ナンバープレートから見えるアメリカの州モンタナ州・Big Sky

注目

モンタナ州(Montana)のナンバープレートには、「Big Sky Country」と印字されています。さしずめ「蒼穹の空の州」といったところです。「モンタナの空は他のどこよりも大きく感じる」と地元の人は自慢げに言うのは、このためかもしれません。「モンタナ」という名前はスペイン語で「山、あるいは「山の国」を意味する 「Montana」から由来しています。州都はヘレナ(Helena)となっています。カナダのブリティッシュコロンビア州(British Columbia)、アルバータ州(Alberta)及びサスカチュワン州(Saskatchewan)と接しています。モンタナ州のスローガンに「宝の州」(The Treasure State) があります。金、銀、銅、鉛、石油、石炭など地下資源に恵まれ鉱業が盛んなせいでしょう。

License Plate of Montana

ヨーロッパ人が入植した当時、この地域にはシャイアン族(Cheyenne)、ブラックフット族(Blackfoot)、クテナイ族(Kutenai)、クロウ族(Crow)など様々なアメリカ先住民が住んでいました。モンタナ州の大部分は、1803年のルイジアナ購入によってアメリカが手に入れます。西部は1846年にイギリスが領有権を放棄するまで紛争が続きました。1804-1806年にわたるルイス・クラーク探検隊(Lewis and Clark Expedition)がモンタナを探検します。1841年にローマ・カトリックの宣教師によって設立されたセント・メアリーズ・ミッション(St. Mary’s Mission)は、スティーブンスビル(Stevensville)を選び、ここが最初の恒久的な町となります。

1860年代初頭に金が発見されます。その10年後には牛や羊の放牧が始まり、狩猟場を破壊されたアメリカ先住民との激しい戦いに発展していきます。1864年にモンタナ準州(Montana Territory)が成立します。この州は白人とインディアンの土地をめぐって幾多の戦いが繰り広げられたところです。1876年の (Little Bighorn)の戦いが起こります。この戦いで、スー族(Sioux)、シャイアン族、アラパホ族(Arapahoe)らは、ジョージ・カスター(George A. Custer)率いるアメリカ軍を撃破し殲滅します。しかし、先住民は1877年に戦いをやめ、居留地に移されていきます。リトルビッグホーンの戦跡は今は「リトルビッグホーン国立記念戦場」(Little Bighorn National Memorial Park)として保存されています。

今日、モンタナ州の住民のほとんどは、西ヨーロッパや北ヨーロッパ、主にイギリス(Great Britain)、アイルランド(Ireland)、ドイツ(Germany)、フランス(France)、オランダ(Netherlands)スカンジナビア諸国(Scandinavian)、北イタリア(northern Italy)、少ないですが、東ヨーロッパのクロアチア(Croatia) 、ポーランド(Poland)からの移民で構成されます。

他の州との大きな違いがあります。それはアメリカ先住民です。モンタナ州に7つのインディアン居留地があり、アメリカ先住民が州の総人口の10分の1以上を占めています。そのうちの3分の2近くが居留地に住んでおり、残りのほとんどは居留地近くの都市、特にミズーラ(Missoula)、グレート フォールズ(Great Falls)、ビリングス(Billings)に住んでいます。

アフリカ系アメリカ人はモンタナ州の人口のほんの一部を占めています。アジア人はモンタナ州、特にビュート(Butte)周辺の鉱山地区に長く存在していましたが、現在ではその数は少数となりました。ヒスパニック系人口は、かつては主に季節限定でしたが、20世紀後半から21世紀初頭にかけて大幅に増加しましたが、州人口に占める割合は依然としてわずかです。

モンタナ州の住民の約半数はいろいろな宗教団体に所属しています。ローマ・カトリック教会(Roman Catholic Church)は単一宗派としては最大です。プロテスタントは、全体としては最も多くの信者を擁しています。少数ですが、モルモン教徒(Mormons)、仏教徒、アメリカ先住民の伝統的な信仰の信者、イスラム教徒、ユダヤ教徒などもいます。アメリカ先住民の多くは宣教師によって名目上ローマ・カトリックに改宗した経緯があります。

カナダ国境沿いの北層にはドイツのフッター派(Hutterites)が定住しました。 数十のコミュニティが残り、その中でドイツ語が広く話されています。フッター派とは再洗礼派の「アナバプテスト」の流れを汲むキリスト教徒です。農業生産者としての技術力は非常に高度であり、自給自足以上に農産物を生産し、外部社会に販売しています。隔絶的な生活態度で世俗の文化に同化せず、投票など政治活動にも参加しないことからアーミッシュ(Amish)に似ています。

1889年、モンタナは41番目の州となります。1890年代に銅の膨大な鉱床が発見され、鉱業はほぼ1世紀にわたって経済の主軸となります。現在は観光業が州経済の中心となっています。「大陸の王冠」(Continental Crown)と呼ばれ、氷河が残したグレイシャー国立公園(Glacier National Park)及びイエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)の一部を含み、大いなる西部にふさわしい大自然が一杯の州です。イエローストーン国立公園の入り口は5か所あって、そのうち3か所がモンタナ州内にあります。西部開拓時代の歴史、アメリカ先住民の文化が多くの観光客を惹き付けています。

モンタナ州は昔から二大政党が競合するところです。選挙で選ばれる議員や知事も両党から選ばれます。元上院議員で駐日大使を努めたマイク・マンスフィールド(Mike Mansfield)は民主党の出身です。

University of Montana

私のウィスコンシン大学での指導教授 Dr. LeRoy Aserlind氏はこの地に眠っています。研究と指導がてら、重量級で空冷の700cc以上のエンジンを搭載したクルーザー型オートバイのハーレーダビドソン(Harley-Davidson)で遠出をしたり、またスキーを楽しんでいた暖かい人柄の先生でした。私の最初の孫もこの7月からモンタナ州南西部にある都市、人口は5万あまりのボーズマン(Bozeman)で就職します。


(2024年5月5日)

ナンバープレートから見えるアメリカの州ワイオミング州・Cowboy State

ワイオミング(Wyoming)という言葉は、「広大な平原の土地」(land of vast plains)を意味するデラウェア語(Delaware)に由来し、この州の広々とした自然環境を適切に表現しています。ワイオミングは、小さな牧場や農業の町、鉱山の集落があり、比類のないアウトドア・レクリエーションの場所が大地に広がっています。

License Plate of Wyoming

ワイオミング州のナンバープレートには「平等の州 (Equality State)」とか「カウボーイ州」 (Cowboy State)「Centennial 」と印字されています。牧場は歴史的に州にとって経済的にも文化的にも重要でした。山と荒馬とカウボーイの図柄はいいです。北にモンタナ州、東にサウスダコタ州とネブラスカ州、南にコロラド州、西にユタ州とアイダホ州と境をなしています。州都はシャイアン市(Cheyenne)です。全米で最も人口が少な州です。州の東側3分の1はハイプレーンズ(High Plaines)と西側3分の2はロッキー山脈(Rocky Mountains)、東部の山岳地帯と丘陵の牧草地帯が広がります。州の放牧地は家畜の生産に適しており、州の土地面積の3分の2以上が家畜の放牧に当てられています。畜産業が支配的です。ワイオミング州の農業経済の3分の2以上を占めています。 豚や羊の生産も重要です。

ワイオミング州の主な作物生産地域は南東部とビッグホーン川(Bighorn River)流域とウィンドリバー流域(Wind River)にあります。州西部の年間降水量が少ないため、州内の農場は10,000 未満となっています。家畜が消費する干し草は、州の農地の大部分を占めています。ワイオミング州の最も価値のある輸出穀物は小麦です。他の重要な作物にはオート麦、大麦、トウモロコシがあります。ワイオミング州は、テンサイ(sugar beets)、乾燥豆、ジャガイモの主要な生産地でもあります。ワイオミング州の総農地の約4分の3が灌漑されています。

ワイオミングに最初に居住したのは、おそらく2万年以上前にシベリア(Siberia)からアラスカ(Alaska)を経由してやってきた先史時代の狩猟採集民でした。彼らは地元の狩猟動物の個体数に大きく依存していたため、これらの民族の総数は決して多くありませんでした。白人の探検家がワイオミングを初めて訪れたことが記録に残っています。その頃には、ワイオミング州の人口は10,000人を超えていなかったと思われます。

19世紀の初めには、ショショーネ族(Shoshone)がワイオミング州最大のグループでしたが、アラパホ族(Arapaho)、クロウ族(Crow)、シャイアン族(Cheyenne)、アティナ族(Atsina)、アリカラ族(Arikara)、ネズパーセ族(Nez Perce)、ユート族(Ute)、オグララ族(Oglala)、そしてブルレダコタ族(Brule Dakota)と呼ばれていたスー族(Sioux)も少数いました。

ワイオミング州に入った最初の探検家として知られるのは、フランス系カナダ人のフランソワ(François)とルイ・ジョセフ(Louis-Joseph)の兄弟でした。この兄弟は1743年、太平洋へのルートを探して失敗しながらも、州の北東端を訪れました。ルイス・クラーク探検隊(Lewis and Clark Expedition)は、ワイオミング州を97kmほど外れましたが、一行の一人、ジョン・コルター(John Colter)は本隊から離脱し、しばらくワイオミング州北部を探索し続けます。探検隊の公式日誌には、コルターのルートとジャクソンホール(Jackson Hole)とイエローストーン公園(Yellowstone Park)地域の記述が載っています。

ワイオミング州住民の10分の9以上はヨーロッパ系住民となっています。ヒスパニック系はワイオミング州人口の最大の少数派です。アフリカ系アメリカ人は全人口の1パーセント未満で、そのほとんどがシャイアン地域に居住しています。中国系移民はユニオン・パシフィック鉄道(Union Pacific Railroad)の建設に貢献しますが、現在はワイオミング州にはアジア系人口は少少数となっています。ほとんどのアジア人は州南部の郡、シャイアン、ララミー(Laramie)、ロックスプリングス(Rock Springs)の都市に住んでいます。ワイオミング州の人口の2パーセント以上がアメリカ先住民で、そのほとんどがアラパホ族とショショーネ族となっています。

ワイオミングは1868年にワイオミング準州(Wyoming Territory)が設立されるまで、アメリカのいくつかの準州に分かれていました。やがて1868年にワイオミングは準州となります。1869年に女性参政権を採用し、1889年には憲法に女性参政権を盛り込んだ最初の州となりました。州のニックネームは平等の州「Equality State」と少々地味なフレーズです。それには次のような事実があります。すなわち1870年、ララミーという街では女性が初めて陪審員を務め、同年ララミーではメアリー・アトキンソン(Mary Atkinson)が女性初の廷吏となり、同年サウスパスシティ(South Pass City)ではエスター・モリス(Esther Morris)が女性初の治安判事になります。1925年に全米で最初の女性知事としてネリー・ロス(Nellie T. Ross)が就任します。これら女性に与えられた権利の故に、ワイオミング州は「平等の州」と呼ばれるようになりました。

一体、どうしてワイオミング州では女性が活躍するようになったかは不明です。通常、ワイオミングのような田舎の州は農業や酪農に従事する人々が多く、考え方は伝統的で保守的なのです。しかし、女性参政権を主張していたモリスを指導者に選ぶという大らかさが州民にあったからだろうと察します。「ワイオミングというアメリカ合衆国で最も若くまた最も裕福な準州の1つが、言葉だけでなく行動で女性に平等な権利を与えた」というのは、エスター・モリスの才能によったことも事実のようです。

ワイオミングには、アメリカでも特に有名な2つの国立公園、イエローストーン国立公園とグランドティトン国立公園(Grand Teton National Park)があります。この2つの国立公園は、アウトドア愛好家や冒険家に大人気です。ワイオミング州では広大な美しい大地を熊、バイソン(bison)、エルク(elk)、コヨーテ(coyote)などの野生動物が生息して大事に保護されています。グランドティトン国立公園は、1953年に制作された西部劇映画「シェーン」(Shane)のロケ地となったところです。流れ者シェーンと開拓者一家の交流や悪徳牧場主との戦いを描いた世紀の名作です。

イエローストーンには熱湯を噴出する間欠泉や、カラフルな熱水泉が点在しています。間欠泉ではオールドフェイスフル(Old Faithful Geyser)が世界的に有名です。「faithful」とは「忠実に」を意味し、一定間隔で忠実に噴出することを指します。熱水泉ではグランド・プリズマティック・スプリング(Grand Prismatic Spring)が特に人気があります。

近代の経済では家畜が依然として重要ですが、観光業も重要となっています。州の主要な産業は鉱業と農業。鉱業ではウラニウム、天然ガス、メタンガス等を産出し鉱業の影響力もますます大きくなっています。農業では小麦や大麦、馬草、サトウキビが主たる生産物です。
(投稿日時 2024年4月月日)

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その27 The Treasure State

モンタナ州(The State of Montana)は、私のウィスコンシン大学時代の指導教授 Dr. LeRoy Aserlindが眠るところです。6年余りにわたってお世話になりました。引退後はモンタナ州のリビングストン(Livingstone)という小さな町で夏はハイキング、冬はスキーを堪能されたようでした。州都はヘレナ (Helena)です。

「Montana」はスペイン語で山とか山の国を意味する 「Montana」に由来します。モンタナ州のニックネームは「Treasure State」といわれます。豊かな鉱物資源に恵まれています。入植したスペイン人はこの州を「Oro y Plata」ー金と銀と呼んでいたそうです。 アメリカ西部の多くの都市がそうであるようにヘレナも19世紀後半のゴールドラッシュ(Gold Rush)によって人が集まって発展してきた町です。多くの鉱物資源に恵まれて、このニックネームがついたのだろうと察します。モンタナ州は別称として「Big Sky Country」ともいわれます。こちらのほうがモンタナ州を形容するのに相応しいと思われます。

モンタナ選出の上院議員マイケル・マンスフィールド (Michael “Mike” Mansfield)氏のことです。愛称はマイク。1977年に引退するまでの24年間にわたって上院議員を務めます。その間1961年から1977年までの16年間、多数党である民主党上院院内総務(Senate Majority Leader)を務めます。この任期はアメリカ史上最長という記録です。1977年には、当時の大統領ジミー・カータ(Jame Carter)により駐日大使に任命されます。共和党のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)が大統領に就任しても大使を続けます。1989年までの12年間という大使在任記録も珍しいです。大統領からの信頼が厚かったことを示しています。