ナンバープレートを通してのアメリカの州  その二十 サウスカロライナ州–Palmetto State

サウスカロライナ州(South Carolina)は北部でノースカロライナ州、南部と西部でサバンナ川(Savannah River)を境に位置するジョージア州(Georgia)、及び東部で大西洋と接しています。海岸線には多くの沼や入り江があり、またジョージタウン(Georgetown)やチャールストン(Charleston)など自然の良港をひかえています。パルメットヤシ(Palmetto)の州と呼ばれています。

City of Charleston

サウスカロライナ州の開発の歴史は古くメイフラワー号(Mayflower) がニューイングランドに上陸する約100年前の1526年にスペイン人のフランシスコ・コルディロ(Francisco Gordillo) が入植を試みたという記録があるようです。1629年にイングランド王チャールズ一世(King Charles I)がカロライナを植民地とします。1729年にはノースカロライナとサウスカロライナが分離します。独立戦争を経て他の州と共に独立し、奴隷制による綿花のプランテーションによって大いに繁栄します。

サムター要塞

1860年に奴隷制廃止論者であったリンカーンが大統領になると合衆国から離脱し、1861年には後続して脱退した他の南部諸州と共にアメリカ南部連合(Confederate States of America)を結成し、北軍の駐屯するチャールストンの港に位置するサムター要塞(Fort Sumter)を攻撃して南北戦争(Civil War)の口火が切られます。1865年にシャーマン将軍(William Sherman)率いる北軍の侵攻により、ジョージア州アトランタ(Atlanta)が焼き払われ、「海への進軍」(March to the sea through Georgia)およびサバナよりの北上作戦により南部経済は壊滅して南北戦争の終結が早まります。小説「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)はこの南北戦争が舞台です。

サウスカロライナ州は長い植民地時代を残す歴史があります。例えば、チャールストンは「聖なる市」(The Holy City)ともいわれます。高い尖塔を有する教会が街の景観を形成しています。十三の植民地の中で、カトリック、プロテスタントを問わず信教に対する寛容さを認めていた数少ない都市の一つがチャールストンで、ユダヤ教を認めた最初期の植民地都市ともいわれます。州の愛称は「Smiling Faces Beautiful Places」。いい呼び名です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その2 The Cotton State

合衆国の州につけられたニックネームをアルファベット順に紹介することにします。アラバマ州(Alabama) といえばなにを想い浮かべるでしょうか。「公民権運動(Civil Right)」、と答えられる人は相当なアメリカ通です。アラバマ州都はモンゴメリー(Montgomery)。その他の大きな都市と言えばハンツビル(Huntsville)です。NASAの中枢的存在であるマーシャル宇宙飛行センター(Marshall Space Flight Center)で知られています。

Alabamaという名称の由来は、チョクトー族(Choctaw)が使っていたAlabayamule(茂みを切り開く)からきています。州の大半はアラバマ川流域で、北端部にはテネシー川(Tennessee River)が、東端部はチャタフーチ川(Chatahoochee River)が流れています。

温湿暖気候に恵まれ、松などの森林が多く生育しています。南部の中心に位置するので「Heart of Dixie」とも呼ばれています。Dixieとは「南」とか「南部」という意味です。そうです。Dixie Land Jazzの生まれた所です。

州都のモンゴメリーはかつて南北戦争(Civil War)当時、南部連合(Confederate States)の首都でありました。黒人の比率が高く、州全体の26%を占めています。かつてアラバマの中央部は綿花地帯(Cotton Belt)と呼ばれました。そのようなわけで州のニックネームは 「The Cotton State」。ただし、このニックネームは州公認ではありません。その他のニックネームとして「The Yellowhammer State」というのもあります。「Yellowhammer」とはキアオジというホオジロ科の鳥で、文字通り黄色い羽で知られています。南北戦争当時、兵士達の軍服には黄色い線が入っていたといわれます。

もう一つのニックネームに「Stars Fell on Alabama」というのがあります。これは1833年11月12日から13日にかけて巨大な流星群がアラバマ州で目撃されたからです。2002年のライセンスプレートにもこのフレーズが印字されます。