前回は佐伯泰英の時代小説から「文化」の一面を考えました。吉原という共同体は固有の生活様式で統合されており、他の文化からの基準ではこの共同体を理解することは困難だということをいいたかったのです。相対化という視点でこの共同体における生活内容や人々の行動様式を問うていく必要があるように思えます。ですがこれが結構難しい話題です。
文化には二つの意味がありそうです。第一は優れた芸術、学問、技術、それが醸し出す上品な雰囲気のようなことです。広辞苑によれば「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果、衣食住、技術、学問、道徳、宗教、政治など生活形成の様式と内容」とあります。文化とは概して好ましいもの、望ましいものと考えられてきました。
その例として、以下のように「文化」がつく単語があることです。文化国家、文化庁、文化勲章、文化都市、文化村、文化村通り、文化広場、文化センター、文化功労、文化の日、文化映画、文化遺産、文化財、文化保存、あげくは文化住宅、文化風呂、文化食品、文化鍋、文化包丁などです。実にうさんくさい響きの語に「文化人」というのもあります。
広辞苑はさらに、文化に対峙する単語は「自然」としています。なるほど、ドイツ語の Kultur や英語の culture は、本来「耕作」、「培養」、「洗練」、「教化」、「産物」という意味であり、人間が自然に手を加えて形成してきたものです。
文化の第二の意味です。すべての文化が人間を幸せにしたということではありません。人は文化によって苦しみ、虐げられ、死に追いやられてきた事実も限りなくあります。戦争、武器、原発、偏見や差別なども文化の所産です。「文化大革命」もありました。
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