アメリカ合衆国建国の歴史 その109 白人至上主義者の秘密結社

議会による復興計画のもとで南部の諸州に設立された政府は、従来の決まり文句とは異なり、かなり誠実で効果的な行政を行いました。この時期は「黒人の再建」と呼ばれることもありましたが、南部の急進派政府は、アフリカ系アメリカ人に支配されることはありませんでした。黒人の知事はおらず、黒人の上院議員も2人、下院議員も数人しかおらず、黒人が支配する議会は1つしかありませんでした。アフリカ系アメリカ人が政権を握ったとしても、その能力や誠実さは白人と同様であったと思われました。

Rutherford Hayes

このような急進派の政府は確実に資金を必要としましたが、戦後の復興全般や、南部の州で初めて公立学校の設置のために、多額の州による支出が必要だったのです。汚職は確かにありましたが、当時ニューヨーク行政を破綻させたツイード・リング(Tweed Ring)といったグループのような規模ではありませんでした。しかし、実際に起こったスキャンダルから言えることは、共和党員が民主党員よりも、あるいは黒人が白人よりも罪深いということを示すことは難しいことでした。

Ku Klux Klan

山岳地帯の南部白人の一部と豊かな低地の農場主は、新政府においてアフリカ系アメリカ人とその北部生まれの「カーペットバガー」(carpetbagger)と呼ばれた政治に関心のある者に協力することを望んでいましたが、そのような「スカラウグ」(scalawags)といわれるヤクザ者は比較的少数でした。南部白人の大部分は、アフリカ系アメリカ人の政治、市民、社会の平等に猛烈に反対し続けました。彼らの敵意は、いわゆる「高慢な黒人」を罰し、彼らの協力者である白人を南部から追い出そうとするクー・クラックス・クラン(Ku Klux Klan)のようなテロ組織を通じて見られることがありました。民主党は、南部で徐々に勢力を回復し、北部が急進派政権の支援に疲れるとともに、南部から連邦軍を撤退させるときを待っていたのです。