アメリカ合衆国建国の歴史 その125 国内政治の動き

19世紀最後の四半世紀のアメリカにおける支配的勢力は、政治的というよりもむしろ経済的、社会的なものでした。このことは、政治的リーダーシップの無力とか、インフレを求める農民運動の継続を除いては、政治に深い対立をもたらす問題が存在しないことを反映したようです。政治的に著名な人物はいましたが、彼らは政治的な行動計画の代弁者としてではなく、個人的な基盤の上に立って人気を得ていました。

この時期の大統領で真に党の指導者は見当たらず、1893-97年の2期目の大統領グローバー・クリーブランド(Grover Cleveland)以外、そのような傑出した大統領はいませんでした。ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)やジェイムズ・ブライス(James Bryce)といったアメリカ政界を鋭く観察していた政治家すらさえも、偉大な人物が大統領になることはないと考えていました。また、両政党の大統領候補の指名大会では、政敵が少ないといった無難な候補者を選ぶのが普通となりました。

共和党と民主党のマスコット

ジョンソン政権以降、議会は着実に勢力を拡大し、ホワイトハウスの指導力の低下につながる公共政策の策定に大きな責任を負うようになりました。1877年から1897年までの20年間のうち、同じ政党がホワイトハウス、上院、下院を支配していたのはわずか4年間であったため、公共政策は多くの議会指導者による妥協であることが一般的でありました。

共和党は、国政において多数党であるかのような状況でした。南北戦争から世紀末にかけて、1884年と1892年を除くすべての大統領選挙で勝利し、同時期の3つの議会を除くすべての議会で上院の過半数を占めます。しかし、民主党は1875年から1895年までの10回の議会のうち8回で下院の過半数を獲得していきます。共和党は1870年から1890年以降まで党内分裂に直面し、1876年以降の選挙戦のたびに南部全域を野党に譲らざるを得なかったにもかかわらず、政権与党となりました。

2022 年の米国の選挙結果

共和党には、連邦を分離独立から守り、奴隷制を廃止した政党であるという自負がありました。他の政策の主張が失敗したときも、共和党の指導者は戦争の記憶を蘇らせることによって北部と西部の票を掘り起こすことができました。あまり目立ちませんが共和党の有利なことは、国家の継続的な産業発展は、民主党政権よりも共和党政権の方がより確実であるという信念が国民に広まっていたことです。経済的に不利な年を除いて、戦争の記憶と共和党の経済プログラムへの信頼は、通常、北部と西部のほとんどの州で共和党が勝利することに表れます。