無駄から「無」を考える その6 サンスクリット語の「シューニャ」

日本佛教語辞典によれば、「空」という語は、古代から中世にかけてインドで使われていたサンスクリット語(Sanskrit)の「シューニャ(Sunya)」ということである。真に実在するものではなく、その真相は空虚とされる。空なることは空性と呼ばれる。このような見方を空観と呼ぶ。サンスクリット語は今もヒンドゥー教(Hindu)や仏教における礼拝用言語である。

アラビア語で「sifr」: シフルという語があるという。その意味は「空」と翻訳されたとある。この「sifr」が、13世紀のはじめ、アラビア記数法、後のインド記数法が伝わったイタリアでラテン語化して 「zephirum」となったようだ。そして最終的には「zero」という語に変化した。一方、中世ヨーロッパの数学界では「ゼロ」をあらわすために、もとのアラビア語とほぼ同じ語である「cifra」(数字)を長く使い続けた。ゼロ、0といったアラビヤ数字を意味する英語は「cipher」という。「cipher」は、「sifr」とか「cifra」が語源であることがわかる。

サンスクリット語の「シューニャ(Sunya)」はなかなか興味深い。この語はやがてフランス語のシニフィエ「signifie」, とかsignifierなど「意味する」とか、「表している」という語に発展したとか。記号表現、記号内容といった使われ方をする。英語の「signify」とか「significant」にあたることはいうまでもない。「意味ある」ということを指す。

「空」がゼロとなり、0が意味ある表記となったのはインド哲学の偉大な貢献の一つといえそうである。
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