認知心理学の面白さ その四十三  「自閉症・うつろな砦」とその批判

「自閉症・うつろな砦(Empty Fortress)」は広く読まれた臨床記録書です。この本の出版社であるみすず書房は今も哲学・思想、宗教、心理、社会科学、教育、歴史、文学、芸術、自然科学の分野における老舗の出版社です。どの本も表紙は白を基調としています。

ブルーノ・ベッテルハイムは長年自閉症の治療も手がけてきましたが、その考えは自閉症というのは、養育者の態度などの後天的な原因で発症するという説、いわゆる「冷蔵庫マザー」(refrigerator mothers)ということを強く主張するのです。やがてこの主張は精神医学界から大きな反撃を食らうことになります。

「冷蔵庫マザー」という養育者の育児態度に関する見解については、自閉症に関する研究で知られるレオ・カナー (Leo Kanner)の影響があったと思われます。カナーは1943年に書いた「情動的交流の自閉的障害」(Autistic Disturbances of Affective Contact)という著作で、冷えきった感情のこもらない子育ての結果ではないかと示唆していたからです。

ベッテルハイムの、「自閉症の原因は養育者の背景や責任にある」という説に対して、児童精神医学会から強い批判が起こります。その旗頭ともいえるリムランド (Bernard Rimland)は、自閉症とは神経発達上の障害 (neurodevelopmental disorder)であるとして、自閉症の「養育態度説」を論破します。

認知心理学の面白さ その四十二  自閉症研究とブルーノ・ベッテルハイム

ブルーノ・ベッテルハイム(Bruno Bettelheim)は、小児自閉症(infantile autism)の研究で知られた心理学者です。1960年代には日本でも多くの学者や教師が影響を受けました。私もみすず書房から出版された『自閉症・うつろな砦(Empty Fortress)』という専門書を購入したものです。しかし、後年はその学説が否定されて不遇な生涯を送ります。

ベッテルハイムはオーストリア(Austria)生まれ。最初はウィーン大学(University of Vienna)で カント哲学 (Immanuel Kant)を学びます。しかし、ユダヤ系オーストリア人だったため、1938年にダッハウ(Dachau)強制収容所、そしてブーヘンヴァルト(Buchenwald)強制収容所に送られます。ですが戦争勃発前の1939年、ヒットラーの誕生日である4月20日に特赦を受けて解放される幸運に恵まれ、同年12月にアメリカに移住します。その後、1944年にアメリカに帰化してからは、シカゴ大学 (University of Chicago)で教鞭をとり1973年まで心理学教授として働きます。

ベッテルハイムはシカゴ大学の知的障害児の訓練教育施設の所長や情緒障害児のホームの世話をしながら、健常児や障害児の心理学についての彼の数多くの著作をあらわし、その道の権威として知られてきました。我が国でもそうでした。しかし、彼は、やがてさまざまな批判を受けるようになります。まず、彼はウィーン大学での経歴についてです。彼はきちんとした訓練を受けてきたと主張しますが、不幸にもナチスが大学の記録を破棄していたため、その経歴詐称の確証がなかったようです。彼のクライエントに対する問題行動の数々が明るみに出されます。