アメリカ合衆国建国の歴史 その84 千年王国説

1830年から1860年にかけての「自由の発酵」の時代には、18世紀末の人道的衝動と19世紀初頭のリバイバルの鼓動が混在していました。この2つの流れは一緒に流れていました。例えば、米国キリスト教宣教師会を設立した真摯なキリスト教徒は、イエス・キリストによる救いの福音をアジアの「異教徒」に伝えることが自分たちの義務であると信じていました。しかし、中国やインドの貧しい人々の宗教に対する攻撃を受けながらも、病院を設立し、中国人や「ヒンズー教徒」の改宗者の地域での生活を大きく改善します。

千年王国説のエンブレム

千年王国説(Millennialism)という、キリストの再臨を前に、世界はまもなく終わり、罪を清めなければならないという教えは、チャールズ・フィニー(Charles G. Finney)などのリバイバリスト(revivalists) が説いたものです。この教えは、世俗的な完全主義と対峙するものでした。世俗的完全主義とは、世界の仕組みを実現可能な形に変えることによって、あらゆる形の社会や個人の苦しみを取り除くことができるという考えです。それゆえに、さまざまな十字軍と十字軍兵士が誕生したのです。公教育が最も大事でると説いたホレス・マン(Horace Mann)は、マサチューセッツ州教育委員会の教育委員からアンティオキア大学 (Antioch College)の学長になり、学生たちに「人類のために何らかの勝利を収めるまでは、死ぬことを恥と思え」と説きました。

Thomas Perkins

そのような勝利を得るための一つの方法は、運命に翻弄され、社会から見放され、虐待されてきた人々の状態を改善することでした。例えば、サミュエル・ハウ(Samuel Howe)が率いた聴覚障害者への教育運動や、ボストンの企業家トーマス・パーキンス(Thomas Perkins)やジョン・フィッシャー(John D. Fisher)による盲人教育機関の設立があります。パーキンスは、キリスト教のビジネスマンにとって、自分の事業に対する神の祝福に感謝を示すために慈善事業を行うことは良い方法だと考えていたのです。また、ドロシー・ディックス (Dorothea Dix)は、神と科学に対する敬虔な信者であった独立宣言の署名者ベンジャミン・ラッシュ (Benjamin Rush)の先例にならって、精神障害者の酷い扱いを改善するための活動を行っていきます。