後の者は先になり、先の者は後になる

いろいろな会合に行きますと偉いさん方が並びます。誰をどこに並ばせるのかを、おつきの者が神経を使うのだろう、などとくだらないことを考える瞬間です。G20などの国際会議では並ぶ位置によってその国の影響力がわかるのはもっと面白いことです。年長者が最も大切にされるのは理解できるのですが、どこの国に行っても序列があるのは面白い現象です。共通の文化ですね。

並ぶことに見慣れる光景は通勤電車です。実に整然と並んで待ちます。そのままの順序で電車に乗れると思いきや、脱兎のごとく後から席をめがけて小走りする客がときどきいます。こういう人は大抵は中年以降の人です。席に座ると下を向いてしまいます。目を合わせるのをためらうようです。実に嘆かわしい姿です。その点、郵便局や銀行、レストランなどでは礼儀正しく順番を待ちますね。

マタイによる福音書(The Gospel According to Matthew)の19章には、順序や序列には別な見方があるという次のようなエピソードがでてきます。ある時、ぶどう園の主人が労働者を雇うときに、1日1デナリという契約を結びました。1デナリは5,000円くらいとされています。主人は、9時、12時、15時というように、暇にしている人を見つけては彼らをブドウ園で働かせました。夕方になって賃金を払う時、最後に農園へ来た者から順々に均等に賃金を払ったのです。これを見ていた先に来た労働者は不満を漏らしました。

主人はいいます。「いい加減に支払ったわけでも、差別をしたわけでもない。後から来た労働者は遅れを取った分を取り戻そうと短い時間の中で一生懸命働き、それ相応の仕事をしたのだ。」

この世は、先の者は先であり、後の者は後であるという世界です。「後の者は先になり、先の者は後になる」とは、一体なんということでしょうか。「多分自分はこれだけ多くのことをした」、「長く生きた」ということではなく、与えられている「今」という瞬間をどのように生きているかを問うのが大事なようです。人知では到底計り知れない言葉は今に通じるでしょうか。

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