アラバマ州(Alabama) は「南部の中心」(The Heart of Dixie)と呼ばれています。ナンバープレートにもこのフレーズが記されています。「God Bless America」というのもあります。Dixieとは南部の意味です。地理的にアラバマ州はその中心ということであり、また誇るべき文化を有することを表すフレーズです。デキシーランド・ジャズ(Dixieland Jazz)もそうです。デキシーランドとはアメリカ南部の諸州を指します。
アラバマ州は合衆国の南部に位置する州です。西はミシシッピ州、北はテネシー州(Tennessee)、東はジョージア州(Georgia)と接し、南はフロリダ州と境をなしています。州都はモンゴメリー(Montgomery)。他にバーミングハム(Birmingham)や、宇宙ロケットセンターで知られるハンツビル(Huntsville)といった都市もあります。
アラバマ州の原住民にはチェロキー族(Cherokee)、チカソー族(Chickasaw)、チョクトー族(Choctaw)、クリーク族(Creek)が含まれています。エルナンド・デ・ソト(Hernando de Soto)はこの地を旅し、フランス人は1702年にフォート・ルイ(Fort Louis)に入植地を築きます。1817年にアラバマ準州が誕生し、1819年に合衆国の州として承認されます。しかし、アラバマ州は1861年に連邦から離脱し南部連合(Confederacy)の一部となりますが、1868年に再統合されます。
州の東側はアパラチア高原(Appalachian Plateau)となっていて、鉱物資源が豊富です。ですが主要な産業は農業といえます。生産品は家禽及び卵、牛、植物苗床品目、落花生、綿、トウモロコシ及びモロコシ等の穀物、野菜、大豆、桃となっています。かつては 「綿花の州」(The Cotton State)とういニックネームがこの州についていたほどです。20世紀初頭まで綿花に依存していたアラバマ州は、その後農業生産を多様化します。
アラバマ州の歴史で忘れてはならないのが、公民権運動の展開です。黒人差別が厳しい州であったからです。アラバマ州は合衆国に再統合されても黒人を行政に参加させるための努力は失敗に終わり、1960年代まで隔離主義を貫きます。「ジム・クロウ法」(Jim Crow)という人種分離法がつくられていて、交通機関、駅、トイレ、映画館、学校や図書館などの公共機関、ホテル、レストラン、バーなどで白人と有色人種(the colored)を分離することが正当化されていました。
1955年州都モンゴメリーで起こったローザ・パークス(Rosa Parks)逮捕事件が公民権運動の口火を切ったとされます。彼女は当時、白人専用のバスに乗り込んで逮捕されます。これをきっかけに、キング牧師(Martin Luther King)らがモントゴメリー市民に対するバス・ボイコットの運動へ広がります。運動は全米に反響を及ぼし、1956年には合衆国最高裁判所が「バス車内における人種分離(白人専用及び優先座席)を違憲とする判決を出します。そしてようやく、1964年7月に公民権法(Civil Rights Act)が制定され、長年続いてきた人種差別は法の上で終わりを告げます。
1962年にアラバマ州知事に就任したジョージ・ウォレス(George Wallace)のことです。このときウォレスが掲げたスローガンは「今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!」(I say segregation now, segregation tomorrow, segregation forever)という人種差別主義的なものでした。1963年には2人の黒人学生のアラバマ大学(University of Alabama)への入学を阻止するために、自ら大学の門の前に立ちはだかります。これに対してジョン・F・ケネディ大統領(John F. Kennedy)は黒人学生を保護するために州兵を派遣する事態となります。
人種的不公正という深刻な社会問題を扱った演劇作品、「アラバマ物語」(原題:To Kill a Mockingbird)がブロードウェイで大ヒットしました。人種差別が根強く残る1930年代のアラバマ州南部の町モンロービル(Monroeville)で、白人女性への性的暴行容疑で逮捕された黒人青年の事件を担当する弁護士アティカス・フィンチ(Atticus Finch)の物語です。女性作家ハーパー・リー(Harper Lee)による1960年出版の小説を原作とした作品です。1961年にはフィクション部門でピューリッツァー賞(Pulitzer Prize)を受賞します。
(投稿日時 2024年2月7日)