我が国の「下流老人」

初めに言葉があった」の拙稿で、中国で使われている「未富先老」熟語の意味について触れました。ところがこの熟語をより詳しく調べてみると、中国の高齢化問題は、程度の差はあれ我が国とも共通した課題であることがわかります。

少し遡って2015年の新語や流行語に「下流老人」がありました。「生活保護基準で生活する、あるいはその恐れがある高齢者」をこのように呼ぶのだそうです。その人口は600万から700万人といわれています。これは65歳以上の人々の20%にあたるというのです。低年金の高齢者は1,250万人います。私も「下流老人」の一人であります。国民年金の月平均は5万円、厚生年金の月平均は約14万円といわれます。高齢者の20%が預貯金がゼロというのです。

加えて、年金以外でのセイフティネットが弱まっています。息子や孫に頼れない、息子の世代も自分の生活で手一杯である、などが理由です。2015年の総務省統計局の発表では、非正規労働者は19万人増加し1,971万人だそうです。これでは安心して結婚も子どももできません。とてもとても高齢の身内の面倒をみることは困難です。これはもう中国で使われる「失独失能」状態と同じです。

1950年代から1970年代は、急激な経済成長によって皆が豊かになっていけそうになった時代といわれました。1956年の経済白書では「もはや戦後ではない」という言葉が使われるほどでした。確かにマイホームを持ち、子どもも二人以上いました。人口の増加や教育の普及は質の高い労働力を供給してきました。しかしながら、こうした高度の経済成長は一回限りのものでした。「富める者が富めば、貧しい者にも自然と富が浸透する」などというのは神話であることもわかってきました。皆が富めるような事態は起きませんでした。今、こうした状況は中国や韓国が経験しているといわれます。

生活保護基準を下回る高齢者向けの給付金、30,000円が支給されたのが平成28年。一回限りの支給でした。「一億総活躍社会」との関係とか、、。どうも近づく選挙目当てだったという指摘が正鵠を射ていました。「ばらまき」はどの政権でも選挙前になることです。所得倍増も経済成長も、三本の矢も「一回限り」、選挙が終わればそれでお終いというわけです。

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