アメリカ合衆国建国の歴史 その27 教会の世俗化と民主化

アメリカ人の良心を形成する上で、宗教が果たした役割は、時には誇張されがちですが、今も重要ことといえます。植民地時代の最初の世紀において、集落が形成されたニューイングランドでは強く宗教が影響を及ぼしました。教会は少しずつ世俗化され民主化されていき、植民地発展の強い原動力となりました。ピルグリムファーザーズ(Pilgrim Fathers)が1620年にメイフラワー・コンパクト(Mayflower Compact)に署名し、「市民団体の政治」を決意し、はっきりと宗教的繋がりを政治的コミュニティの基盤にしました。しかし、もともと乗客リストにはライデン分離主義者(Leiden Separatist)の非会員、つまり「変わり者」と言われた人々がいて、1691年にマサチューセッツに吸収されるまでプリマス植民地での権利の着実な拡大を求めていました。

John Winthrop

清教徒は、ジョン・ウィンスロップ(John Winthrop) がコミュニティ設立の際の説教で、コミュニティを「キリスト教の慈善のモデル」、「丘の上の都市」と呼んで地上における天国にしようとしました。このテーマは、さまざまな形でアメリカの歴史の隅々にいきわたっています。マサチューセッツ州における清教徒主義という伝統的なイメージは、抑圧的で権威的なものですが、見落とされているのは、ウィンスロップと彼の信奉者の間で共有された愛と信仰によって結ばれるべきであるというコンセンサスです。皆が同意したことは正しいというのです。それは信者の間で自らが選んだ神政体制ともいうべきものでした。

しかし、神政的モデルは、参政権が認められていなかった教会の非会員には適用されず、会員を維持する上ですぐに問題が発生しました。自分たちに救いをもたらす「回心」という個人的な経験をした人だけが、教会の正会員になり、子どもたちに洗礼を授けることができました。しかし、第一世代が亡くなったとき、それらの子でもたちの多くは、回心を個人的に証することができなかったので、自分の子孫だけを教会に連れていくだけでした。

Anabaptist immersion

非会員は、最終的に1662年のハーフウェイ誓約(Half-Way Covenant)によって礼拝に出席することを許可されましたが、メンバーシップとしての完全な権利を享受していませんでした。そのような明らかな神学的な屁理屈は、コロニーが拡大し分散することを示しています。会衆がさまざまな町に広がり、他の信仰の崇拝者を呼び込み続けていくにつれ、清教徒の教義の硬直性は、風によって曲がるような有様となりました。