心に残る名曲  その百十四 サミュエル・バーバー  「弦楽のためのアダージョ」

アメリカの作曲家にサミュエル・バーバー(Samuel Barber)がいます。1910年3月、ペンシルバニア州(Commonwealth of Pennsylvania)ウェスト・チェスター(West Chester)で生まれます。地元の作曲家だった叔父や歌手だった叔母に激励され,7才から作曲したといわれます。14才で創設後間もないカーティス音楽院(Curtis Institute of Music)へ進み,ピアノ,歌唱法、作曲法を学びます。同院の創設者メアリー・ボック(Mary Bok)から認められ,支援を得て1934年にヨーロッパに渡ります。ロマン派音楽に触れ,ウィーンで指揮法と歌唱法を学びます。

 1935年から1937年にはアメリカ芸術科学アカデミー(American Academy of Arts and Sciences)で学び,1939年から1942年までカーティス音楽院でも教鞭を執ります。自作のヴァイオリン・ソナタ(1928)と「スクール・フォー・スキャンダル」(School for Scandal)(1931)がベアルン(Bearns)賞を受賞したのを受け,バリトン歌手として活動しながら,本格的な作曲活動に入ります。

やがて「交響曲」が,ザルツブルク音楽祭(Salzburger Festspiele)で史上初めての米国人作品として初演され,1938年には「管弦楽のためのエッセイ」(Essay No. 2 for Orchestra)と「弦楽のためのアダージョ」(Adagio for Strings)が、20世紀前半を代表する指揮者トスカニーニ(Arturo Toscanini)からも認められて,国際的な評価を受けます。

[contact-form][contact-field label=’お名前’ type=’name’ required=’1’/][contact-field label=’メールアドレス’ type=’email’ required=’1’/][contact-field label=’コメントを歓迎しています’ type=’textarea’ required=’1’/][/contact-form]