あらゆる文化の基礎となるのが言語です。クレオール語(creole language)とは、意思疎通ができない異なる言語圏の人々が、自然に作り上げられた言語(ピジン言語–pidgin)が、次の世代で母語として話されるようになった言語のことといわれます。英語でいえば、ユー・イェスタデイ・ノー・カム(You yesterday no come )といった按配の会話です。文法構造などが簡略化されて、単語をつなぐだけでも会話が成立します。ピジン語が、日常生活のあらゆる側面を使われると、やがてそれが人々の中で母国語化するのです。
前稿では、フランスの植民地であるカリブ海に浮かぶマルティニク島でのクレオール化に触れました。クレオールの人々は次第に少数派となりますが、排他的な努力をして彼らの文化的優越性を守ろうと努力してきました。今では社会的な勢力を失いましたが、風俗、食物、建設にその文化は生き残っています。宗主国フランスによる支配と同化に対抗するために、クレオールとしてのアイデンティティの確立を叫んだのは、前述のグリッサンの他にラファエル・コンフィアン(Raphael Confiant) といった作家です。コンフィアンは、クレオール文学を通して文化的な同化に対して次のような警鐘を鳴らしています。
「我々は西洋の価値のフィルターを通して世界を見てきた。」
「自身の世界、自身の日々の営み、固有の価値を「他者」のまなざしで見なければならないとは恐ろしいことである。」
クレオールと小泉八雲(Lafcadio Hearn)との関係についてです。彼は、日本に来る前にアイルランドからフランス、アメリカ合衆国で働き、やがて西インド諸島の仏領マルティニク島に住み着いたことがあります。マルティニクでは、クレオールの人々と交流し民話を調べ、文化の多様性に魅了されつつ、旺盛な取材、執筆活動を続けます。それが〈クレオール物語〉〈仏領西インド諸島の二年間〉といった著作です。彼は西洋文明の社会に疑問を抱き、「非西欧」への憧れが彼の中で育っていたことがわかる著作といわれています。八雲はいかなる土地にあっても人間は根底において同一であることを疑わなかったようです。それがクレオールの文化に傾倒した理由といえましょう。
アメリカ少数文化集団の一つにケージャン(Cajun)があります。ルイジアナ南西部に住むフランス系の住民です。ケージャンの呼称は、アカディア人(Acardia)を意味するフランス語の〈Acadien〉がなまってカジャンとなったものを英語式にしたことから由来します。1604年、最初にカナダ南東部アカディア地方に入植したフランス人が、18世紀に英仏間の植民地戦争のフレンチ・インディアン戦争(French and Indian War)のあおりで、各地を転々とし、ルイジアナの低地帯に住み着きます。そして同地域がアメリカに併合の後も周囲から孤立して独自の文化を保ってきました。