旅のエピソード その36 「ドルの話 その一 1ドルが360円」

始めて沖縄に行ったのは本土復帰の2年前、1970年です。那覇市内で幼児教育の一環として幼稚園を開設する仕事を命じられました。まだパスポートと予防注射が必要なときでした。1ドルが360円のときです。

当時琉球政府のお役人とで、幼稚園作りのためになんども打ち合わせをやりました。幸い、幼児教育の必要性が高い沖縄でしたので、設置基準を満たさないことに目をつむってくれ、設置にこぎ着けることができました。1972年に本土復帰を果たし、1ドルが300円となりました。

園児を募集すると障害のある二人の幼児がやってきました。この幼児を担当するのが私の仕事ともなりました。みよう見真似で懸命に指導したのですが、やがてもっと障害児教育を学ぶ必要を感じてきました。ひよんなことで、ロータリーインターナショナル(Rotary International) という国際組織が、障害児教育の勉強で奨学金を出していることを知りました。ロータリーの会員はロータリアンと呼ばれます。ロータリアンは、それぞれの地域社会および世界社会において、人々の生活の向上を計るためにボランティアとして奉仕することを求められています。

沖縄には1966年に設立された那覇東ローターリークラブがありました。そこでの奨学金を担当している国吉昇氏と出会いました。この方は、沖縄戦のときまで沖縄地方気象台に勤務されていて、気象情報を軍に提供するという仕事をされていました。九死に一生を得たご体験の持ち主です。ロータリアンとして50年以上も毎週の例会に欠かさず出席する熱心な会員でした。今は、那覇市内の高齢者施設で暮らしています。2020年1月に国吉氏を訪ねることが出来ました。コロナ感染が広まる前でした。