無駄から「無」を考える その2 「無」と「有」

無駄という語の他に、無学、無知、無言、無策、無頼、無礼、無粋、無情、無法、無恥、無理、無視、無能、無効、無死、無謀などの言葉を眺めてみる。「無」という漢字は、「否定や禁止を表す助字」(広辞林)とある。対立するかのような概念の「有」という助字の前にはどうも分が悪い。

だが、「無」の使われ方は必ずしも「有」に劣る概念ではないことがわかる。無欲、無性、無想、無念、無償、無益、無事、無私、無名、無常、無上などの語をよくみつめると、そこには人間の大事な生き方が現れているようにも思えるのである。「無」ということが意味のある概念であることだ。「無」が価値を有するということでもある。人間の品格を表す無垢という言葉もある。立派で並ぶものがないことを無二ともいう。

インド哲学によれば、「無」とは「存在しないこと」ではなく「無が存在する」ということらしい。単なる「non-being」ではなく絶対的な根源としての「無」があるというのである。この考えは、数学における「零0」の存在に通じるようである。「零0の発見」によって、数学において無を記述できるようになった。零0の存在は革命的ともいわれる。この零のことは後日取り上げる。

「無数」においても「countless」、「innumerable」というように、存在するが数えることはできないだけなのである。まさに無と有の対立を越えてそれを包括するような概念がここにあるように思える。無期とは有限の時間を表す。懲役100年でも200年も有期でも無期でもある。無と有は表裏一体のようである。

母校、北海道大学には宗教学インド哲学講座があるのを思い出す。

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