れるように三太夫に申しつける。

三太夫 「はっ、何と申しますか?」

殿様は、けしからん筍は既に当方において手討ちにしたこと。そして遺骸は手厚く腹の内へと葬ったこと。そして筍の形見として皮を持ってきたこと。このとおり可愛いや(皮嫌)、、といいう口上となる。

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