既に述べてきた「緑のウクライナ」の建設のために、極東には大勢のウクライナ人が入植しました。旧ロシア帝国からの亡命者を大雑把に総称して「白系ロシア人」(White Russians) と称していましたが、諸民族の出身者も多くいました。特に、ソ連による弾圧のひどかったウクライナ人やポーランド人、アシュケナジム(Ashkenazi)と呼ばれたユダヤ人は旧満州や樺太に亡命してきます。もちろん、旧ロシア帝国国民も多くいました。ウクライナ人やポーランド人は、日本では通用しにくいウクライナ語やポーランド語を用いる代わりに、より通じやすいロシア語を用いたのです。そのために日本では「白系ロシア人」はロシア人であると誤解されます。
「白系ロシア人」の多くはウクライナ人であったことを忘れるべきではありません。日本に亡命してきたウクライナ人のことです。洋菓子メーカー・モロゾフの創業者フョードル・モロゾフ(Fedor Morozoff)、大横綱大鵬の父、マルキャン・ボリシコ(Markiahn Vorisiko)も革命後、日本に亡命し樺太で酪農などを営んだウクライナ人です。プロ野球で大投手として活躍したヴィクトル・スタルヒン(Victor Starffin)なども著名な白系ロシア人です。
1986年4月26日にキーウの北西、ベラルーシ国境近くにあるチョルノービリ(Chernobyl)原子力発電所で事故が起こります。放射性物質による汚染はウクライナだけでなく、隣のベラルーシ共和国、ロシア共和国領内にも拡大します。被曝の影響による全世界の癌死者数は2万人から6万人ともいわれています。1986年以来,ペレストロイカ(Perestroika)の下で,ウクライナでは知識人・作家を中心に民族運動が活発になります。それまで起こってきた民族運動に続いて「第3のウクライナ化」と呼ばれます。少し振り返りますが、「第1のウクライナ化」運動は1800年代、「第2のウクライナ化」運動は1960年に起こりました。