ウィスコンシンで会った人々 その55 間男噺

「間男」とは広辞苑によれば「有夫の女が他の男と密通する」とある。この間男を話題とする落語も結構ある。古今東西、不倫は人間の興味の尽きない話題である。古典落語では、間男は陰険な男女関係を描くよりも、女性のたくましさとか男性のか弱さによって健康な笑いを醸し出すようなところが多い。男性中心社会へのささやかな抵抗といった文化も感じられる。ジェンダー研究の下地になるようだ。

間男を扱う演目に「紙入れ」がある。新吉という貸本屋の丁稚がいる。この本屋に出入りするおかみさんに誘惑される。そして旦那の留守中に迫られる。だが旦那が予定を変更してご帰宅。慌てた新吉はおかみさんの計らいで辛うじて脱出する。ところが、旦那からもらった紙入れを忘れる。紙入れにはおかみさんからの誘いの書き付けが入っている。

焦った新吉は逃亡を決意するが、ともかく様子を探ろうと、翌朝再び旦那のところを訪れる。出てきた旦那は落ち着き払っている。変に思った新吉は、昨夜の出来事を語ってみるが、旦那はまるで無反応。ますます混乱した新吉が考え込んでいると、そこへ浮気相手のおかみさんが通りかかる。旦那が新吉の失敗を話すと、おかみさんは「浮気するような抜け目のない女だよ、そんな紙入れが落ちていれば、旦那が気づく前にしまっちゃうよ」と新吉を安堵させる。サゲだが、旦那が笑いながら続けて「まあ、たとえ紙入れに気づいたって、女房を取られるような馬鹿だ。そこまでは気が付くまいて。」

既にこの欄で取り上げた演目「締め込み」も間男を疑う旦那と女房と盗人との可笑し味ある対話である。ある盗人が家に入り、箪笥をあけて衣類を風呂敷で包み、さあ逃げようとするとき旦那が帰ってくる。盗人はあわてて台所の床下にもぐりこむ。風呂敷包みを開けると、そこに女房の衣類が入っている。さあ、これは女房が間男して駆け落ちしようとしているに違いないと、旦那は動転する。そこに女房が帰ってきて大騒ぎとなる。

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ウィスコンシンで会った人々 その54 盲人噺

盲人が主人公の落語も結構ある。「心眼」という演目はほろりとして、また酒と夢、女が絡む可笑し味もある古典落語である。そのあらすじだが、目が不自由な按摩の梅喜、女房のお竹に慰められ、目があくようにと薬師如来に三七、二十一日の日参をする。それが叶って眼がみえるようになる。

得意先の上総屋の旦那から、女房のお竹は醜女だが、気だてのよい貞女であることを聞かされる。梅喜はわが女房ながらそんなにひどいご面相かとがっかり。そこで昔の馴染みの芸者、小春と一緒になろうと待合で酒を酌み交わす。

二人が富士横町の待合に入ったという上総屋の知らせで、お竹が血相を変えて飛び込んでくる。梅喜の胸ぐらをつかんで、
「こんちくしょう、この薄情野郎っ」
「しまった、勘弁してくれっ、おい、お竹、苦しいっ、、」

途端に梅喜は、はっと目が覚める。
「うなされてたけど、悪い夢でも見たのかい」という優しいお竹の言葉に、梅喜我に返って、
「あああ、夢か。。。お竹、おらあもう信心はやめるぜ」
「どうして?」
「目が見えるって妙なものだ。寝ているうちだけ、よぉく見える……」

「景清」は眼を治そうと一心に清水寺に日参し南無妙法蓮華経と唱える定次郎の話である。満願の100日目になった。奇しくも観音講にあたる18日で賑わう中、いつもにも増して熱心に願を掛ける定次郎。しかしいくらお願いしても、彼の眼はいっこうに明かない。とうとう怒り出した定次郎。心配して様子を見に来ていた甚兵衛にたしなめられるが、定次郎は涙ながらに答える。「母親が満願の今日に合わせて着物をこしらえてくれた。家で赤飯と酒の用意をして待ってくれている。」にわかに、空がかき曇り雨が降ってきた。稲妻が閃き、雷鳴が轟く。そして、取り残された定次郎に雷が落ち、定次郎は失神する。その衝撃で目が開くというお目出度い噺である。

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ウィスコンシンで会った人々 その53 言葉噺

百人一首からの演目もいくつかある。その一つが「千早振る」という作品である。崇徳院が作ったという「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の、、、」というのも落語の演目となっている。今回は在原業平の「千早ふる神代も聞かずたつた川、からくれないに 水くぐるとは」がテーマである。

八五郎の娘連中は百人一首のカルタ取りをしている。取るだけでは面白くないから歌の内容を調べてみようということになった。そこで八五郎をとおして隠居のところにその歌のわけをききにくる。隠居は2〜3回読み直しているとアイディアがひらめいてきた。「竜田川、、、八五郎、この竜田川は何だと思う」、「川が付くから何処かの川だと思うかい。違うんだな、竜田川ってのはおまえ、相撲取りの名だ」。人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った際、「千早」という花魁に一目ぼれするが、肘鉄をくらう。こうなると隠居の一人舞台になって前代未聞の歌の読み解きが始まる。

「たらちね」だが、ある長屋に住む独り者の八五郎が主人公。大家に呼ばれ、「店賃の催促かい?」と勘ぐりながら伺ってみれば、何と縁談話。相手の娘だが、年は二十、それに器量良し、おまけに夏冬のものをいっさい持参という触れ込みの娘である。独り者には願ってもない縁談、しかし話がうますぎる。不審に思った八五郎、大家に問いただしてみると、やはりこの娘には「瑕」があった。厳格な漢学者の父親に育てられたせいで、言葉が改まりすぎて馬鹿丁寧なのだという。八五郎は結局その娘を嫁にもらうのだが、嫁の語り口が何が何だかさっぱりわからなくなる。なお、「たらちね」の漢字表記は「垂乳女」となっている。

「平林」もおかしみがある。丁稚の定吉は、医師の「平林」邸に手紙を届け、その返事をもらって来るよう店主から頼まれる。定吉は、行き先を忘れないように口の中で「ヒラバヤシ、ヒラバヤシ」と繰り返しながら歩くが、結局忘れてしまう。定吉は思い出すため、手紙に書かれた宛先の「平林」という名前を読もうとするが、そもそも字を読むことができなかったことに気づく。

そこで、通りがかった人に、「平林」の読み方をたずねることにする。最初にたずねられた人は「それはタイラバヤシだ」と答える。安心した定吉は、別の人に「タイラバヤシさんのお宅は知りませんか?」と聞くが、要領を得ないので手紙を見せると、その人は「「平」の字はヒラと読み、「林」の字はリンと読む。これはヒラリンだろう」と定吉に教える。また別の人に「ヒラリンさんのお宅は知りませんか?」と聞き、手紙を見せると、「平林」の書き順どおりに「イチハチジュウノモクモク(一八十の木木)と読むのだ」と定吉に教える。さらに別の人が同じように定吉に問われると、「ヒトツトヤッツデトッキッキ(一つと八つで十っ木っ木)だ」。

困った定吉は、教えられた読み方を全部つなげて大声で叫び、周囲の反応をひこうとする。叫びはやがてリズミカルになり、歌のようになっていく。「タイラバヤシかヒラリンか、イチハチジュウノモークモク、ヒトツトヤッツデトッキッキ」

やがて定吉の周りに人だかりができる。そこを通りがかった、定吉と顔見知りの職人の男が駆け寄ると、定吉は泣きながら「お使いの行き先がわからなくなった」と職人に訴える。職人が「その手紙はどこに届けるのだ?」と定吉に聞くと、
「はい、ヒラバヤシさんのところです」

「たらちね」は、和歌に見られる修辞である母を指す枕詞である。独特の情緒を添える言葉となっている。「青丹によし」は奈良を指す、というのは受験勉強でもでてきた。

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ウィスコンシンで会った人々 その52 幽霊噺

落語の定番といえるのが幽霊噺である。医術が未熟だった江戸時代は、死に対する恐怖は現代以上であったと想像する。それだけに幽霊は怖い存在であったことが伺える。それ故に、噺のネタとしてもたいそう庶民に受けたのだろうと察するのである。

「お菊の皿」という演目は幽霊と庶民の会話が中心である。筋は少し長くなるがお付き合いいただくことにする。旗本である青山主膳の番長邸にはお菊という女中がいた。美しい中にあどけなさの残る乙女で、主膳は側室にしようとした。だがお菊には許嫁がいたので、主膳の申し出を断る。どうしてもお菊は首を振らないので、お菊に管理させていた大事な皿を一枚抜いておいて、盗んだろうと濡れ衣を着せ、井戸に投げ入れて殺してしまう。ところが、夜な夜なお菊の幽霊が現れて青山主膳は狂い死にし、廃屋敷となる。

やが女中お菊の幽霊を見たいと考えた物好きな者が、怪談の舞台である番町の廃屋敷まで出掛けてゆく。果たして廃屋敷の井戸端にお菊の幽霊が現れ、恨めしそうに「一枚、二枚……」と皿を数え始めた。お菊の幽霊は恐ろしいが、妖艶で美しい。数える声を九枚まで聞くと狂い死にすると言うので、見物人たちはお菊が六枚まで数えたところで逃げ帰る。

幽霊お菊の噂が広まり、お菊を見に行こうとして見物人の数は日ごとに増えていく。やがて弁当や菓子を売る屋台ができ、客席が設けられて廃屋敷は芝居小屋のようになる。「お菊の皿数え」はまるで舞台演芸のようになり、幽霊のお菊は差し出しものも増える。お菊はふくよかになる。あげくの果てに客に愛想を振りまく。そしてお菊のファンクラブまでできるという盛況である。

今日もお菊の皿数えの上演がある。お菊は喝采を浴びて登場し、「一枚、二枚……」と皿の枚数を数え出す。お菊が六枚目を数えたところで客たちは逃げようとするが、客席が混雑していて逃げられない。ついに聞けば死ぬと言われている九枚目をお菊が数えた。しかし何も起こらず、お菊は「十枚、十一枚……」と皿を数え続ける。客たちが呆気にとられる中、十八枚まで数えたところで舞台は終わりとなった。
「なぜ十八枚まで数えたんだ」と客がお菊に尋ねる。お菊は「風邪気味で明日は休むので、いつもの倍まで数えた」と答える。

「お化け長屋」は江戸っ子は見かけとは裏腹に小心で恐がりというのたテーマ。長屋に空き店の札がでる。長屋が全部埋まってしまうと今まで空いていた部屋が自由に使えなくなる。そこで店子の古狸の杢兵衛が世話人の源兵衛と相談し、店を借りにくる奴に怪談噺をして脅かし、追い払うことにする。最初に現れた気の弱そうな男は、杢兵衛に「三日目の晩、草木も眠る丑三つ時、独りでに仏前の鈴がチーン、縁側の障子がツツーと開いて、髪をおどろに振り乱した女がゲタゲタゲタっと笑い、冷たい手で顔をサッ」と雑巾で顔を撫でられて、悲鳴をあげて逃げだす。ところが次に現れたのが怪談には全く無頓着な男。逆に二人を丸め込んで長屋をただで借りてしまうという噺である。

「死神」という演目も愉快だ。主人公は金に縁が無く、「俺についてるのは貧乏神じゃなくて死神だ」と言うと、何と本物の死神が現れる。仰天する男に死神は「お前に死神の姿が見えるようになる呪いをかけてやる。もし、死神が病人の枕元に座っていたらそいつは駄目。反対に足元に座っていたら助かるから、「オチャラカモクレン、アルジェリア、テケレッツノパ」の呪文を唱えて追い払え」と言い、医者になるよう助言して消える。この男、良家の跡取り娘の病をこの呪文で治したことで医者として有名になり、男は富豪となる。だた「悪銭身に付かず」でまた貧乏になる。

この「死神」にはさまざまなサゲがある。是非いくつかの噺家の「死神」を聞いて欲しい。

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ウィスコンシンで会った人々 その51 泥棒噺

泥棒の演目はいくつもあるが、その代表ともいえるのが「夏泥」。今の暑い時期に笑いたくなる噺である。夏のある日、貧乏長屋で男がふんどし一枚で寝ている。そこにやってきたのが盗人。おきまりのおどしで金を要求する。だが、男、貧乏三昧で死のうとしていたと告白する。食べるものがない、店賃の抵当(かた)に道具箱を持っていかれた、道具がなくて仕事ができない、着るものもないなど泥棒に身の上話をして「さあ、殺してくれっ!」と開き直られる。盗人は「声がでかいよ、」とうろたえてしまう。

困った泥棒、なにか食うものを買えといって小銭を男に渡す。だが、道具がないので仕事にでられないという。泥棒はさらに男に銭を差し出す。ところが質屋から道具を請け出すには利息が必要だといってさらに銭を搾り取る。おまけに仕事に出掛けるには仕事着が必要だといって、「この裸姿では仕事にでられない。、、貰った銭は返す、、さあ、殺せ!」と懇願する。困った泥棒、ますます深みに入っていく。まんまと金を泥棒からせびった男、、別れ際に「また来年の夏に入ってくれや、、」この泥棒は慈善事業をしたようだ。それがなんとも可笑しく共感を呼ぶ。

「締め込み」の舞台もまた長屋。戸締まりされていない長屋に賊が忍び込む。ヤカンが火にかかっていて、急いで物色した衣類を風呂敷に包む。そこへ部屋の主の男が帰ってくる足音が聞こえる。泥棒はとっさに台所の床板を上げ、縁の下に潜り込んで身を隠す。男は泥棒が残した風呂敷包みを認め、「古着屋が見本に置いて行ったのだろうか」とつぶやきながら開ける。風呂敷の中に女房の服が入っていることがわかる。

「女房は、俺の知らぬ間に間男をして、荷物をまとめて駆け落ちをしようとしているのだ」と勘違いし、激怒する。そこに女房が帰ってきて、組むつもたれつの大喧嘩となる。罵倒しあうが、女房の言い分に言い返せなくなった男は、そばにあったヤカンを投げつける。ヤカンのお湯が縁の下に隠れる泥棒のうえに注がれる。堪らなくなって泥棒は飛び出て、風呂敷包みは自分が作ったと白状する。男と女房は「お前が正直に話してくれなければ、俺たちは別れるところだった」と泥棒に感謝する。そして3人で酒を酌み交わす。

「締め込み」のサゲは読者に想像していただこう。

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ウィスコンシンで会った人々 その50 粗忽噺

「粗忽」。なんとも響きがよい。そそっかしい、あわてんぼうということである。広辞苑によると、 軽はずみとか唐突でぶしつけといった意味もある。

江戸時代、しばしば大火が起こり、そこら中に安普請のアパートが造くられた。長屋である。そのせいで宿替えとか引っ越しが日常的であったようである。「粗忽の釘」はそのような江戸の下町が舞台である。

粗忽者の亭主にしっかり者の女房が引っ越ししてくる。亭主はそそっかしいだけあって、運ぶ荷物を後ろの柱と一緒にくくってしまったり、それに気付かず担ごうとしたり、旧宅を出るまでに一騒動が起きる。女房が新宅にきちんと引っ越しても、亭主野郎はやって来ない。道に迷うわ行き先は分からなくなるわ。やっとの事で辿り着いた亭主に、呆れながらも女房は頼む。
「お前さん、ほうきを掛けたいから柱に長めの釘を打っとくれよ」
 「よしゃ、俺は大工だ、任しとけ!」

亭主はいい気になって釘を打ったが、調子に乗ってすっかり釘を打ち込んでしまう。それも柱ではなく壁に。おまけに八寸の瓦ッ釘。これが隣の家の仏壇の横に飛び出て、騒動の始まりとなる。

「転宅」という泥棒噺も粗忽の代表といえようか。大抵、落語の泥棒といえば間抜けなものと決まっている。お妾のお梅ところから旦那が帰宅する。お梅が旦那を見送りに行く。その留守にこそ泥が侵入してきた。この泥棒、旦那が帰りがけにお梅に五十円渡して帰ったのをききつけそれを奪いにやって来たのだ。

泥棒、座敷に上がりこみ、空腹にまかせてお膳の残りを食べ始める。そこにお梅が入ってきて鉢合わせる。慌ててお決まりのセリフですごんで見せるが、お梅は驚かない。それどころか、「自分は元泥棒で、今の旦那とは別れることになっている。よかったら一緒になっておくれでないか」と求婚する。

泥棒すっかり舞い上がってしまい、デレデレになってとうとう夫婦約束をしてしまう。そして形ばかりの三三九度の杯を交換する。「夫婦約束をしたんだから、亭主の物は女房の物」と言われ、メロメロの泥棒はなけなしの二十円をお梅に渡してしまう。泥棒は、今夜は泊まっていくと言い出すが、お梅がとっさに「二階に用心棒がいるから今は駄目。明日のお昼ごろ来るように」といって泥棒を帰してしまう。妾宅は平屋なのを泥棒は知らない。

翌日、ウキウキの泥棒が妾宅にやってくるとそこは空き家になっていた。近所の煙草屋に、お梅はどうしたかときくと、仕返しが怖いので引っ越したという。
「お梅は一体誰か、、」
「誰かといって、お梅は元義太夫の師匠だ」
「義太夫の師匠? 見事に騙られたぁ!」

「騙る」は「語る」を引っかけた落ちとなっている。「騙る」は「騙す」という意味ともなる。なんとも粗忽でおかしみのある泥棒である。

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ウィスコンシンで会った人々 その49 名奉行噺

鹿は春日大社の神使いとされ、誠に手厚く保護されてきた。庶民は鹿にかしずくほどであったという。ちょっと叩いただけでも罰金、もし間違って殺そうものなら、男なら死罪、女子供は石子詰めという刑が待っていた。興福寺の小僧が習字の稽古中に大きな犬が入ってきたと思って文鎮を投げたところ、それは鹿だった。当たり所が悪く死んでしまい石子詰を受けたという話もある。石子詰とは地面に穴を掘り、首から上だけ地上に出るようにして埋める罰である。

奈良の町に豆腐屋を営む老夫婦が住んでいた。ある朝、主である与兵衛が朝早くに表に出てみると、大きな赤犬が「キラズ」といわれた「卯の花」の桶に首を突っ込み食べていた。卯の花とはおからのこと。与兵衛が手近にあった薪を犬にめがけて投げると、命中し赤犬は死んでしまう。ところが、倒れたのは犬ではなく鹿だった。

当時、鹿を担当していたのは代官と興福寺の番僧。この二人が連名で願書を認め、与兵衛はお裁きを受ける身になる。この裁きを担当することになったのは、名奉行との誉れが高い根岸肥前守。お奉行とて、この哀れな老人を処刑したいわけではない。何とか助けようと思い、与兵衛にいろいろとたずねてみるが、嘘をつくことの嫌いな与兵衛はすべての質問に正直に答えてしまう。困った奉行は、部下に鹿の遺骸を持ってくるように命じる。そして鹿の餌料を着服している不届き者がいるとして、逆に代官や番僧らを責める。そして鹿が犬であることを認めさす。

「佐々木政談」はこちらも名奉行で知られた南町奉行、佐々木信濃守。非番なので下々の様子を見ようと、田舎侍に身をやつして市中見回りをする。そこで子供らがお白州ごっこをして遊んでいるのが目に止まる。面白いので見ていると、十二、三の子供が荒縄で縛られ、大勢手習い帰りの子が見物する中、さかしいガキがさっそうと奉行役で登場する。この奉行役の子供の頓智に佐々木信濃守は偉く感心してやがて子供をとり立てるという噺である。

「天狗裁き」の奉行は大分違う。家で寝ていた八五郎が女房に揺り起こされる。「お前さん、どんな夢を見ていたんだい?」八五郎は何も思い出せないので「夢は見ていなかった」と答えるが、女房は隠し事をしているのだと疑う。「夢は見ていない」「見たけど言いたくないんだろう」と押し問答になり、夫婦喧嘩になってしまう。喧嘩の仲裁に入った長屋の差配、町役人も夢の噺を聞きたがる。挙げ句の果てお白洲に訴えられ、奉行までもが夢の話を聞きたいといって八五郎を責め立てる。最後に高尾の山に飛ばされ、そこで天狗にまで夢の話を聞かせろと苛まれる愉快な話である。

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ウィスコンシンで会った人々 その48 与太郎噺

落語にはいろいろな人物が登場する。「八っぁん、熊さん、」などと並ぶ代表的なのが与太郎である。性格は八五郎に似ている。

例外なくぼんやりした人物として描かれる。性格は呑気で楽天的。何をやっても失敗ばかりするため、心配した周囲の人間から助言をされることが多い。こうしたキャラクターから、与太郎の登場する噺は爆笑ものが多く、与太郎噺と分類される場合もある。さらに「愚か者」の代名詞となっているが、決して憎めない存在だ。長屋の者は与太郎をかばうことも決して忘れない。

「孝行糖」という演目では与太郎は親孝行という筋書きになっている。孝行によって殿様から褒美の青ざし五貫文を頂戴する。五貫文とは一両一分で十万円くらいと云われる。長屋の者は、五貫文を元手に与太郎にお菓子の「孝行糖売りの行商を教える。自立させようというのだ。そして与太郎に客寄せの台詞教える。「チャンチキチ スケテンテン♪ 孝行糖、孝行糖〜」。

「錦の袈裟」という演目では与太郎にしっかりものの妻がいる。与太郎に錦の袈裟をふんどしをつけて男衆の集まりに送り出す。そして吉原に乗り込むが、与太郎は女達にすっかりもてる。与太郎を殿様だと勘違いしたからだ。周りの男は与太郎のもて振りにすっかりあてられる。

「牛ほめ」だが、新築の叔父の家を訪問し、父親に教えられた通りにほめ言葉を並べて感心されるが、最後に牛を見せられて失敗する。「大工調べ」では腕っぷしのいい大工として登場し、滞納した店賃のカタとして没収された道具箱を取り返すべく、大工の棟梁の助言で、あこぎな家主を相手に訴訟を起こす。お奉行も味方しようとするのだが、ばか正直なためになかなか決着しない。「つづら泥棒」は与太郎が泥棒を試みる数少ない噺。夜自分の家に泥棒にはいるという大失敗をする。

「佃祭」にも与太郎が登場する。佃島の祭りの帰りに渡し船が転覆して死んだと思われた近所の旦那の家に、ほかの住人たちに連れられて長屋の月番で代表の1人として弔問に訪れる与太郎。だが、悔みと嫌みの区別がついていなかったり、最初の一言が「このたびはどうもありがとうございます」だったりで、厳粛な雰囲気をぶち壊しにする。

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ウィスコンシンで会った人々  その47 世間知らずの殿様

筆者は落語の素人。まったくの後発組である。そのような訳で落語を語るには少々気恥ずかしい気分なのだが、どうしても筆を執りたくなるほど落語の世界は不思議と面白いと感じる一人である。素人の目からみた落語の内側には、人の生き様とかペーソスが充満していて、なんとしてもこうした欄で何かを書きたくなる。

落語の演目にはいろいろなモノが登場する。例を挙げると、名前では八五郎、与太郎、熊五郎、定吉、多助、三太夫、正助、三太夫、お鶴、お菊、などである。動物では犬、猫、狸、鹿、鷺、雀、ウワバミ(大蛇)、馬、魚では鰻、秋刀魚、鯛、白魚、カツオなどである。人に関しては、坊主、花魁、遊女、行商、盲人、間男、盗人、殿様、うつけ、侍、女房、妾、女中、くずや、魚屋、大工、長屋の差配、幇間、按摩、蕎麦屋、ケチ、お人好し、正直者、間抜け、世話好き、粗忽者、ほら吹き、博打好き、大酒飲み、乱暴者、藪医者、などなどきりがない。話題となると、夢、富くじ、大火、火の用心、怪談、幽霊、引っ越し、転失気、道楽、吉原、喧嘩、祭り、敵討ち、天狗、浅草寺、長屋、講中、白洲など多彩である。うつけは空け/虚けとも書く。

おおよそ落語に登場する人物には、名奉行や頓智のある子供などは例外として、真面目で頭の良い者は登場しないことになっている。こうした人物は笑いの対象にはなりにくいようである。江戸時代は士農工商の時。お侍が形の上では幅を利かしていた。町人は小さくなって歩いていた時代だ。そんなこともあってか、大名とか殿様は笑いの対象になっていた。世の中の動きに疎いこともあり、町方は殿様を茶化すのである。

そうしたぽーっとしたうつけ殿様の代表が「目黒の秋刀魚」にでてくる。自分でどうしても蕎麦をを打ちたくて、習ったばかりの蕎麦の作り方を家来に披露する。ところがその蕎麦がとても食せるような代物でない。だが、殿様の打った蕎麦を食べないと打ち首になるという。だから殿様手作りの蕎麦は「手うち蕎麦」というそうだ。

この殿様、目黒への早掛けの際に百姓が庭で焼いていた秋刀魚の味をしめる。ある園遊会があって、殿様は秋刀魚を所望する。ところが出てきた秋刀魚は、ぱさっぱさで香りがしない。おつきの者は、この秋刀魚は房州で獲れた新鮮なものだと説明する。殿様は「やっぱり秋刀魚は目黒に限る」と自慢するのである。武士をおちょくることで庶民は溜飲をさげたにちがいない。

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ウィスコンシンで会った人々 その46 「地噺」と鰍沢

落語は人情噺や滑稽噺のようにほろりとさせたり、笑わせるものだけでない。演者がストーリーを語ることを中心として上演されるものもある。これが「素噺」とか「地噺」と呼ばれる分野である。落語の多くは、登場人物の対話で話が進む。だが地噺は、演者が聴衆に人物の心理を周りの状況を説明しながら筋を進行させる。

筆者が好きなのは、名人古今亭志ん朝の地噺である。その中で、「鰍沢」と「塩原多助一代記」を取り上げる。「鰍沢」という地名は山梨県南巨摩郡にかつて存在したといわる。江戸時代には富士川舟運の拠点であった鰍沢河岸があった。今は富士川町となっている。南巨摩郡には身延町があり、日蓮宗の大本山久遠寺がある。

久遠寺での参詣を済ませたある旅人は、帰りに大雪の中、山道に迷う。たまたま見つけた一軒家で一夜の宿を頼む。応対したのが妙齢の婦人、お熊である。だがアゴの下から喉にかけて突き傷跡がある。体を暖めるためすすめられるまま卵酒を半分ほど飲む。話をするうち、お熊がかつては吉原の遊女であり、現在は猟師の妻であることが分かる。旅人はお熊と会ったことがあることを告げる。

お熊は夫の酒を都合しにと言って雪の中に出る。旅人は酔いと疲れのために道中差しを枕元において眠りに落ちた。そこへお熊の夫が帰ってきて、旅人が残した卵酒を飲み干す。だがたちまち苦しみ出す。帰ってきたお熊は夫に「旅人にしびれ薬入りの酒を飲ませて殺し、金を奪い取る算段だった」と明かす。それを聞いた旅人は、すでに毒が回った体で久遠寺の「毒消しの護符」を雪で飲み込み、吹雪の中へ飛び出し必死に逃げる。途中、体の自由が利くようになる。お熊は鉄砲を持って旅人を追いかける。

旅人は川岸の崖まで追い詰められる。そこへ雪崩が起こり、旅人は突き落とされる。運よく、川の中ではなく、岸につないであった筏に落ちそれが流れ出す。お熊の放った鉄砲の弾が旅人を襲うがそれる。急流を下りながら懸命に「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、、」。旅人は窮地を脱するという噺である。

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