アメリカにおける「黒人」の呼び方は時代によって変わってきました。奴隷解放後は南部の白人は「カラード(colored)」と呼びました。次いで「ニグロ(negro)」となっていきます。1960年代になると、黒人自らが「ブラックアメリカン(Black American)」とか「アフロアメリカン(Afro American)」と呼ぶようになります。やがて二グロは学術的にも一般的にも差別用語とされ使われなくなります。
「アフロアメリカン」とか「アフリカンアメリカン」という表現は、アフリカが黒人の祖先の出身地としてばかりでなく、文化的出自、文化的アイデンティティを与えるものとして見直されてきます。時代は下り1990年代になると黒人が最も好ましい呼称として選ぶのは「Black American」とか「African American」です。「Japanese American」, 「Chinese American」というように出自を明確にしている点が共通しています。
アメリカの黒人が、アフリカのどの部族にルーツをたどれるかははっきりわかりません。しかし、大部分の奴隷がアフリカ西海岸の西サハラからアンゴラに至る地帯だと推測されます。1619年にヴァージニア州(Common Welth of Virginia)のジェームスタウン(Jamestown)に最初の黒人が上陸します。最初は年季奉公人(Indentuared Servants)と呼ばれました。18世紀になると黒人を奴隷とすることに反対する人々や組織が生まれます。その中心がクエーカー教徒(Quaker)であります。このことは前回述べました。
独立戦争では奴隷制度に反対する世論が高まります。フィラデルフィア(Philadelphia)では、指導的な市民によって「黒人を救済する会( Pennsylvania Abolition Society (PAS) 」が生まれます。それに続いてマサチューセッツ州は1780年に奴隷制度を撤廃する憲法を施行します。ペンシルヴァニア州が奴隷制度を廃止するのは1820年です。ニューヨーク州(New York)、ニュージャージ州(New Jersey)などがそれに続きます。
南北戦争中である1862年9月にエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が、連邦軍と戦っていた南部連合が支配する地域の奴隷たちの解放を命じます。そして合衆国憲法の修正第13条が承認され、アメリカ合衆国全体で法的に奴隷制が廃止されたのは1865年のことです。あくまで法制上の廃止です。