ラテン語(Latin)と英語との関係である。ヨーロッパの教会では長い間ラテン語で礼拝式が執り行われていた。なぜならラテン語はもともとイタリアで生まれ、ローマ帝国の公用語として使われてきた経緯がある。今もバチカン市国(Vatican)の公用語はラテン語である。教会でラテン語が使われてきたことは納得できる。
学問の中心はヨーロッパであったが故に、今もラテン語が活用されている。例えば、生物の学名がそうだ。また教会音楽でもラテン語の歌詞で歌われている。”Agnus Dei”は神の子羊、アニュスデイと発音する。”Magnificat”(主を崇め)はマニィフィカトと発音。綴りにある”g”は発音しないのがラテン語である。”Sanctus”(聖なるかな)”Gloria Patri”(小栄唱)というラテン語も思い出される。
学問はラテン語そのものともいえる。例えば、大学などのエンブレム(emblem)にラテン語が印字されていることだ。ハーヴァード大学(Harvard)の紋章には”VERITAS”とある。「真理」とか「真実」という意味である。筆者の母校ウィスコンシン大学の紋章には”NUMEN LUMEN”とある。”God our Light”。「神こそ我が光」という意味である。学問や知性の源泉はラテン語にありといったところか。非常に敬意を払っていることを示す。
我々が日常接するラテン語であるが、”aqua” は水、”de facto” は事実上の、”pax”は平和、”pater”は父親、”patronus”は後見人、ハイブリット車の名称”prius”は先駆け、等々ラテン語があちこちにある。
“A priori”は先験的という意味で使われるラテン語。例えば、時間とか空間はあらゆる経験的認識に先立って認識されること、演繹的とされる。他方、”A posteriori”は後天的とか経験的、あるいは帰納的という科学哲学の大事な考え方である。演繹と帰納の話題は少々ややこしい。この稿はひとまずこの辺で終わりとする。
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