ユダヤ人と日本人 その19 スターリンによる大粛清 その2 新聞報道

1953年代の新聞記事を調べると、そこからスターリンの政治活動とその死がどのように報じられたかがわかる。新聞社の姿勢と戦後間もない時代の思想上の混乱が感じられる。

1953年3月7日、 朝日新聞夕刊の「こども欄」に、スターリンの追悼記事が掲載された。タイトルは「なくなったスターリン首相、子供ずきなおじさん、まずしかった少年時代」とある。記事の内容だが、「貧しさの中に育ったので、早くから、貧乏な人たちに対する暖かい同情があった」というスターリン像を掲載している。誠に驚くべき記事である。

言うまでもなくスターリンは、日ソ中立条約を一方的に破棄し、対日参戦の成果によって南樺太を占領し、さらには北海道の東半分の割譲を連合国に迫ったという史実がある。極度に中央集権化された全体主義国家を率いた指導である。「貧乏な人たちに対する暖かい同情があった」などという記事がどうして書かれたのか。その見識を疑う。

読売新聞は1992年6月3日朝刊で「日本軍捕虜50万人を移送せよ」というスターリンの命令に関する資料を掲載している。同じく読売新聞2000年12月に元玉川大学教授若槻泰雄氏のコラムを次のように報じている。「シベリア抑留は戦争、特に負け戦が国民に強いる悲惨さを如実に示す史実だ。引き揚げに伴い旧満州で死亡した邦人は20万人以上で、原爆による犠牲者にも匹敵する。その多くは旧ソ連軍の国際法を無視した犯罪行為もといえる蛮行によるものだが、今日にいたるまで旧ソ連はその全容を明らかにしていない。旧満州とシベリアの惨状は、旧ソ連と共産主義に対する日本人の嫌悪、不信を決定的にしている。」

スターリンは史上、例のない完全独裁体制を築き上げ、情報をすべて掌握し、科学から哲学にいたる全ての分野に対して具体的な指示をして全てを決定したといわれる。ヒットラー(Adolf Hitler)と共に稀有な独裁的な権力者であった。同時にソビエトの近代化を進めたという点で、国内での貢献も非常に高いという評価を受けてもいる。史家の評価は異なっている。
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