「粗忽」。なんとも響きがよい。そそっかしい、あわてんぼうということである。広辞苑によると、 軽はずみとか唐突でぶしつけといった意味もある。
江戸時代、しばしば大火が起こり、そこら中に安普請のアパートが造くられた。長屋である。そのせいで宿替えとか引っ越しが日常的であったようである。「粗忽の釘」はそのような江戸の下町が舞台である。
粗忽者の亭主にしっかり者の女房が引っ越ししてくる。亭主はそそっかしいだけあって、運ぶ荷物を後ろの柱と一緒にくくってしまったり、それに気付かず担ごうとしたり、旧宅を出るまでに一騒動が起きる。女房が新宅にきちんと引っ越しても、亭主野郎はやって来ない。道に迷うわ行き先は分からなくなるわ。やっとの事で辿り着いた亭主に、呆れながらも女房は頼む。
「お前さん、ほうきを掛けたいから柱に長めの釘を打っとくれよ」
「よしゃ、俺は大工だ、任しとけ!」
亭主はいい気になって釘を打ったが、調子に乗ってすっかり釘を打ち込んでしまう。それも柱ではなく壁に。おまけに八寸の瓦ッ釘。これが隣の家の仏壇の横に飛び出て、騒動の始まりとなる。
「転宅」という泥棒噺も粗忽の代表といえようか。大抵、落語の泥棒といえば間抜けなものと決まっている。お妾のお梅ところから旦那が帰宅する。お梅が旦那を見送りに行く。その留守にこそ泥が侵入してきた。この泥棒、旦那が帰りがけにお梅に五十円渡して帰ったのをききつけそれを奪いにやって来たのだ。
泥棒、座敷に上がりこみ、空腹にまかせてお膳の残りを食べ始める。そこにお梅が入ってきて鉢合わせる。慌ててお決まりのセリフですごんで見せるが、お梅は驚かない。それどころか、「自分は元泥棒で、今の旦那とは別れることになっている。よかったら一緒になっておくれでないか」と求婚する。
泥棒すっかり舞い上がってしまい、デレデレになってとうとう夫婦約束をしてしまう。そして形ばかりの三三九度の杯を交換する。「夫婦約束をしたんだから、亭主の物は女房の物」と言われ、メロメロの泥棒はなけなしの二十円をお梅に渡してしまう。泥棒は、今夜は泊まっていくと言い出すが、お梅がとっさに「二階に用心棒がいるから今は駄目。明日のお昼ごろ来るように」といって泥棒を帰してしまう。妾宅は平屋なのを泥棒は知らない。
翌日、ウキウキの泥棒が妾宅にやってくるとそこは空き家になっていた。近所の煙草屋に、お梅はどうしたかときくと、仕返しが怖いので引っ越したという。
「お梅は一体誰か、、」
「誰かといって、お梅は元義太夫の師匠だ」
「義太夫の師匠? 見事に騙られたぁ!」
「騙る」は「語る」を引っかけた落ちとなっている。「騙る」は「騙す」という意味ともなる。なんとも粗忽でおかしみのある泥棒である。