Big History その6 仮説演繹方法というもの

科学は、もともと帰納推理によると考えられてきたが、現代の科学はこの帰納を生の形で使っているわけでない。理論の信頼度を高めるために、この推理方法をいろいろな仕方で洗練しているといわれる。それが仮説演繹方法である。この方法によれば、まず観察や実験の結果を集約して一つの仮説をつくる。次にこれとは別に演繹的な体系を用意して、もしこの仮説が正しいとすれば、その結果どのようなことが起こるかを推論し、その結果を一つの予想として引き出すのである。

観察や実験による仮説の検証は、人間の行動や予測に応用されるようになる。 科学の方法として仮説の設定、実験観察が可能な命題の演繹、命題の実験と観察による検証、そして仮説の採択や棄却という帰納的推理が重視される。言い換えれば、観察された個々の事例や現象を総括し、それらの事例の規定が必然的にそこから導き出される一般的な主張である、と判断するのである。こうした手続きは行動科学でも主流となっている。

ポパーには、「歴史主義の貧困(The Poverty of Historicism)」という著書がある。簡単に言えば、「物事は一定の法則にしたがって歴史的に発展していく」とする歴史法則主義あるいは社会進化論を批判する。これは唯物弁証論への批判でもありソビエトの共産主義体制への批判でもあった。そして反証可能性を基軸とする科学的方法を提唱する。反証されえない理論は科学的ではないというのである。

ポパー曰く科学の進歩は、ある理論に対する肯定的な事例が蓄積してこれを反証不可能たらしめていくところで起こるのではなく、否定的な事例が反証した或る理論を別の新しい理論がとって代わるところで起こるというのだ。ものごとを鵜呑みにすのではなく、距離を置いて時に疑問視しながら考える(critical)姿勢が求められる。今の日本のさまざまな状況を考えるときは、こうした態度が求められると思われる。ポパーの「反証されえない理論は科学的ではない」という主張は興味深い。

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Big History その5 歴史の方法とKarl Popper

安倍首相の演説草稿には過去の歴史、それも1940年代から現在までの特に日米関係の推移や展望が語られている。それだけに限定された時間軸によって両国間の歴史にしか触れられていない。そこが「歴史認識」への踏み込みが不足していると指摘される所以であろうと考えられる。だが、歴史認識とは相当手強い概念である。

Big Historyに戻る。歴史は人文科学とか社会科学の分野の研究とされる。1950年代にカール・ポパー(Karl Popper)らが、科学哲学の方法論を展開するにつれて科学そのものの考え方が複雑化する。いわるゆる自然科学や社会科学といった分類が曖昧になっていく。さらに人間科学とか行動科学といったように人間の思考や感情、行動が研究の対象となりその方法も複雑になる。

歴史科学が対象とする歴史は、反復が不可能である一回限りで、個別的なもの、特殊なものと関わるという観点から、個性記述的さが特徴とされる。だが、歴史の記述の中には著者による歴史観や経験にもとづいた「主観性」が入り込むという特徴もあることは既に指摘した。それ故に、歴史上の推理は幅広く許されるものと考えられる。

推理には二つの古典的な方法があることが指摘されてきた。演繹推理と帰納推理である。演繹推理であるが、一般的に成り立つことを前提としてそこから特殊なことがらについてもそれが成り立つことを推論する。「全ての動物は死ぬ」と「人間は動物である」という前提から「人間は死ぬ」とい結論づける推論である。この種の推論を行う限り、絶対に誤りに陥ることはない確実な推論である。こうした推論で作りあげられるのが演繹体系といわれる。数学はそうである。歴史は演繹推理に向かない。

次に帰納推理である。これは特殊から一般を推論する方法である。観察や実験から科学の法則を導き出す方法である。この方法の特徴は演繹推理と異なり、絶対確実な推理ではないという点である。何十回、何百回の観察や実験によって確かめられたといっても、あるとき別な方法によって意外な結果が表れるかもしれないのである。従って、科学の知識とは絶対確実ではない推論を積み重ねて構成されるものだから、確実な知識ではない、「確からしい」知識といわれる。ある事が起こり得る「見込み」である蓋然性ということが歴史とか史実の特徴ではないかと思うのである。

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