ウクライナの歴史から学ぶ その十五 オレンジ革命とマイダン革命

ウクライナ語の地位向上,特に教育現場におけるウクライナ語使用の拡大,ウクライナ語の公用語化,ウクライナ語出版物の増大などの要求が生まれ、さらに歴史の見直し作業も進みます。1989年に入って,2つの民間団体が形成されます。「シェフチェンコ名称母語協会」と「ナロードニイ・ルーフ」です。後者は「」ペレストロイカを支持するウクライナ民衆運動」の略語でルーフとは「民衆運動」の意味です。ここに結集した反体制派や体制内改革派の活動をベースに、モスクワでの保守派による1991年8月クーデタ(Coup detat)の失敗直後,ウクライナは8月24日独立を宣言します。同年12月1日の国民投票で9割以上の賛成により独立宣言は承認され,同月初代大統領にクラフチューク(Leonid Kravchuk)が就任します。同年末のロシアを中心とする独立国家共同体(CIS)の発足に参加します。

Maidan Revolution

1994年の大統領選挙ではクラフチュークは、CIS諸国との経済的統合を推進しますが、軍事的、政治的統合はしないと表明したクチマ(Leonid Kuchma)が大統領に当選します。クチマ大統領は、「戦略的な国家目標は、EU加盟によるヨーロッパとの統合にあり、ロシアとの経済的な協力は経済発展寄与のためである」と発表します。2013年にヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych)大統領がロシアとの経済協力を目指すために、ウクライナヨーロッパ連合の結成を延期すると首都キーウなどで大規模な大衆のデモが起こります。

Ukraine woman with flag

2004年11月に、ロシアとの関係を重要視する与党代表で首相のヴィクトル・ヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych) と、ヨーロッパへの帰属を唱える野党代表で前首相のヴィクトル・ユシチェンコ(Viktor Juscenko)との激しい選挙運動が行われます。ヤヌコビッチが当選すると、その選挙で不正があったとして抗議運動が起こります。野党支持者がシンボルカラーとして、リボンや旗、マフラーなどオレンジ色の物を使用したことからオレンジ革命(Orange Revolution)と呼ばれています。2014年に、首都キーウでヤヌコヴィチ大統領側のウクライナ政府側と欧州連合(EU)と良好関係を築こうとした民衆との暴力的衝突が起こります。ヤヌコヴィチ大統領が失脚し、隣国ロシアへ亡命することになります。この暴力的騒乱がマイダン革命(Maidan Revolution)とか尊厳の革命(Revolution of Dignity)と呼ばれます。マイダンとはウクライナ語で「広場」という意味です。