「幸せとはなにか」 その14 星野冨弘氏のうたから

星野冨弘氏のことである。中学校の体育教師をしているとき部活での指導中、頸髄を損傷し手足の自由をなくしてしまう。その後は、筆を口にくわえて草花を描き、言葉を添える詩人となって「愛、深き淵より」など多くの作品を残している。

車椅子の上で描いた絵や詩からは、星野氏の想像の世界が広がっている。それは、手足の自由を失った者ならではの情感に溢れている。草花をじっくり観察し、その特徴を見逃さないでペンや絵筆に乗せている。やさしい言葉が並ぶ。

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喜びが集まったよりも、悲しみが集まった方がしあわせに近いような気がする。
 強いものが集まったよりも、弱いものが集まった方が真実に近いような気がする。
 しあわせが集まったよりも、ふしあわせが集まった方が愛に近いような気がする。

○言葉に深い意味が伝わってくる。これほど言葉と思想が一体となる詩歌はあまり読んでいなかった。「強い」とか「弱い」というのはなにか。

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辛いという字がある
  もう少しで
   幸せになれそうな字である

○「土」を上に付け加えると「幸」になるとは、、。地面に足をつけてもう少し踏ん張ることの大事さを歌っているようだ。

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「人生が二度あれば」とは、
   今の人生を諦めてしまうから
    出てくる言葉です。

○いつも悔いの残る毎日である。もう少しできたのだが、ということを繰り返して生きている。「明日ありと思う心の仇桜、、、、、」

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神様がたった一度だけ
  この腕を動かしてくださるとしたら
   母の肩をたたかせてもらおう。

○眼の不自由な人が、一度だけ母親の顔を見たいといっていた。深い愛を伝えるのに言葉は誠に不十分だが、それ意外に伝える手段がない。それにしても母親の存在はなににも代え難い。今日は1月17日。

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