第一話

親しいvを援用させていただきます。「うちの子の診断はAD/HDだけど、こだわりの強さもあるし、基本的にルール遵守で生真面目。あいまいさも理解できない。知識には強いけど生活面は理解できない部分が多い。でも注意欠陥と認知の違いからくる発想の面白さでそういう部分が傍目に見えづらくなって、かえって「普通」に見えてしまうという…。検査のIQもとりあえず平均以上ね下位検査だと2偏差も開きがあるのに、立ち歩きも無い、友達もいて成績も悪くはないという完全な埋没型。

で、本人が学校生活に疲れてしまった感じ。力の抜きどころがわからないんですねぇ。しかも疲れていることに気付いていないらしい。発熱はSOSかもって。最近、赤ちゃん返りならぬ幼児返りしてるんだけど、精神保健福祉士のXX先生には「今はお母さんのこらえどころ」って言われる。

うちの小学校は支援学級がろくに機能してないらしくて、OO先生もXX先生も「時々保健室にいさせてくれる方がマシ」って(^^;)。学校と何かしらの対応策を折衝しなきゃいけないところなんだけど、、、

先日、M先生のところでDN-CAS受けたんですけどね、△△先生に結果を見せたら「へぇ…あぁやっぱり…」なんて言いながら、顔を上げて「現状のシステムでは受けられる支援がありませんね。この結果の意味、学校の先生には理解できませんよ」ってサクッと言われましたわ。さすがにグッときました。

学校の先生には、AA養護の先生に入って見て欲しいってお願いしてるんですけど3年目になっても実現せず。親の孤軍奮闘は厳しいですね。不登校近し、ってわかってんのかな、わかってないだろうなぁ。

このお子さんは小3です。「マシ」であと3年、6年、がまんして時の過ぎるのを待つ意味が、どこにあるんでしょうか? その改善のために動いてくれないんなら、なんのための「教育相談」なんでしょうか?教育相談は保護者には避けられない通過点なんですが、「あぁ、来ましたか」とか「学校の先生には理解できませんよ」とか、「こっち側」の納得だけで終わってたら、何も改善しないし、進展しないと思うんですが。「専門家」と親の間の密室で話が完結したら、「教育相談」ってなんの意味があるんでしょうか?

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