ユダヤ人と日本人 その15 「屋根の上のヴァイオリン弾き」 その3 ショーレム・アレイヘム

今回は、 「屋根の上のヴァイオリン弾き」の作者「ショーレム・アレイヘム」とはどのような「アシュケナジム」であったかという話題である。彼は1859年、ウクライナのキエフ(Kiev)近郊の町で生まれた。当時はロシア帝国の統治下にあって、両親は商売で成功し富裕な家庭に育ったようである。

15歳のとき、小説ロビンソン・クルーソ(Robbinson Crusoe)に感化され小説を書くきっかけとなったといわれる。1883年に著した小説「Two Stones」の中では、イディッシュ語で擬似語である”Sholem Aleichem”という表現を使った。この語は、ヘブル語の”shalom aleichem” つまり「平和がありますように」(Peace be with you)という挨拶語にあたるものであった。その後、アレイヘムはこの擬似語をしばしば使ったといわれる。そして1913年に刊行したのが「テヴィエと娘たち」(Tevye and His Seven Daughters)である。ロシア語でオデッサ(Oddessa)の新聞やロシア系ユダヤ人が経営する最も大きな出版社であるVoskhodなどに投稿する。

1905年に南ロシアでユダヤ人に対する集団的迫害行為:ポグロムが起こる。このポグロムを目撃したアレイヘムは、翌年キエフを発ってニューヨークに移住する。ポグロムはユダヤ人の国外脱出の引き金となりやがてシオニズム運動(Zionism)へと発展していく。こうした脱出は、出エジプト記に源流があることを既に述べた。

一つのエピソードがある。アレイヘムはしばしば「ユダヤ人のマーク・トウェイン(Mark Twain)」と呼ばれた。彼ら二人は類似した文章スタイルやペンネームを使っていた。この二人は同じ人物や子どもを描き、各地で講演活動をしていた。ある時、トウェインはアレイヘムが「ユダヤ系のマーク・トウェイン」と呼ばれているのを聞いて、「今度彼に会ったときは俺は”アメリカ系のショーレム・アレイヘムだ”と伝えてくれ」というエピソードが残っている。1914年、アレイヘムは家族と共にニューヨーク市のマンハッタンにやってくる。
Postage stamp Russia 1959 Sholem Aleichem, Yiddish Writer Sholem Aleichem
Mark_twain2 Mark Twain