文化を考える その3 ハイカルチャーとサブカルチャー

文化の語源を調べているが、cultureを誰が文化と訳したのか分からない。中江兆民とか福沢諭吉などかもしれない。そもそも文化とは、その時代の主流な文化とされるハイカルチャー(high-culture)を意味した。知識階層に欠かすことができない素養として、古典とか歴史、文学に精通していること、それがハイカルチャーということのようだ。

ハイカルチャーは、学問、芸術、演劇、美術、音楽といった「教養ある人々、あるいは知識人」に支持されたもので、それを享受するにはある程度の知識や素養を要求された。一般芸能などを卑下し排除したりする時代精神があった。しかし、社会が大衆化するにつれて、やがてこうした文化観は変容していく。

前々回、江戸の吉原という集団の特徴について少し触れた。花魁を頂点とする遊里には、独特のしきたりに沿った秩序があった。客をもてなすために、花魁はかなりの教養や技能、所作が求められた。そのために、若い花魁に読み書きや所作を教授する者もいた。「吉原裏同心」の小説では主人公の神守幹次郎の妻、汀女がその役を担っていた。粋もいれば無粋もいる。客を飽きさせないために、繊細な知識や技能が花魁に求められたという次第だ。吉原というところは、ハイカルチャーな世界だったことが伺い知ることができる。

時代小説はさておき、1960年代に盛んにサブカルチャー(sub-culture)という言葉が広まった。その意味は、その時代の「主流文化」、別称メインカルチャー(main-culture)とは異なる、あるいはそれに反するといった文化観である。マジョリティの価値観から逸脱する思想や行動様式、言葉などを指すのがサブカルチャーであった。こうして文化の定義が難しくなっていく。

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