素人のラテン語 その十一 ヒエロニムスとラテン語訳聖書

今のスロヴェニア(Slovenia)で347年頃に生まれたヒエロニムス(Eusebius Hieronymus)は、キリスト教の聖職者で神学者です。四大ラテン教父の一人と叙され、ギリシャ正教会、カトリック教会、聖公会、さらにルーテル教会で聖ジェローム(Saint Jerome)という名で叙階され崇められています。

ヒエロニムスは叙階されたあと、ローマへ行って第37代ローマ教皇ダマスス1世(Damasus I) に庇護され、ラテン語訳聖書の決定版を生み出すべく、全聖書の翻訳事業にとりかかります。すでに紀元1世紀には、聖書は断片的に多くのラテン語訳が存在していたといわれます。

5世紀になるとヒエロニムスは、初めに新約聖書にとりかかります。四福音書といわれるマタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書は、古ラテン語訳を他の文書に関してはほぼそのまま古ラテン語訳を用いたといわれます。こうして新約聖書の最初の校訂版が完成します。旧約聖書はヘブライ語並びにアラム語原典から翻訳したというのですから、凄い語学の持ち主だったことが伺われます。

ヒエロニムスの業績は、原語であるギリシャ語テキストを参照しながらすでに存在していた聖書の誤っている部分を訂正し、ラテン語訳の決定版を完成させたことにあります。ラテン語で翻訳したウルガータ(Vulgata)という聖書を世に送り出した人としてキリスト教界では知られています。ウルガータとは「共通訳」とか「公布されたもの」の意とされます。この聖書こそが中世から20世紀の「第2バチカン公会議 (Concilium Vaticanum Secundum) 」にいたるまでカトリック教会の標準の聖書となります。

付け加えますが、1962年に当時のローマ教皇ヨハネ23世や後を継いだパウロ6世によって遂行されたカトリック教会の公会議が「第2バチカン公会議」と呼ばれます。この公会議の目的は、「教会の信仰の遺産を現代の状況に適合した形で表現し、信徒の一致・キリスト者の一致・世界と教会の一致をはかること」とありました。聖書がその結節点であります。