1500年代のヨーロッパは人文主義 (Humanism) と文芸復興 (Renaissance) の時代といわれます。「普遍的な教養や知識によって、それまでの世界観とされた非人間的な抑圧から人間を解放し、人間性の再興をめざした運動」といわれます。セミナリヨやカレジオでの教育内容も古典教育に力が入れられていました。それはラテン語で書かれた古典と日本の古典を学ぶことでした。「日本キリスト教文化事典」 (原書房) によりますと、1579年、日本にやってきたイエズス会の巡察師ヴァリニャーノは、日本独自の風習が障壁となり布教の難しさを痛感したといわれます。
そこでヴァリニャーノは、日本で宣教師を養成するためには、ヨーロッパの文化を押し付けるのではなく、日本独自の文化を尊重しながら布教する方針を示したようです。例えば、日本文学を学ぶことが必須と考え平家物語などをテキストにして古典を学ばせたといわれます。
日野江城下に開設された有馬のセミナリヨでは、ポルトガルからきた宣教師が、ラテン語などの語学、基督教、天文学 (地理学) などルネサンス期の西欧学問が教えられていたといわれます。
ラテン語は当時のカトリック教会の公用語です。ラテン語は学問のための言語であったので、セミナリヨやコレジヨでは必ず教えられました。音楽と体育も科目となりました。音楽はフルート、オルガンなどの器楽、およびグレゴリオ聖歌 (Gregorian Chant) などポリフォニー (polyphony)やモノフォニ(monophony) などの練習がありました。夏は水泳が奨励され、体力を培ったという記録もあります。
セミナリヨやコレジヨで行われていた教育は、宣教師の養成ではありましたが、日本の近代教育の先取りともいえるものではなかったかと思えるほどです。リベラルアーツ教育そのものです。明治以降、日本がとりいれた西欧式の教育システムはセミナリヨから始まった、といえます。それを示すのが明治五年の「学制」の公布です。その学事奨励書には、法律、政治、天文、医療の言葉がでてきます。
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